転・後編
ほう、と静かにため息をつき、陽が沈む空を見上げながら缶コーヒーを傾ける。苦味が口一杯に広がり顔を僅かに顰めるがすぐに元に戻す。身体中に夕風が当たりブルルと身体を震わせる。季節は冬へと移り変わってきている。
「寒いな」
ボソリと独り言を呟くが風によって流されていく。風で白衣のマントがなびいている。ふぅ、ともう一度ため息をつき、戻るかと思い、そそくさと扉に向かっていき仕事場へと戻っていく。
周りはガヤガヤとした喧騒に包まれており、走り回っている人もいれば、カタカタとキーボードで打ち込む人がいる。皆揃って忙しいそうに働いている。かくいう俺もカタカタとキーボードを打ち込み業務を終わらせていく。「佐藤くん!」と太い声で呼ばれ、パソコンに向かっていた視線を声の呼ぶ方へ向ける。そこには眼鏡を掛け、スキンヘッドでこちらに向かってくる中年の男性がいた。
「なんでしょう?青山先生」
「仕事中悪いねー、今日はそれが終わったら帰っていいよ。今日もいつものところ行くんでしょ?」
「そう…ですね、分かりました。でも良いんですか?今日患者さん多いみたいですけど……」
「いいよいいよ、僕みたいなオジさんに任せとけば〜」
「はぁ、分かりました。これが終わったら帰らせてもらいますね」
「はいはーい」
青山は適当に相槌をうち後ろに向かって進みながら手を振っている。
「早く終わらせるか」
小さな声で呟き自分を叱咤しラストスパートをかけるべく、机の上にある紙コップに入ったコーヒーを一気に煽る。
「すみません、柳さんの面会をしたいんですけど……」
「あっ佐藤さん、柳さんですねー、分かりました。………えーと今二人の方が面会に行っていると思うんですけどお知り合いですか?」
少しの間逡巡するも、多分彼奴らだろうと予測をつけ、「ええ」と返事をする。俺は軽く頭を下げ通い慣れた病室へと向かっていく。
307という番号と柳 絢様と書かれたネームプレート。気持ちを落ち着かせるために一旦深呼吸をし、コンコンと部屋をノックする。「どうぞ」と部屋の中から男の声がし、ガラガラと扉を開き中に入っていく。そこには、白衣の男とカジュアルな格好した男がいた。
「久しぶりだな、杉田、中野」
「久しぶりではないけど、久しぶり佐藤。半月前に顔を合わせて以来だな」
「俺は4年前だけどな!」
「そうだな」
俺は苦笑しながら答える。杉田は現在、俺と一緒で医者となり、ここ○○病院で働いている。この○○病院は杉田の父親が経営していると2年前に聞かされたときはかなり驚いた。中野は大学を卒業し、中小企業で働いており、そこで出会った女性と付き合いはじめているらしい。こうしてお互いに軽く挨拶し皆で未だに眠り続けている柳さんを見る。
「なぁ、佐藤。もういいんじゃないか?」
ピクリと自分の眉が動いているのが分かる。
「なんのことだ杉田。なにがもういいんだ?」
怒気を孕んだ言葉で問い返す。
「お前ももうわかっているんだろ?脳死はどうしようない、緩やかな死が待っているだけだ」
何かが切れた音がした。無意識で片手で杉田の胸倉を掴み睨み付ける。慌てて中野が二人の仲裁に入る。
「落ち着けって!」
「なぁ、何がどうしようもないだ!まだなんとかなるかもしれねーだろ!」
「お前も医者になってるからもう既にわかっているだろ。それにお前自身なんとかなるって希望にすがっているだけじゃないか!」
「だからお前ら落ち着けって!」
中野が二人の中に入り、一触即発の状態をなんとか切り抜ける。「チッ」と舌打ちし、杉田を睨み続ける。
杉田は胸倉を掴まれたせいで乱れた服装を正し、口を開く。
「今の医療施設や医学じゃ、脳死になった患者を延命させることしかできない。それに、柳さんは自己に遭ってから7年も経ってる。ここまで生きてこれた方が奇跡なんだよ、だからお前も幸せになる道を進めよ、きっと柳さんもそれを望んでいる」
淡々とこちらを諭すように話す。しかし
「お前に柳さんの何が分かる!何も分からない癖に知ったようなことを言うな!」
「あぁ、分からないよ、わからないけどお前の親友として見てられねんーだよ!そして、親友よりもずっと傍にいた柳さんだったらこんなこと望まないってことぐらい分かんだよ!」
今までつるんできた中で一度も怒ったことがない杉田怒鳴りちらしている。なにをいってるんだこいつは、何を.....「佐藤くん」透き通る声が聞こえた気がした。ポトリポトリと目から涙が溢れてくる。その勢いは、時間が経つにつれ勢いが増していく。
「佐藤..」
地面にぺたりと座り込み涙を流す、俺を見て中野が声を掛ける。しかし、杉田が中野の肩にポンッと手を置き首を振り部屋を出るように促す。
いつのまにか壁に寄りかかり、柳さんの正面に座りこんでいた。涙の跡が乾き、目が少しだけ充血している。
「なぁ、絢、俺君になにかできたのかな?」
「俺は少しでも力になることができたのかな?」
「俺がいままでやってきたことは全てむだだったのか..なぁ...」
「おれは..おれはさ..」
声が震えて、言葉が出てこない。涙が溢れてくる。
返事が戻ってくることはない。ただ無機質で規則正しく鳴る電子音が部屋に響くだけだ。窓から差し込む光は既になく暗闇に包まれている。
コンコンと扉を叩く音が聞こえ、扉に視線を向ける。数秒待ったが返事がなかっためガラガラと扉が開かれる。
「佐藤さん、面会時間が過ぎましたの今日のところはお帰り下さい」
受付にいた女性が佐藤に伝え、頭を下げる。呆然としていたが、「分かった」と返事をしのろのろと立ち上がり、受付にいた女性の横を通り過ぎる。
街灯と偶に通り過ぎる車のランプが道を照らしている。気が付けば一人で住んでいるマンションの近くまでやってきており、あと最後の横断歩道を渡れば家に到着する。チカチカと点滅をする信号を小走りで渡る、横断歩道の三分の二まできた、あと少しだ。
高速でこちらに向かって突っ込んでくるトラックが見える。
プゥゥゥンン、そんな甲高い音ともに眩い光が目の前に現れ身体がグシャリという音を立てながら呆気なく吹き飛ばされる。
そして、俺の意識は完全に途切れた。
物語は終焉へ向かう。