5
さらさらと何かがこすれる音で目を開けると空が広がっていた。音のほうに目をやると風に吹かれて木の枝が揺れている。次第に意識がはっきりして見回すと、ここが公園だということがわかった。駅のすぐ近くにある公園だ。空はもう暗くなっている。
教室に侵入してきた魔女の格好の女の子に殴られて気絶して、気がつくと鎖で縛られて知らない場所にいた。女の子は超能力者がどうとか言っていた。そしてまた殴られて気絶して、ここにいる。記憶は消されていないようだった。もう鎖で縛られてもいない。公園のベンチに座ってこれまでの経緯を啓太が思い返していると、聞き覚えのある声がした。
「あらあ、啓太ちゃんじゃない? こんな時間に何をしてるの?」
声の主は兒玉巌。啓太の父親の友人だった。
日本人離れした、眉から眼球に掛けてわずかに影が落ちるほどにほりの深い顔立ち。がっしりとした頬骨。形の整えられたあごひげ。服装はいつもスエードのジャケットに中折れ帽、ロングブーツといったカウボーイルック。すらりとした長身に筋肉質な体型。奇妙に清潔感のある外見。巌は黙っていれば映画俳優にも見えるなかなかのイケメンだった。だが口を開くとその中身は――本人曰く――「乙女」なのだった。
この父親の変わった友人は何度も啓太の家に遊びに来たことがあった。手作りの夕食をごちそうになることもあった。仕事で忙しい父親の代わりに面倒を見てくれていたのだ。啓太の母親は長い間入院していた。だから、巌が母親のようなものだった。
そうして親しくしていたのだが最近は疎遠になっていた。啓太が中学三年生になったころからは特にその傾向が強くなっていた。巌のあまりにも目立ちすぎる外見とその中身とのギャップに対する周囲の視線がだんだん恥ずかしくなってきたからでもあり、また面倒見の良い性格がうっとうしくなってきたからでもあった。悪い人ではないのは知っている。だがいつまでも子供のように扱われるのは気分のいいものではなかった。いつのまにか話をすることもまれになっていた。どれくらいぶりに口を利いたのかわからない。
「いや、ちょっとぶらぶらしていて……」
と啓太は答えにならないような答えを返した。そもそも何でここにいるのか自分でもよくわからない。これまでの経緯をうまく説明できそうにもない。すると巌が眉をひそめた。
「もう八時よ? 子供が出歩いていい時間じゃないわよ? お父さんも心配するわよ?」
これだ、と啓太は思った。夜に出歩いてもそんなに心配されるような年ではない。もう高校生なのだ。だが巌の中では啓太はいつまでも子供のままらしい。
「そんな時間でしたか……」
殴られた頭をさすりながら答えると、巌が目ざとくそれを見つけた。
「なあに? 女の子とけんかでもして殴られちゃった?」
「まあ、そんなところです」
似たようなものだった。女の子に殴られたことには変わりがない。
巌は絶句した。少しして、「その子はちゃんと家に帰れたの?」と聞いてきた。
家に帰れたかどうかはわからないが、心配する必要はなさそうだった。啓太を二度も殴り倒したのだ。もう辺りは暗くなっているが、あれなら自分の身くらい守れるだろう。そう考えて、啓太はうなずいた。
「そう……それならいいけど。じゃあ啓太ちゃんも早く帰らないとね」
「はい」
「一人で帰れる? 送って行こうか?」