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日本妖かし地位向上委員会  作者: 高橋右手
4/4

議題その4《サハギン……?》

★登場人物

 大嶽おおたけ 刹子せつこ

  鬼族の女子 日本妖かしの現状に強い危機感を持っている。

  お寿司はマグロ(赤身)が好き。


 鞍馬 次郎坊 (くらま じろうぼう)

  烏天狗族の女子 刹子とは幼馴染 ボーイッシュなツッコミ役で胸が大きい。

  通称ジロウ

  お寿司は迷ってしまうので、海鮮丼を選びがち。


 九頭竜アメ

  竜族の女子。見た目は幼女だが、凄まじい神通力を持つ神童。

  回転寿司に過剰なまでに憧れている。


 ヴァナディース

  エルフ族の女子。美人転校生。

  アニメ・ゲーム系のネタ動画が好き。

  お寿司が物足りないとマヨネーズをかけたくなる。

 日本に押し寄せる西洋ファンタジーの潮流!

 次世代を担う日本の妖かしたちは、危機感をもっていた!

 ここは日本の何処かにある妖かしたちが通う学校。

 将来を憂う若い妖かしたちが、日本の怪異の地位向上を目指し日夜、活発な議論を繰り広げていた。


「今回のテーマは《サハギン》よ」

 黒板の前に立つなり、刹子はチョークを走らせる。

「ちょっと待て!」

 古くからの親友であるジロウには、刹子が何かを誤魔化そうとしているのがすぐに分かった

「な、なによ。出鼻をくじかないでちょうだい」

「今日の会議を始める前に確認したいことがある。前回のバーチャルユーチューバーの件はどうなったんだ? あれだけ人に恥ずかしい思いをさせたんだから、報告ぐらいしてもいいんじゃないか?」

 恨み忘れずというジロウの冷たい眼力に、刹子は露骨に視線を逸し唇を噛んで貝のように口を閉ざす。

「都合の悪いことでもあるのか?」

 近づいたジロウは絶対に逃さないと、刹子の顎を掴んで顔を正面に向かせる。

「説明責任を果たしてくれよな、委員長さん」

 切れ長の目に見つめられ刹子は羞恥に頬を染め、充血していた唇を開く。

「…………にじゅう、さんかい」

「23回? ってなにが?」

「ネットにアップした動画の再生回数が23回なのよ!」

 潤んだ瞳を大きく開けて、刹子は自暴自棄の大声で言い返した。

「あー、そっか……だから昨日の夜にあんなよそよそしいメッセージ送ってきたのか」

「メッセージってなんですか?」

「ワタシ、もらってない」

 ちょっと不満そうにヴァナディースとアメが、ジロウを見る。

「『委員会活動は楽しい? 中学の時みたいに陸上やらなくていいの?』って、いまさらなやつ。珍しく不安そうなメッセージだったけど、そういうわけだったのか」

「う、うるさいな……」

 訳知り顔でニヤニヤしているジロウの腕を、刹子は軽く振り払う。

「もっと再生回数いくと思ってたのが、ちょっと予想が外れただけだから……」

「バーチャルユーチューバーってとりあえずつけとけばってのが、甘かったな」

 胸をなでおろしたジロウは、刹子の肩をポンと叩く。

「何度繰り返し観ても面白いのに、なんで再生回数が伸びないんでしょうか?」

 首をかしげるヴァナディースに、アメもうなずく。

「うん、ワタシも10回見たけど新しい発見があった」

「ほとんど自演じゃ……」

 さすがにジロウも気の毒になって、刹子を見るが彼女の目から闘志は消えていない。

「でも反響はあったわ! なんと、委員会宛にお便りが届いたの!」

 嬉しそうに言った刹子は背筋を伸ばすと、スマホを操作し委員会に届いたメッセージを開く。

「物好きがいるもんだな」

「そんな暢気な話ではないの。とにかく読むわよ」

 

『日本妖かし地位向上委員会様

 はじめてお便り差し上げます。

 先日の動画を拝見いたしました。皆様の真剣な議論に小生、膝を打つばかりでありました。

 実は、銅ヶ淵に魚の西洋妖かしが現れ、ご近所の方々が困っています。

 勉学や委員会活動にお忙しいとは存じますが、なにとぞ皆様にご解決して頂けないでしょうか? Cより』


 読み終わった刹子は印籠のように、スマホの画面を三人に見せる。

「銅ヶ淵って小学校の遠足コースで定番の森林公園のとこだな」

「近くに河童の新興住宅地があるよ」

 水神だけあってアメは水回りに詳しかった。

「その人達がお便りを?」

 メールの最後につけられたアルファベットを見ながらヴァナディースが首を傾げる。

「さあ、ヘッダーにも名前はCとしか書かれてないわね」

「カッパのCでしょうか?」

「河童ならKだろ。そのメール自体がイタズラなんじゃないか?」

 眉間に皺を寄せるジロウの言葉に、アメがスマホから顔を上げて首を振る。

「区役所のトップページに警告文が出てた。銅ヶ淵で変質者が出たって」

「なるほど、その変質者がサハギンの可能性が高いわね」

 我が意を得たりと刹子は教壇をバシッと叩く。

「変質者なら警察に任せようぜ」

「なに弱気になってるの、ジロウ。粗末な股間を見せつけるぐらいしかできないサハギンごときに、わたし達が負けるわけないじゃない」

「こ、股間って、刹子……女の子なんだからそういうこと言うなって」

 恥ずかしそうに背中の羽を震わせたジロウがたしなめても、刹子はまるで気にしない。

「尻子玉を引っこ抜いて握りつぶしてやるわ!」

 ギュッと握りこぶしを作る刹子に、意味がわからなかったヴァナディースが長い耳をアメに寄せて尋ねる。

「シリコダマってなんですか?」

「河童が好きなお尻にある玉。引っこ抜くとヘロヘロになっちゃう」

「お、お尻に玉?!」

 腰を浮かしたヴァナディースはお尻と椅子の間に手を差し込み、何かの侵入から守るように恐怖の表情で身体を硬くした。

「敵を知れば百戦危うからず! まずはサハギンについて知りましょう」

 そう言って刹子は準備していたプリントを配る。

「百戦危うからずという割には情報が少なくないか?」

 ジロウは摘んだプリントをぺらぺらと振る。身体のサイズや生息場所などA4用紙の半分ほどしか書かれていず、あとはネットから拾ってきたのだろう二足歩行で銛を構えた魚の画像が申し訳程度に余白を埋めていた。

「それは仕方ないと思います。サハギンって最近作られたモンスターなので、あまり情報がないんです」

「作られた? まさかロボなの?!」

 ヴァナディースの言葉に食いついたアメが机から身を乗り出す。

「残念ながらロボじゃないわ。ダンジョンズ&ドラゴンズという海外のゲームが起源で、神話や伝説は存在しない新参者よ」

「なんで、そんなルーキーが日本の水辺にのさばってるの?」

 水神としてのプライドがあるのか、アメの言葉には棘がある。

「RPGの敵役として使いやすいから流行ったんじゃない。水場での戦闘の雰囲気が簡単に出せるし、魚をモチーフにしてるからどんな世界観で登場しても違和感がないわ」

「日本妖かしには蟹坊主とかいるのに……」

「蟹坊主はお寺で襲ってくる妖かしでしょ」

「あ、そっか」

 納得したアメが椅子に座りなおす。

「そもそもサハギンと半魚人って何が違うんだ?」

「はいはい! わたしがジロウの質問に答えます!」

 ジロウの疑問にヴァナディースがさっそく手を挙げる。

「サハギンさんはほぼ魚で、半魚人さんはだいぶ人間です!」

「定義がふわっとしすぎだろ」

「解剖するとよくわかるみたいですよ。サハギンさんは白身で、半魚人さんは赤身らしいです」

「西洋妖かし界こえぇ……」

 サラッと言うヴァナディースにジロウは露骨に引いていた。

「さすが科学万能主義の西洋ね。日本妖かしにも生物学的な分類を取り入れることも考えないといけないわね」

「白身と赤身、じゅるり……どっちも食べたい」

 喉を鳴らしたアメの目は完全に狩猟モードで金色に輝いていた。

「やる気は十分ね。心強いわ、アメ」

「アメに変なもの、食べさせようとするなよ!」

 ジロウが釘を刺す意味がわからないと、アメの方がきょとんとしている。

「さあ、ファンタジーバスターズ出動よ!」

「はいっ!」

「了解!」

 刹子の掛け声に、ヴァナディースとアメが敬礼で応える。

「いやいや、前回の、よ、妖怪ッシュって設定どこいったんだ?」

「臨機応変!」

「えぇ……」

 釈然としないジロウだったが、刹子たちの勢いに飲まれ抵抗できなかった。


 さっそく四人は荷物をまとめると学校を出発、電車に乗り銅ヶ淵へ向かった。

 最寄り駅から徒歩で15分ほど畑道を歩き、神社の脇道から山の方に林道を進んでいく。空気がひんやりと冷え、サーサーという水の流れる音が次第に大きくなってきた。

「あっ、向こうの方から水の気配がします!」

 長い耳をピクリと動かしたヴァナディースはローファーが土で汚れるのも構わず、小走りに小道を抜けていく。

「エルフってやっぱり森が好きなのね。でも、そっちは泥濘んでるところもあるから走ると危ないわよ」

 刹子の注意もテンションの上がったヴァナディースには届かない。

「だいじょ、きゃあぁっ!」

 言ってるそばから、ヴァナディースは緩くなった地面に足を取られ転んでしまう。

「イタタタ……うぅ……すみませんでした」

 スカートを盛大に広げ尻もちをついたヴァナディースは、駆け寄ってきた三人を涙目で見上げる。

「だから言ったでしょ。怪我はない?」

「はい。ちょうど踏み石があって、スカートも汚れませんでした」

 テンションの下がったヴァナディースの耳は、怒られた犬みたいにしゅんと下がっていた。

「鞄はちょっと残念な感じだな」

 落ちていた鞄を拾い上げたジロウはポケットからハンカチを取り出すと、躊躇なく鞄についた泥を拭う。

「だ、だいじょぶです! ジロウのハンカチが汚くなっちゃいます!」

「こんなのいいって。洗えばすむことだろ」

 申し訳なさそうに鞄に手を伸ばすヴァナディースを、ジロウは肘で押し返し最後まで拭いきってしまった。

「はい、綺麗になった」

「そ、そのハンカチ、貸してください! 綺麗に洗って返しますから!」

 泥で汚れたハンカチを畳んだジロウの手を、ヴァナディースが引っ張る。

「そんなことしなくても、別に」

「お願いします! 『メンクボ』が立ちません!」

 頭を下げてハンカチの端をつまみ続けるヴァナディースに、ジロウは困り顔で片方の羽を少し動かす。

「なら頼むよ。あと、メンクボじゃなくて、『メンボクがたたない』だからな」

「あっ、はい……」

 恥ずかしそうに顔を赤らめたヴァナディースは、受け取ったハンカチを大事そうに鞄のポケットにしまった。


「さてと、銅ヶ淵に着いたけど……」

 銅ヶ淵は地形の侵食で出来た三日月型の深みだ。蓮やホテイ草が茂っていて水底は見通せない。近くを流れる川との間には堰が設けられていて、水の流れはあまりない。

 小学校の理科で三日月湖を習った後に遠足でこの場所に来て、実際にその作られる過程を見るというのがお決まりのコースだ。幼馴染の刹子とジロウは、先生の退屈な話を聞きながらオタマジャクシやメダカ、タニシを探した想い出があった。

「見たところ異常はなさそうね」

 落水防止の低い柵に囲まれた水面は静かなままだ。

「相手は変質者なんだろ。だったら、もっと遅い時間に現れそうだな」

 ジロウが時間を確認すると3時少し過ぎだった。樹木に囲まれた場所とはいえ、辺りはまだ十分に明るい。

「ベンチで休憩しましょうか。自動販売機もありますし、お茶でもしながら」

「待って。なにか……いる」

 ヴァナディースの言葉を遮ったアメは目を凝らし、淵の深みを指差す。


 茂った藻が動いていた。水の対流でその場で揺れるのではなく、スーッと横に動き一部が持ち上がるようにして水面に近づいてくる。

「気をつけて!」

 四人が身構えるなかで、そいつは水草の下からギョロリとむき出しになった目と鱗に覆われた鼻梁を覗かせた。

「ひっ……」

 後ずさるヴァナディースを守るように、ジロウが一歩前に出る。

「こいつがサハギン……?」

「食べたことないお魚……じゅるり」

 水面を滑るようにして近づいてくる魚顔を訝しむ刹子、その横で目を輝かせたアメが小さな舌で唇を湿らす。

「おい、変質者! ここはみんなの公園だ! 痛い目みたくなかったら、さっさと出て行け!」

 地面を踏み鳴らしたジロウの威嚇も、魚顔は焦点のあっていなそうな目を動かすだけだ。岸辺まで近づいたそいつは水かきの付いた手を縁にかけ、のっそりと水中から姿を表した。

「な、なんか、でっかくヌメヌメしてますよ……」

 ヴァナディースの声は震えていたが、自分だけ隠れてはいられないと足を踏み出し、刹子たち3人に並んだ。

 深海魚を思わせる歪な面構えに、耳から首にかけては皺が重なったような鰓が見える。体温を感じさせない暗い緑色の鱗が腹以外を覆っている。

「お、おい、聞いてるのか?」

「おるぅるぃぃぃやぁぁ」

 ジロウの試すような問いかけに、サハギンは濁った目を動かし詰まった下水管みたいに喉を鳴らす。

「言葉が通じないみたいですけど……」

 不安もあらわなヴァナディースを安心させるように、アメが服の袖をちょんちょんと引っ張る。

「やっちゃう?」

「や、やっちゃって下さい」

 蚊でも追い払うようなアメの言葉に、ヴァナディースは力強くうなずく。

「それじゃサクッと――」

「待って」

 神通力を高めだしたアメを刹子が手で制す。

「こいつら……サハギンじゃない!」

「するじゅぅだ あふーん」

「肥大化した眼球に、濁っていて何を言ってるのかわからない言葉……」

 耳を澄ませていた刹子がビシっとサハギン?を指差す。

「深き者よ!」

「フカキモノドモ?」

 聞き慣れない単語に三人が首を傾げる。

「英語ではディープワンズ、クトゥルフ神話に登場するモンスターよ」

「クトゥルフってどこの国?」

 成績優秀なアメが、そんな国名は知らないと首を傾げる。

「クトゥルフは国じゃないわ。アメリカの作家、ラブクラフトが創作した神話体系よ」

「なるほど、ステイツのモンスターですか。空港で見かけたサハギンさんと違いますね」

 正体がわかって恐怖心が薄れたのか、ヴァナディースはやっと深き者の魚面をまともに見る。

「深き者ってのは、顕現できるぐらい有名なのか? 同じ創作でも指輪物語ならわたしも知ってたけど、クトゥルフも深き者ってのも初めて聞いたぜ」

 ジロウはヌボーッとしたまま動かない深き者から警戒を解かず刹子に尋ねる。

「誕生から100年ぐらいの新興勢力ね。それに一般認知度が高いわけでもないわ」

「じゃあなんでだ?」

「『クトゥルフ的なもの』はそれと明言されずに、様々な作品に取り込まれているの。深夜にぼーっと眺めている女の子がキャッハウフフするアニメや硬派なアクションゲーム、2時間スペシャルの探偵サスペンスドラマ……知らず知らずのうちに入り込んでくる! それが奴らクトゥルフ神話の手口よ!」

「こんなちょっと変わった半魚人が? 隠し味にしては、酸っぱすぎないか?」

 ジロウは懐疑的な視線を深き者に向けるが、刹子は首を振る。

「確かに一般ウケするにはビジュアルがヌメヌメの魚介類とか血まみれの肉塊とか触手とか、グロテスク要素が強かったわ。でも、最近は可愛らしい姿にデフォルメされたりしてる。この流れって何かを思い出さない?」

 刹子の問いかけにアメが、真っ先に手を挙げる。

「はいはい! それって妖かしだ!」

「正解よ。恐怖、興味からの受容……。他の西洋妖かしと同じように、私たちの地位を脅かす存在! 日本の闇の世界は、日本妖かしが担うもの! 深淵に還りなさい半魚人のできそこない!」

 革靴で地面を打ち鳴らしビシっと指差す刹子を、深き者は肥大した魚眼で不思議そうに見つめる。

「はら……はら……」

 深き者はまた何か言いながら、藻を揺らし岸に近づいてくる。

「お腹へってるの?」

 同情したアメが鞄をごそごそと探している間に、深き者は水面から上半身を出し、淵を囲む柵に手をかける。

「はらます……するじゅぅだ……はらますぅうううう」

 水中から完全に姿を現す深き者。

「……へっ?!」

 蓮の浮き葉を張り付かせた股間がギンギンに勃ちあがっていた。

「いやーーーーーーーーーーーー!」

「へ、へんたいだぁああああああ!」

 ヴァナディースの悲鳴にジロウの絶叫が重なる。

「へんたいさん?」

「見ちゃだめよ」

 鞄からお菓子を探し出したアメの目を、刹子が両手で隠す。

「するじゅぅだ……はらはらむぅぅうう」

 柵を乗り越えようと藻掻く深き者。ギリギリのところで股間を隠している蓮の浮き葉が今にも落ちそうだ。

「こっちくるなぁああああ!!」

 半狂乱になったジロウは鞄をひっくり返し、取り出した芭蕉扇を叩きつけるかのように全力でひと仰ぎ。

「すふぎゅむぅっ?!」

 空気が爆発したかのような烈風が深き者を直撃。猛烈な勢いで吹き飛ばされた深き者は、水面を転がるようにして蓮の浮き葉を巻き込み、最後は水中に沈んでいった。

「はぁはぁ……なんだ、ア、アレ……変質者って、痴漢じゃんか……」

 芭蕉扇を握りしめたジロウは、逃げたゴキブリに怯えるように揺れる水面に視線を這わせる。

「そう! 日本におけるクトゥルフ神話といえば、エロティックな要素は外せない! クトゥルフ神話の持つ陰惨な雰囲気とエロは相性がよくて、エロゲーを始めとして様々な作品でエロを絡めたモチーフに使われているわ!」

「エロエロ言うな!」

 恐怖を紛らわすように怒声を上げるジロウだったが、蓮の葉が動いたのを見てまたビクリと反応する。

 動いた蓮の浮き葉は一つや二つではなかった。泡とともに、二十匹近くの深き者どもが水面からぬるぬるとテカる魚顔を覗かせた。

「い、いっぱいいるな……」

 頬をひくつかせたジロウがつぶやく。

「わたしたち……ヘンタイ同人誌みたいにぬるぐちょにされちゃうんでしょうか……」

 ヴァナディースは今にも泣き出しそうだ。

「全部潰す?」

 不穏な事を言って目を光らせるアメを刹子が冷静に止める。

「ここは憩いの場なんだから、アメの全力で魚のミンチなんか作ったら地形が変わって、さらに生臭さでクレームが来ちゃうわ」

 仲間が吹き飛ばされたことで深き者どもは警戒しているのか、岸に上がってこようとはしないけれど、四人から目を離しもしない。

「このまま、ほっとくわけにもいかないだろ」

 ジロウは殺るしかないと芭蕉扇を握る手に力を込める。

「大丈夫、私に考えがある」

「考え?」

「所詮は魚! 水がなければ、どうということはない!」

 そう言い放った刹子はとある場所に電話をかけた。


 待つこと40分、三台のトラックがやってきた。

 運転席と助手席からガタイのいい鬼たちが続々とおりてくる。

 何事かと怯えるヴァナディースをジロウが「大丈夫だから」と安心させていた。

「お嬢、お待たせしました」

 鬼たちは刹子の前に並ぶと、軽く頭を下げる。

「いいのよ、急に呼び出したのは私なんだから。それより頼んだものは持ってきてくれた?」

「はい、すぐに準備します」

 刹子の指示に鬼たちはトラックの荷台に積んであった機器を降ろし、セットを始めた。

「あのー、この方たちは?」

「うちの社員よ。実家が土建屋なの」

 怖ず怖ずと尋ねるヴァナディースに刹子はこともなげに答える。

「これなに?」

 地面に次々に置かれた大型の機械をアメが、人差し指でつんつんと突く。

「排水ポンプよ」

 4人が話している間にも、鬼たちは手早く機器の準備を整えていく。排水ポンプにホースが接続され、ホースの片方が銅ヶ淵の水中に、そしてもう一方は近くを流れる川へと伸ばされた。

 持ち込まれた5台の大型排水ポンプが並び、銅ヶ淵と川を5本のホースが繋ぐ。すでに堰は止められ、水の流れは無い。

「さあ、淵の水ぜんぶ抜くわよ!」

 トラックの発動機が唸りを上げ、排水ポンプがゴウゴウと動き出した。


 デイダラボッチがお茶をストローで飲むように、銅ヶ淵の水は急速に抜かれていく。

「すごい……これがあればうちのおっきな池も掃除が楽ちんになる」

 柵から身を乗り出しホースの先を観察していたアメがしきりに感心する。

 淵の水を抜かれていく深き者どもは、乾季に取り残された魚のように、残った水たまりに集まっている。

「おーい、そっちのホースが水草で詰まってないか?」

「あ、いまフィルター交換します」

 作業する鬼たちの声が飛び交っているので、近所に住む野次河童が何事かと集まり、ちょっとした騒ぎになっていた。

「学生さん、テレビ撮影かい?」

 唐突に声をかけられた刹子が振り向く。

 そこには河童の老人が柔和な笑みを浮かべて立っていた。杖を手にしているが、背筋はしっかりと伸びていて頭の皿も磨いたばかりのように艷やかだ。

「そんなところです」

「そうかい、頑張ってな」

 刹子の曖昧な答えに河童の老人は、銅ヶ淵の方をちらりと見るとそのまま歩いて行ってしまった。

 2時間ほどで銅ヶ淵の水の大半は抜かれ、点々と残った水たまりも膝下の深さになっていた。

「お嬢、こいつらどうしましょう?」

 作業リーダーの鬼が困り顔で刹子に聞いてくる。

 行き場を失った深き者どもは、最初は打ち上げられた鯉魚のようにビチビチと跳ねていたが、今はぐったりとして動かない。

「そうね、干からびるの待つのあれだし……」

 困って周囲を見る刹子の視線の先にはアメや野次河童の姿があった。

「じーーーー」

 彼女たちは動かなくなった深き者どもを見つめ、喉を鳴らしている。

「ま、神饌ってことで」



 煮付けは鯛に似て、大層美味しかったそうな。


 □■□■□■



「なんか昨日さぁー、銅ヶ淵にTV撮影が入ったんだってぇ」

 翌日の放課後、学級委員の仕事を済ませた刹子が委員会に出席しようと廊下を歩いていると、気になる話が耳に飛び込んできた。

「すっげー、クー子もついにTVデビューすんの? スカウトとかかかってくるかもよ、まじパないじゃん!」

 同じクラスの河童橋さんと猿山さんだ。

「それがさぁー、バイトでマジテンサゲ。でもぉ、ママの煮付け美味しかったから、チャラみたいなぁ?」

「河童橋さん、もしかしてあなたが委員会にメールを?」

 気になった刹子が割って入ると、河童橋さんはクイッと首を動かす。

「インチョー? メールってなんのことぉ?」

「これだけど」

 刹子がメールの本文を見せるが、河童橋さんは首を振る。

「ちがうけどー」

「おじい様とか心当りは無いかしら?」

「グランパは一緒に住んでないしー」

「えっ? でもカッパのご老人がいたけど」

「ていうか、あのへん不便だからジジババ住んでないって。遊びに来たどっかの親戚じゃね?」

「そう……ありがとう」

 刹子は釈然としないものを感じつつも、その場を後にした。

(メールの差出人の『C』……クー子のCじゃなければ、一体誰が?)

 旧校舎に足を踏み入れると、生徒の気配がなくなる。

(クトゥルフのC……コズミックホラーのC……混沌……カオスのC?)

 風が耳にかかっていた髪を揺らす。


 誰かに見られているような気がして、振り返る。


 足音一つ聞こえない廊下が伸びているだけだ。


 窓が開いていた。ここから風が吹き込んだようだ。


 刹子は閉めようと手を伸ばす。


 その時、窓の外に――。

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