大切なもの (文乃視点)
彼女の名前は小森 文乃。
ここ叡智高校の2年生で、文系特進コース、通称" 文特 "の学生である。
文系分野において秀でた才能を発揮し、特に国語に関しては彼女の右に出るものはいない。
国語という科目は、その性質上、満点を取ることが最も難しいと言われている。
数学やその他の科目と違い、答えがぼんやりとしか存在しないためだ。
しかし彼女は叡智高校の入学試験を、国語満点という驚異の成績でパスしている。
物心ついてから現在に至るまで、読んだ本の数、実に3000冊以上。
まさに文学少女である。
春の風が心地よい教室の窓際、美しい黒髪をなびかせ、少女は読書にふけっていた。
読んでいる本にはブックカバーがされており、随分と使い古されていて、大切に読んでいるのだろうということが伝わってくる。
この本は、亡き父、小森 晋作が生前に残した本である。
文乃の父は、文乃が生まれる前に、既に他界していた。
父は小説家で、決して有名ではなかったが、こよなく本を愛していた。
父の書斎には、多くの本が綺麗に並べられており、文乃が読書に興味を持ち始めたのも、その書斎があったからである。
文乃にとって、本は、父と唯一繋がれるものなのだ。
文乃は父の書いた本が大好きで、中でも、"星空の下で" という本は大のお気に入りであり、今でもよく読み返している。
今読んでいるのも、ちょうどその本だ。
教師「はーい、次は移動教室ですよー
早く移動してねー」
教室に教師の声がこだまする。
それを合図に生徒達は雑談をしながらも、ぞろぞろと教室から移動していった。
文乃 (はぁ…いいところだったのに)
文乃は残念そうに本にしおりを挟み、パタンと本を閉じた。
机から筆箱と教科書を取り出し、さっきまで読んでいた本を教科書同士の間に隠して、教室を移動し始める。
こっそり授業中に本を読むつもりなのだろう。
文乃は文系科目は優秀であるため、授業を聞かなくても特に支障はないのだ。
教室にはもう誰もいない
文乃 (移動先の教室についたら続きを読もう…)
文乃が教室の扉に手をかけようとした、その時
ガラガラガラ!!
勢いよく扉が開いた。
扉のその先には険しい表情で息を切らした男の姿があった。
男「ハァ…ハァ…こ…小森ぃ…!」
文乃「ひっ......」
文乃は驚きのあまりその場でペタンと座り込んでしまった。
文乃「だ…だれ……」
文乃は少し涙目になっていた。
京「ハァ…ハァ…
誰って…京だ…桃李 京…!」
男の正体は京であった。
文乃「び、びっくりさせないでよ!」
文乃は少し恥ずかしそうにスッと立ち上がる。
京「……?
何言ってんだ…?…ハァ…ハァ…
そ、そんな事より、大事なことを伝えないといけなくて…」
文乃「なによ、手短にお願いね」
京「今日、放課後の授業なしだってさ…!」
文乃「………」
京「……」
文乃「…それだけ?」
京「それだけ。」
文乃「くだらないわね…
そんな事で必死になってたの?」
京「だって今日は水曜日で、俺たち理系クラスは6時間授業、文系クラスは5時間授業だろ…?
今は5時間目の始まる前だから、ここで伝えそびれたら、放課後にお前が1時間待ちぼうけ食らうじゃんか…ハァ…ハァ…」
文乃「…そ、そうね…
それはどうも
じゃあ私、移動教室だから」
文乃はスタスタと、素っ気なくそのまま教室から出て行ってしまった。
文乃 (わざわざ…教えに来てくれたのよね…
昨日の放課後の授業でも、解き方教えてくれたし…
……案外…良い人なのかな…。
……いけない、惑わされちゃだめ
理系の人に良い人なんて居ないんだから…)
移動先の教室に到着し、席に着く。
文乃 (はぁ、やっと本が読めるわね…)
教師「よし、全員揃ったわね!
今日は英語の映画を見るわよー!
字幕なしだから、きちんとリスニングの練習に使ってね!」
生徒A「あの先生の選ぶ映画って、毎回B級でつまんないんだよね…」
生徒B「わかる…あんなB級映画どこで見つけてくるのかしら…」
文乃 (……まぁ、読書はいつでも出来るし…今日だけは映画を見てあげようかしら。
授業だしね、仕方ないわね。)
文乃はB級映画がわりと好きだった。
--------------------授業終了後-------------------
生徒A「…マジで地獄すぎたね……」
生徒B「私半分くらい寝てたよ…」
文乃 (……中々面白かったわね。
斬新な脚本に、キャラがブレブレの主人公。
嫌いじゃない。
………シタヤで続編借りて帰ろうかしら…
今日は放課後の授業も無いし、帰って映画ね。)
そうして、帰ってからのプランをあれこれ考えているうちに、ホームルームは終了。
文系クラスは下校の時刻となった。
文乃 (よし、完璧なプランね。
早速帰ろうかしら。)
が、プランというものは無情にも、立てた時に限ってうまく行かないものである。
事件は、文乃が家へ帰ろうと教科書をカバンへ入れているときに起きた。
文乃 (……嘘………、本がない…………)