7 口論。
私は上機嫌だった。
あのあと家まで送ってもらって、また一つキスをされたのだ。そんな思い出を反芻しながら、恍惚の気分を味わっていたら、それを台無しにする人物が現れた。
「あれは嫌がらせか!?」
廊下の先を阻んできたのは、クラウスだ。
「なんですって?」
「昨日の対決だ。やっぱり裏があったんだな!」
恍惚とした気分が抜け切れない私は、理解に少々遅れた。そう言えば昨日対決したのだ。すっかり忘れていた。
フィロザ様との甘い時間ばかり鮮明に記憶していたせい。
「あれは正々堂々の対決でしたわ。裏なんて何一つない」
「何をぬけぬけと。それに許嫁関係の解消だって、リウツヴァイ殿下と前からそういう関係だったんだろう!?」
「え? ちょっと、それも違うわ。解消したあとに知り合ったのよ」
「嘘をつくな! 短い間で、あんな熱く見つめ合って、あんな息ぴったり詠唱魔法を使えるわけないだろ!」
あんなに熱くって、どのくらいだろう。
は、恥ずかしいわ。周囲にどんな風に見られただろう。
確かに打ち合わせもせずに同じ氷結の魔法を使ったのは、自分でも驚きだ。
「違うの、クラウス。関係を解消した直後に、口説かれて……」
「君なんかを口説く理由がどこにある?」
「なんですって?」
腕を組んで言い放ったクラウスに、カチンときた。
「フィロザ様は私に一目惚れしたと言ったわ。何度も美しいとも言ってくれたわ!」
「ハッ! 君なんかに一目惚れかい? 見間違いじゃないのか」
「何よ! 元許嫁に嫉妬でもしたの!?」
「はぁ!? 馬鹿じゃないのか!」
「あなたが馬鹿でしょう! 私の恋に、文句をつけて酷いわ。私には恋をするなとでも言いたいわけ? あなたはミリア・フォーブスとラブいちゃしているくせに」
「ら、ラブいちゃ? ハッ! 嫉妬しているのは君の方じゃないか!」
「私はフィロザ様の想いを否定されて、怒っているだけよ!」
見間違いだなんて言うクラウスに、掴み掛かりたいくらいだ。我慢して、腕を組む。我慢よ私。抑えて。私は貴族令嬢。慎ましく冷静に。深呼吸をした。
悪役は放棄したのだ。ムキになることない。
「フィロザ様の想いは間違いじゃないし、私の想いだって、あなた達への当て付けでもなんでもないわ。あなた達とは関係ないの」
「その通りだよ」
そこに聞こえてきた声に、私は固まる。
振り返れば、優美な姿のフィロザ様が立っていた。私の頭一つ分高い長身。横には、蝙蝠の翼を折りたたんだ魔族の従者がいる。
「もう許嫁関係を解消したのだろう。関係ない」
無表情でクラウスに言い放った。
「おはよう、シェリエル嬢」
「お、おはようござます。フィロザ様」
私の手を取り、指にキス。そして優しげな微笑み。
そのまま私の手を引いて、クラウスを横切った。
「少し前に、シェリエル嬢に一目惚れしたのは事実だ」
氷のように冷たく、クラウスに告げた。
手を繋いで長い廊下を歩きながら、私は唇を噛み締める。どこから聞かれていたのだろう。ああ声を荒げる姿を見られてしまったのだろうか。恥ずかしいことこの上ない。
しかも、フィロザ様の想いを勝手に話してしまった。
「……ごめんなさいっ。フィロザ様。勝手に一目惚れのことを話してしまって……本当にごめんなさい」
「謝ることない。事実だ。それに、嬉しいよ。”私の恋”……と言ってもらえてね。俺の想いを肯定してもらえて、こんなに嬉しいことはないよ」
柔和の表情で語るフィロザ様を見て、私の顔は熱くなってしまう。やっぱり全部聞かれていたらしい。キュッと唇を結んで、赤くなったであろう顔を俯く。
「……」
そして、繋いだ手を見る。人間とは違う手が私の手をしっかり包み込んでいた。クラウスに台無しにされた恍惚とした気分が舞い戻る。
「朝からお会い出来て嬉しいですわ……」
そっと囁く。
「俺もだ」
耳になめらかな囁き声がかけられる。それだけで至福。
「でももう少し元許嫁と話しているようにしてほしいな」
「え?」
「敬語を使わずに話して?」
「……うん。これで……いい?」
「ああ、嬉しいよ」
戸惑いつつも、敬語を外して話す。
フィロザ様は、フッと笑って見せた。
「お昼はまた図書室B?」
「あ、あの……私……もう一度ディアモンドに会いたいのですが……」
早速敬語を使ってしまって、フィロザ様の長い人差し指で唇を押されてしまう。
「あ、ああ……ディアモンドに会いたいので会わせてほしいわ。フィロザ様」
「そんなに気に入ってもらえたのかい。君がそう願うなら、叶えよう」
「嬉しいわっ」
ディアモンドにまた会える。笑みを溢して、ギュッと手を握った。またフィロザ様の瞳には、無邪気な輝き。その瞳で私を見ていた。