良い組み合わせを探しましょ(前編)
ピンポ〜ン。
朝早くからチャイムが鳴る。すでに起床し、ある程度準備を整えた状態のぼくは、呼び鈴を押した主を迎え入れに行く。
「拓斗くん、おはよう!」
「おはようございます」
今日も元気に挨拶してくれるのは枝美里のお母さん。
「うん、元気そうで何よりだわ!」
「どうも、ありがとうございます」
今日も朝からご機嫌な姿を見て元気が湧いてくる。高校だけでなく、近所にも恵まれて寂しい思いをせずに済むのはありがたいな、そんな風に思った。
「それじゃ、今日もおばちゃんが色々やっちゃるから安心して帰っておいでね。あ、ウチでご飯食べる?」
「えーっと……考えておきます」
「そっか! 遠慮しなくていいからね!」
お隣さんとはいえ、他人が家の中で自分の知らないうちに掃除やらをするというのは本来あまり歓迎されるものではないらしい。だが、ぼくは付き合いの長さと、何より楽という点で大歓迎だ。ただ、丹色先輩のことを考えると枝美里の家でご飯を食べるタイミングが掴めるか……と躊躇ってしまう。
「そういえば、昨日枝美里は美人な先輩さんと一緒に学校行ってたのだけど、拓斗くんの先輩でもあるのよね?」
「はい、部活の先輩で……」
「あんな美人さんと同じ部活なんていいわね〜」
「ハハハ……」
反応しづらい話題に加えて丹色先輩の素行を思い出すと愛想笑いしかできなかった。美人だからなんでも良いというわけではないのだ。
「あの子もそろそろ準備ができると思うから、拓斗くんも忘れ物ないように準備しちゃいなさい」
「はい、ありがとうございます」
そう言うと、枝美里のお母さんは自宅に戻る。枝美里にしては珍しく早いな、なんて思いながら身支度を整え、家を出る。鍵は枝美里のお母さんも持っているので掛けてから出た。母が合鍵を預けたのだ。流石に少し不安も生まれたが、武田家ならいいかとも思ったのが懐かしい。預けたのは正解だったと今は思う。
「ほら、拓斗くん行っちゃうわよ!」
「ちょ、そんな大きな声で言わないでよ! 行ってきます!」
元気な声と共に枝美里が家から飛び出てくる。目が合うと枝美里は小さくあっ、と言って数秒固まる。
「お、おはよう」
「おはよう」
ようやく動き出したかと思えば、ぎこちない挨拶。なんだか様子がおかしい。高校に入ってからだんだん変な距離感が……。もう一緒にいるのが嫌になってきたのかな。
少し寂しい気持ちになりながら、学校に向かって早足で歩き始める。方向は同じだから、せめて時間はズラしてあげたい。
「え、ちょ、待って! 早いって!!」
「え?」
ぼくは慌てて立ち止まり振り返る。一緒に行きたくないわけではないの? なんだか混乱してきた。
「よし、行こう!」
「……」
「……まぁ、昨日はあぁ言ったけどさ。ここで会ったら、ねぇ」
昨日、ぼくも枝美里も丹色先輩に向かって一緒に行かないと宣言していた。それは、普段バラバラのタイミングで登校しているのでわざわざ合わせて行かないという意味で言ったのだが、枝美里も同じだったようだ。
「……じゃあ、行こうか」
「うん!」
ぼくは一緒に行きたくないわけではなく、単に混乱しているだけなので拒む理由はない。嬉しそうな枝美里の返事に驚きつつ、また学校に向かって歩き出す。今度は枝美里も一緒に。
「なんだかさ、拓斗って人気者だよね」
「いきなりなんなの? 自分の方が友だち多いでしょ、嫌味?」
「やぁねぇ、かしけんの話よ」
ぼくの積極的ではない性格を知りながらコミュニケーション力マウントを取ってきたのだと思ったが、違った。かしけんに限定されると、たしかにと思う自意識過剰なぼくがいる。
「なんであんなにモテモテなの?」
「ぼくに聞かれても……」
丹色先輩、乙芽先輩、潤乃先輩……何かの念を感じるほど迫られたり、佳暖先輩や微風さんのように胃袋を掴んでしまったり……。あんまりこちらからアプローチをしていないのでなぜかは全くわからない。
「あんまり振り回すんじゃないわよ」
「ぼくに言われても……」
振り回されてるのぼくの方だから……と思う。見ててわからんのかな、わかってもらえてないなら主張しなきゃな、と気をつけることにした。
「私はね、心配だから言ってるの」
「そうか、ありがとう」
「っ!?」
先ほどからなぜか苛立ち混じりだったのに、お礼を言った途端に嬉しさが見え始めた。ぼくとしては、心配されてもどうしようもないじゃん……という気持ちが強かったのだが、心配してくれることそれ自体は嬉しかった。だからお礼を言っただけなのだが、こんな驚きながら喜ばれるなんて。
「と、とにかく。変に期待させたりとかしちゃダメよ」
「大丈夫だよ、みんなからかってるだけだし」
「そういうところが心配なのよ!」
「あ痛っ!」
期待させるって全然そんな関係じゃないし、むしろこちらが期待させられていると思っていた。ぼくをからかい遊んでいるのだと。悪意はないし、関わってくれるだけ嬉しいので気にしていなかったが、またもやこちらに非があるような言い方をされると戸惑ってしまう。その上、軽くとはいえ肩を叩かれるし。
「拓斗ってほんと、敏感なんだか鈍感なんだか」
最後は勝手に締められてしまう。鈍感じゃないぞと言いたい気持ちはあったが、現時点で何かに気づいてないから枝美里を心配させてるんだ、と思い言わなかった。こういう判断ができるなら敏感だと思うのはまたまたぼくの自意識過剰か。
「そういえば、今日の部活は何するんだっけ?」
「……え? 何も聞いてないけど」
「私の話は聞いてた?」
「もちろん」
「なら、よし」
敏感か鈍感か考えていたので変な返事になっちゃった。そこをつかれて話を聞いていないと誤解されそうだったが、即答で乗り切った。
「新入生が来ないバージョンのいつも通りになるんじゃない?」
「なんだかんだ毎回はじめましての人がいたから想像しづらいわ」
「あーたしかに」
「それに、仮入部とか関係なく新しい人来てるし……」
「流石にもう来ないでしょ」
「私は火曜日からそう思ってるけど」
かしけんに行くたび、新たな出会いがあった。そろそろ出会いのチャンスはなくなるはずだ。しかし、乙芽先輩や善奈さんみたいによくわからない理由で入部する人もいたわけで。うーん、もしかして、まだ増えるの?
「は、はは。もうないでしょ」
「流石にね。正直よく知らない人結構いるしお腹いっぱいって感じ」
「枝美里さん……!」
怒気をはらんだ背後からの呼びかけに思わずビクッと肩を震わすぼくと枝美里。すでに昇降口に着いているので、話しかけられること自体はなんとも思わないが、そんな怒って呼ばれるのは予想外だ。
「師匠の料理をお腹いっぱい食べたのですか……?」
「いや、そんな話じゃないから!」
振り返ってみれば恨めしげな顔と目には涙を溜めた微風さんがいた。ぼくの料理って何かの力があるのか不安になるくらい感情を剥き出しにする微風さんにちょっと引く。突飛な発想に枝美里も引いたようだ。
「あぁ、そうですか。とんだ勘違いを……」
「ほんとにね」
「微風さん、ぼくのはそんな特別なモンじゃないよ……」
「何をおっしゃいますか!」
「拓斗、そこは素直に受け止めなさい」
枝美里はやれやれ顔で事態を収束させる。そこにはいつもの元気な姿ではなく、諦めの境地で感情を捨てたかのような無表情の枝美里がいた。
そのタイミングで教室に着き、各々自席に向かう。そこで今日の授業の支度をしていると、クボケンが話しかけてきた。
「結局、珠洲巴さんはバンド部には戻らないみたいだわ」
「あぁ、音楽やるやらないの話?」
「それ。この前スタジオにいたから話しかけてみた」
「へぇ〜。校外ではやるのかな」
「2人しかいなかったし、わかんね」
クボケンは珠洲巴さんの校外での様子を教えてくれた。練習は続けているようだが、バンドとしての活動はしていないらしい。この話は直接珠洲巴さんにしていない気がする。これから徐々に仲良くなって聞けたら良いな。
「ク、クボケン、響殿! 大変でつ!!」
「朝っぱらからうるせえな」
「何?」
今日も朝からやたらテンションの高い小池くんが馴れ馴れしく話しかけてきた。クボケンは不快感を隠さず、ぼくもめんどくささを隠さずに対応する。
「あ、あの英乙芽が吹奏楽部を辞めた……と! あの英乙芽が!!」
「“先輩”をつけてね」
怯まず馴れ馴れしく話しかけてくる小池。乙芽先輩は変な人とはいえ、かしけんの先輩。ぼくらに対してはともかく、乙芽先輩にまで馴れ馴れしくされるのは不愉快なのでぼくは冷たく言い放った。
「いやぁ、まさかあの吹奏楽部の高嶺の花、英乙芽……先輩がねぇ。寡黙ながらも高貴さは所作に現れ生きる芸術品のような大人しい文化系少女の最高峰が……」
「すごいな、お前……」
「あの、それって誰の話?」
クボケンは気味の悪い言い回しをする小池に引いていたが、ぼくはその語りに夢中だった。無論、口調ではなく内容にだが。
「もしかして、二条先輩と間違えてない?」
「むむっ、響殿はお目が高い。触れたら壊れてしまいそうな儚い美女、二条玖留実……先輩もまた相当な美女でつが、今のは英乙芽の……先輩の話でつな」
「……知らなかったなぁ」
もしかして、英乙芽ってこの学校に2人いるのかな? 寡黙だとか高貴だとか。あのフルネーム絶叫に尊大な口調。見た目はまぁ文化系に近くはあるものの、連想される言葉が違いすぎる。
「しかし、響殿も隅に置ませんな。ちゃっかり美女チェックしとるではないでつか、くぷぷ」
「してないけど」
「くぷぷ。まぁせういうことにしておきまつよ」
ニヤニヤ笑ってこっちを見る小池。殴りたい、その笑顔。クボケンはすでに立ち去り、チャイムも鳴ったので、小池も自席に戻っていく。はぁ、変な人に好かれちゃったな。小池におかずを分けたら一生付きまとわれるかもと自意識過剰ながら恐怖した。授業に入ったらそんなこと気にならなくなったけど。
「んじゃ、響。行ってくるわ」
「いってらっしゃい」
昼休み。月緒は図書委員の仕事があるので送り出した。若干の不安はあるが、まぁ大丈夫だろう、多分。
「あの、響さん。いいですか」
「梁木さん。大丈夫ですよ。ですけれども……」
「あぁ、なんだかまだ慣れてなくて」
「敬語じゃなくて大丈夫ですよ」
「はい。あ、わかった。かな」
「うん。それで、用事は……」
遠慮しないなんて言ったが、そんなにすぐ適用できる人間の方が少ない。周りにやたらハイスペック人間が集まっちゃって常識が揺らいでいたが、普通こんな感じだよね。
「あの、お昼を食べながら色んな先輩について教えてほしくて」
「いいですよ」
「そっちも敬語じゃなくていいよ」
「わかってるんだけどね」
2人で笑い合う。こんなこと、少し前では考えられなかった。正直嫌われたと思った。仲良くなれたことがとても嬉しい。クラスメイトと険悪な関係にはなりたくない。ん? 小池? クラスメイトだったかな……。
「よ〜し!食べよー!」
「この時間が2番目に幸せです」
「1番目は何ですぅ?」
「かしけんの時間ですよ」
枝美里と一緒に微風さん、瑠琉さんが微笑ましい会話をしながらやってくる。銀妃さんも準備を始め、鏡華さんも合流したところでいただきます、と食べ始める。
「まず、部長と神崎先輩は……」
「大丈夫。副部長もなんとか」
「かしけんの話ですか?」
銀妃さんが食いついた。同時にみんなが注目する。
「私が先輩について教えてもらおうと思って。自己紹介の情報以外にも接点ができればいいなって」
「それ、いいね」
「今はどなたまで紹介なされたのですか?」
「部長、副部長、神崎先輩だね」
「じゃあ次は……」
枝美里が話を続けようとするが、恵さんが割と多くの情報を欲しがっていることがわかったので、珠洲巴先輩について付け加える。
「副部長は音楽やってるらしい、です。あとは足が速い」
「音楽と運動、ね。知らなかった」
「わたしも知りませんでした」
「私もー。それで、次はリーシャ先輩いこ」
あんまり興味を引けなかったが、まぁ情報として持つ分には良い情報だろう。枝美里にせっつかれたので話を進める。
「藤堂先輩……藤堂アリーシャ先輩は、時代劇好きかな」
「とっても戦国時代に詳しくてびっくりしちゃったよ」
「あのいかにも外国人みたいな先輩? 日本語で会話できたの?」
「「……まぁ、日本語ではある」」
ぼくも枝美里も顔を見合わせながら探り探り答える。恵さんは不思議そうな顔をしたが、細かいところより大まかに聞きたいようで、表情で続きを訴えかけてくる。
「えーっと。よく寝てる黒岩先輩は眼鏡がないと大変になっちゃうお菓子好きで、鳴海先輩が面倒見の良い風紀委員、水守先輩と翠先輩、平坂先輩がゲーム好きで……」
「ちょ、待って。誰が誰で……」
「うーん。顔写真か何かないとわかんないね」
「昨日集合写真を撮れば良かったですね」
ぼくも名前を上げながら合ってるか不安だった。自己紹介をしてもらったとはいえ、クラスと同様、人数がいるので覚えるのは大変だろう。鏡華さんの集合写真のアイデアは今度実現してもらおう。
「一時期使ったあの名札、また使ってもらおかな」
「あぁ、それいいね」
「あれはとてもわかりやすかったです。お願いしましょう」
枝美里が言ってるのは、自己紹介代わりに名札を使っていた時の物だ。あれなら名前は覚えやすいだろう。恵さんも賛同する。
「それにしても、相手のことを知るって大変ですよね。プロフィール帳、なんて年じゃないですし」
「それだ!」
「えぇっ!?」
微風さんは軽く思い付いた物を口に出しただけっぽかったが、枝美里が乗った。微風さんの驚きには、突然であることとプロフィール帳なんか使うのかという二重の意味がありそう。すっごく驚いてるし。
「あれそのまんまはしんどいかもだけど、距離詰めるには最適じゃん?」
「距離を詰める、ですか。確かにお花見なんかもあるわけですし、もっと仲良くなれた方がいいですね」
手段はともかく、銀妃さんの言う通り仲良くなりたい気持ちはある。それなら他の手段もある気がしてきた。
「距離を縮める方法、今日の部活での議題にしてもらいましょう」
「賛成」
「いいと思う」
「すごく助かる」
鏡華さんの意見にみんなうなづく。部活動の立ち上がりらしい雰囲気になってきた。鏡華さんのように、部活動にやりがいを求めるメンバーがいると気が引き締まる。この調子で充実させていきたいなとぼくもやる気が湧き上がる。
「1年同士でも結束深めたいね」
「1年生もたくさんいますからね〜」
「まだよく知らない子いっぱいですぅ」
「桐ヶ谷さん、星上さんなら協力してくれそう」
恋さん、施璃威さんの強烈コンビを出したのだが、全員頭にはてなマークが見えるほどいまいちピンときていなかった。あの枝美里ですら思い出そうと頑張っているレベル。おそらく苗字よびに馴染みがないだけで、2人のことはわかるはず。よし、仲良くなるために頑張らなきゃな。ぼくはかしけんを充実した部活動にするため、決意を固めたのだった。
昼食を終え、午後の授業をこなす。授業のスピードがかなり速く感じていたが、だんだんと慣れてきた。宿題の力かな?
授業も終わり、楽しい部活動の時間。今も不安はあるが、その不安は心に重くのしかかる未知への恐怖から失敗しないかなというちょっとしたものに変わっていた。それだけ部活動が自分の生活に溶け込んできたのだ。
「よし。仲良くなろう作戦、頑張ろ!」
「よろしく頼むね」
「なんだその作戦」
枝美里の呼びかけに恵さんが返す。月緒以外のメンバーも無言で頷いたのだが、お昼は図書室にいた月緒、よくわからなくて当然なので反応ができない。
「仲良くなるため色々やりましょうと提案することですよ」
「ほぅ、それはいい。俺も色々仲良くしたいものだぜ。例えば……っておい! 置いてくな!」
月緒が自分の世界に入り込もうとしたので、みんなそそくさと歩き出した。だいたい扱いがわかってきた。こんな風に先輩方とも、みんなとも仲良くなれたら、きっとさらに楽しい部活動になるだろう。
『私たちのこと、ちゃんと見てる?』
——不意に聞こえる幻聴。脳裏にチラつく光景。もう思い出すことはないと思っていたのに。
「拓斗、大丈夫? 具合悪そうだけど」
「ん? あぁ、大丈夫。少しふらついただけ」
「無理しないでね」
「そうですよ、わたしなんてしょっちゅう貧血で倒れて大惨事ですから」
「はは、気をつけるよ」
大惨事は笑い事ではないのだが、今は嬉しかった。気持ちが楽になっていく。枝美里はぼくの事情を知っているので素直に心配してくれる。他のみんなもちゃんと心配してくれる。
大丈夫、もう失敗は繰り返さない。しっかり自分を出して相手を見る。先輩方なら、いや、みんなとならどうにでもできるはずだ。たった数日の付き合い、根拠には弱いが確かな信頼が芽生えつつあった。




