花の色は
文乃「とおり けい... どういう字を書くの?」
京「え、どうって...」
京は持っていたシャーペンで、ノートの隅に『桃李 京』と小さく書いた。
文乃はノートに書かれた名前をしばらく見つめた後、京の方へ目を向けた。
文乃「これ、私のノートなんだけど。」
京「えぇ...だって他に書く場所なかったから…」
文乃「まぁいいわ。それにしても、如何にも''理系''って感じの名前ね。」
京「それは中学時代からイジられてるから触れないでくれ…」
文乃「ふふっ、まあいいわ。
仕方ないから教えてあげるわよ。」
京「お、おう...」
京 (笑顔なんて初めて見たけど、やっぱりこいつ普通にしてれば可愛いんだな…)
問.
以下は古今和歌集の春歌下より抜粋した和歌である。
2通りの現代語訳を示せ。
花の色は
移りにけりな
いたづらに
わが身世にふる
ながめせしまに
文乃「と言っても、有名な歌なのだからこれくらいは知っておきなさい?」
京「うぅ、面目無い...聞いたことはあるんだが...」
文乃「これは平安時代前期に小野小町が詠んだ和歌よ。百人一首にもなっている歌なの」
京「百人一首…!そうか、どおりで聞いたことがあるわけだ。でもこの”2通りで現代語訳せよ”って所がなぁ...どうも分からん...」
文乃「和歌にはね、掛詞というものがあるの。」
京「あぁ、1つの単語に2つの意味を持たせるやつだろ?
"まつ"って平仮名だったら"松"と"待つ"とか。」
文乃「そうよ、それが分かっていてなぜ解けないの...?」
京「最初の方の和訳だけでいいなら思いつくんだがなぁ...」
文乃「あら、じゃあまずその思いついた和訳を聞かせてちょうだい。」
京「要するに花の色がいたずらに移ったんだろ?」
文乃「............これは重症ね。」
京「重症って...?え?なんか違ったか?」
文乃「そうね、点数をつけるなら2点かしら。」
京「.........」
京「.........5点満点?」
文乃「...」
京「ごめん...」
文乃「はぁ...いい?まず和歌を訳す際に絶対に必要なことは、掛詞を見抜くこと。これができなければ、正確に現代語訳する事はできないわ。」
京「な、なるほど…」
文乃「この和歌の掛詞は”花の色”、”世”、”ふる”、”ながめ”の4つ」
京「そんなに?!」
文乃「まず、始めの『花の色』は単に”桜の花の色”という意味の他に、”女性の美しさや若さ”の暗示として用いられているわ。」
京「な、なるほど。それはなんとなく理解できる...」
文乃「それから、『世』は、”世の中” と ”男女の仲”
『ふる』は ”降る” と ”経る”
『ながめ』は ”長雨” と ”眺め” という2つの意味をそれぞれ持っているわ。」
京「えぇぇ...ちょ、ちょっと待ってくれ。多すぎて整理ができないぞ...
2つの意味を持った単語が4つあるから、組み合わせは全部で16通りで...」
文乃「......あなたは16通りの現代語訳を書くつもりなのかしら?」
京「え...流石にそれはない...よな?」
文乃「当たり前よ。和歌はあくまで1つの文章。意味が通るように読む必要があるの。」
京「な、なるほど。でもこれだけ沢山の掛詞があると、意味が通るように訳すのも難しいような...」
文乃「いいえ、この和歌の”テーマ”は何かをきちんと考えて読めば、難しいことはないわ」
京「テーマ...?」
文乃「そうよ、例えばこの和歌のテーマが”風景”だとしたら、あなたはどう訳すかしら?」
京「風景...か。それなら『花の色』はそのまま訳して、『世』は世の中、『ながめ』は長雨で訳すな...。
あ、そうすると、長雨ってことは動詞の『ふる』は降るになるのか。」
文乃「それを通して訳すとどうなるかしら。ちなみに『いたずらに』は、むなしく・無駄に という意味よ。」
京「じゃあ、『いたずらに』はむなしくという意味でとって、前半の訳は『花の色がむなしく色あせてしまった。』って感じか?」
文乃「そうね。」
京「後半は、『長い雨が世の中に降っている間に』ってなるから、全体としては『長い雨が世の中に降っている間に、花の色はむなしく色あせてしまった。』だな!」
文乃「上出来じゃない。まずは1通りね。次はこの和歌の作者が”自分の容姿”をテーマにしたと思って読んでみなさい。」
京「任せろ!自分の容姿ってことは、『花の色』は女性の容姿の例えになって、それから『世』は男女の仲...つまり色恋沙汰、『ふる』は経る、『ながめ』は眺め だな!
あれ…眺めって、眺めるって意味でいいのか...?」
文乃「眺め は古典では『物思いする』ということよ」
京「なるほど、じゃあこれを訳すと前半は『私の美貌は色あせてしまった』、後半は今度は『いたずらに』を無駄にと訳して、『無駄に色恋沙汰に物思いしている間に』ってなるのか!
だから全体の訳は『無駄に色恋沙汰に物思いしている間に、私の美貌は色あせてしまった』になる!」
文乃「完璧ね...少しアドバイスしただけなのに、見ちがえたわ。」
京「パズルゲームは得意だからな!これも似たようなものだ!」
文乃「そう。」
京「あ、ずっと気になってたんだけど、小森は何で『花の色』を『桜の花の色』って訳すんだ?
桜が好きなのか?」
文乃「......そんな個人的な理由なわけないでしょ。平安時代での『花』は桜という意味なのよ。」
京「え、そうなのか...ってことはやっぱり昔の偉い人が桜が好きだったからそうしたのかな...」
文乃「それは...どうなのかしら。」
京「桜、今年はもう散っちまったなぁ」
京は窓の方へ目をやる。
文乃「今は5月下旬よ、当たり前じゃない。」
文乃もつられて窓の方を見る。
しばらく、窓の外の、もう枝だけになってしまった桜の木を二人は眺めていた。
文乃「私も、こうして本ばかり読んでいると、すぐに時が経って色あせてしまうのかしらね。」
京「...?何でだ?」
文乃「この前友人に言われたわ。せっかくの高校生活、本ばかり読んでいたら勿体無いって。
まぁ本はやめるつもり無いのだけれど。」
京「......」
文乃「何よ。」
京「小森...お前友達いたんだな...安心したよ(泣)」
文乃「殴るわよ」
京「いやぁ、まぁでも色あせるってことはないだろ」
文乃「...?」
京「小森は本を読んでる時が一番輝いてると思うし、色あせるなんて言葉は似合わないだろ。」
文乃「なっ////」
京「...?」
文乃「はっ、早くノート提出しに行くわよ////
私はもう帰りたいの////」
京「お、おう...?じゃあ提出しに行くか。」
文乃はうつむいたまま、そそくさとノートを持って教室を出ていってしまう。京も慌てて文乃を追いかけるように教室を後にした。
このお話のために少し古文の問題や和歌集などを漁っていたら、ア○ゾンのオススメに古今和歌集が出てくるようになりました...どうも、志田です。
大学が忙しく、中々更新出来ず...申し訳ありません。
ゆっくりではありますが、更新していきたいと思います。
長期休みになって時間ができたら色々書きたいなぁなんて考えてます。




