10 飛行。
悪役を放棄をして惰眠を貪りたかっただけの私に、こんな甘い恋が訪れるなんて。
何度目かわからない息を吐く。学園に登校してから、恍惚の溜め息ばかりついてしまっている。フィロザ様があんな熱いキスをするからだ。思い出すと頭に熱がこもって、思考が鈍くなる。
「あ、あの、シェリエル様」
「……ミリア様。おはようございます」
「おはようございます」
教室に向かう廊下で、ミリア・フォーブスに声をかけられたものだから、足を止めた。にこりと挨拶をする。
「何かしら?」
「シェリエル様は……怒っていらっしゃるのですか?」
「いえ全然」
カップル揃って私が嫉妬して怒っていると思っているのか。
「クラウスが何か言ったのかしら? 別にお二人のことは何とも思っていませんわ。この前の対決だって、多少私情を挟んで力んだ程度ですわ」
「……」
私のことを恐ろしいというイメージを持っているのか、怯えた様子のミリア・フォーブス。ここは嘘でも私情はなかったとでもいうべきだったかしら。わざわざ嘘をつきたくない。面倒だわ。
「何をしている!」
そこに来たのは、クラウス。ああ、面倒だわ。
「ミリアに何の用だ、シェリエル」
「あ、違うの、シェリエル嬢とただお話をしていたの。クラウス様」
明らかに敵と認識して、ミリア様の前に立ちはだかって睨むクラウス。そんなクラウスの腕を掴んで誤解をとくミリア様。
「威圧しているじゃないか」
「していないわ」
何よ。私は威圧的だとでも言いたいの。
そりゃ伯爵令嬢の威厳くらいはあるけれども。
「……また、何の騒ぎだい?」
冷えたフィロザ様の声が、廊下に響く。
「俺のシェリエルに、何か?」
あ、威圧していらっしゃる。これは丸わかりだわ。
これこそ威圧という雰囲気を醸し出しているフィロザ様が、私の前に立った。
ていうか、俺のシェリエルって言ったわ。かっこいい。
「そ、それはこちらの台詞です。リウツヴァイ殿下。オレのミリアにシェリエルが……」
「フォーブス嬢が恐縮していただけでは?」
バチバチと火花を散らしてしましそうなほど、二人は視線を交じり合わせる。
「そ、そうよ。クラウス。もう行きましょう?」
ミリア様は、青あざめてクラウスの腕を引いた。
「わかった。失礼する」
クラウスは頭を下げて見せたけれど、ギロリと私を睨んではミリア様とこの場を去る。
「全く……シェリエル嬢は威厳があって美しい女性だというのに、わかっていない。おはよう」
「おはよう……フィロザ様」
やれやれと頭を振ったフィロザ様は、気を取り直して私の手の指に口付けをした。
「フィロザ様がわかってくれるのなら、それでいいの」
「……そうかい」
柔和な表情になって、フィロザ様はそのまま教室まで私の手を引く。
「今日の放課後は、とっておきを見せたい。時間あるかい?」
「ディアモンド以上にとっておきがあるの? ぜひ」
まだ私を喜ばせるものがあるなんて、すごい人。
フィロザ様の瞳はとても無邪気に輝いていて、うっとりした。
放課後を楽しみにして、授業をこなす。今度はどんな風に喜ばせてもらえるのだろうか。ああ楽しみのあまり、早く時間が過ぎないかと、時計を睨んでしまった。
そして、待ちに待った放課後。
また移動魔法で、魔族の城へ連れて行かれた。
手を繋いでディアモンドの塔に向かう。中に入って、ディアモンドに挨拶をした。今日は起きていて、サファイアの瞳に私を映す。
起き上がっていると、やっぱり大きくて圧巻。
私が見上げている間に、フィロザ様は壁にあるレバーを下ろす。カラカラカランという音を立てながら、塔の天井が開いた。
「さあ、乗って。シェリエル嬢」
「え? 乗るって……」
「失礼」
「わっ」
身体が浮き上がったかと思えば、フィロザ様に抱え上げられている。そして、ディアモンドの首元に乗せられた。フィロザ様も、私の後ろに乗る。私の心の準備も待たずに、ディアモンドは羽ばたいた。
きゃ、と思わず悲鳴が口から溢れたが、それは風の音に掻き消される。鳥のような翼を羽ばたかせ、巨体を宙に浮かせた。まだ青く澄み切った空を、ビューンと飛んでいくディアモンド。
息を呑んだ。ディアモンドの毛を握り締めながらも、過ぎ去る景色を目にした。雨が降ったあとなのか、生い茂った森はキラキラと光を放っていて、太陽と等しく眩しい。広がる街並みも、山々も同じだった。
「手を離してごらん。大丈夫、俺が握っているよ」
「うん」
ディアモンドの毛を握っていた手を、フィロザ様に握られる。ちょっと怖く感じたけれど、フィロザ様が握ってくれたからそれも和らぐ。手放ししていると、今にも風に飛ばされてしまう気がするけれど、気持ちが良い。
「気持ちが良いだろう?」
耳に唇を重ねて、囁くフィロザ様。余計、うっとりしてしまう。最高のとっておきだ。
ちゅ、と頬に口付けをされた。
私は笑みを溢して、フィロザ様の手を握り返す。フィロザ様に凭れて、暫くディアモンドの飛行を楽しんだ。
名もない湖の前に降ろされた。
ディアモンドは水を飲み、私達は陽が暮れるまで、草原に寝そべって過ごす。
「……愛おしいわ、フィロザ様」
横たわったまま、彼を見つめて告げた。
フィロザ様は、サファイアの瞳を大きく広げて驚く。そのあと、起き上がって私の上から覆い被さった。
「俺も君が愛おしいよ、シェリエル嬢。君の全てが愛おしい」
私の髪を撫で、それから顎を掬って、唇を重ねる。
またついばむように、何度も唇を重ねてきた。
「フィロザ様……」
「……シェリエル」
間に名を呼べば、フィロザ様は甘く囁く。
角度を変えて、また口付けをする。長くて、熱い口付け。
「俺の愛おしいシェリエル……」
最後に私の額に口付けをした。
20170821