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中にはぎっしり詰まってる(後編)

 ぼくたちは早速、部室へと向かった。恵さんとの一件で少し遅れて入ることになりそうだ。先輩方や他のクラスの子らはすでに部室にいるだろう。


「……やっぱこの部室に向かう時は緊張するわ。一体何が起きるやら」


 恵さんはそうつぶやく。銃を向けられたりパイが飛んできたりのびっくり箱状態なので当然といえば当然である。


「ワクワクするね!」


 ズレた返答をする枝美里。これは多分わざとしている。ほぼほぼ煽りだが、枝美里の中ではじゃれあいということになるのだろう。恵さんは小さくため息をついた。


「これからの予定が楽しみですね〜」

「そうですね、お菓子作りができると良いのですが」


 気を利かせて微風さんが話を変えてくれる。ぼくも銀妃さんと同じく、お菓子作りの予定が組み込まれているか気になる。それに、ぼくのやりたいことが反映されているのかどうかも。


「先輩方とはお会いこそしたものの、どのような方なのか。もっと仲良くなりたいものです」

「土曜日みたく意外な一面があるかもしれない……からね」

「なんだ、それ。気になるじゃねぇか」


 月緒さんが話に乗ってくる。土曜日の話とはゲームで大活躍する先輩方の話だ。かいつまんで説明しつつ、ランさんのことも思い出す。変わってるけど良い人だったな。


「あの露世先輩がゲーム上手いなんてな……ネイルのためにそういうのやらないと思ってた」

「他にも真理先輩とかすごい特技ありそうじゃない?」

「もっとお話してみたいですぅ」


 こんな感じでワイワイしている間に部室へとたどり着いた。早速入ろうとドアに手をかけた枝美里を即座に静止する。


「お、おい、ノックしろよ!」

「え゛〜? 私とみんなの仲でしょ?」

「親しき仲にも礼儀ありでしょ」


 色んな出来事があったゆえに、ノックは絶対にすると誓った。そんなぼくを援護してくれたのは、同じく色んな出来事に悩まされた恵さんだった。……素直になった恵さんは切れ味が鋭い。た、頼りになるなぁ。


「アイツら遅いな」

「2組の子らだけッス。来てネェノ」

「何か残されるような事があったのかしら」


 中から話し声が聞こえる。待たせてしまって申し訳ないが、ノックはするべきだ。枝美里と扉の間にしっかりと割り込み、改めてノックの体勢を取ると、何やら開けない方が良い会話が聞こえてきた。


「なぁ、モモ。なんかまだでかくなってないか?」

「えー、そうかなぁ」

「一体何を食べどのように生きればそうなるのか是非ともご教授願いたい」

「ただ普通にご飯食べて——きゃっ!」

「このたわわに実った果実、去年が収穫時かと思ったら……けしからんのぅ」

「ひゃーおっぱいが暴れてらぁ。大怪獣バトルみたいな迫力が」


 部長、桃先輩、時環先輩の声。一体学校で何しとんねん。これは開けてはならない。間違いなくまたいじられる。声を聞いていても良いのかすら怪しい。


「拓斗? 早くノックして開けてよ」

「そうだぜ、待たせてるだろ」

「いや、なんか、その、開けちゃいけない会話が……」


 ぼくの発言にみな怪訝そうな顔をする。当然だ。これだけ言われてもどんな? となる。こんなの口で説明したくないので場所を開けると、みんなが扉に近づいて話を聞こうとする。


「うおっこりゃすごい……」

「いつにも増して制服がかわいそうだよ」

「も〜やめてよー」

「タクもいねぇしいいじゃねえか、減るもんじゃあるまいし」

「そーゆー問題じゃなくてぇ」

「オイタがすぎるヨ、プッチョさん?」


 あの、扉の外にぼくいます。ぼくが扉を開けなかった理由をほとんどのみんなはわかってくれたようで、いつ開けるべきか悩んでいるようだった。ノックをすれば済む話ではあるが、誰もノックしようとはしなかった。状況についていけていない。

 というか、なんか最後、かしけんで聞くはずのない声が聞こえてきた。土曜日振りのその声、その口調。そんなまさか……。気になって扉から離れ難くなってしまう。聞いちゃいけなさそうな内容なのに!!


「これ、直接触ったらどうなるんだ」

「ど、どうにもならないよ?」

「いや、どうにでもなるでしょこんなん」

「やってみなけりゃわからんってな……それ!」

「きゃ〜助けてー!」

「大丈夫ですかぁ!?」

「「「!?」」」


 このタイミングで開ければ、桃先輩のあられも無い姿が見れるだろう。そんなことは皆わかるはずだった。だが、そうはならなかった。どうなるかわかってないのがただ1人。瑠琉さんは助けての声に呼ばれ躊躇なく扉を開けた。慌てて目を逸らす前に、ぎっしり詰まった桃先輩の果実がチラッと見えてしまった。

 部長が馬乗りになり、シャツを下から捲ろうとしている体勢。なんて刺激が強いんだろう。

 すぐさま顔を背け俯いたぼくの耳に数瞬遅れて絶叫が聞こえて来る。部屋を揺るがすような、先ほどとは比べ物にならないその叫びに胸が痛む。もっと前に顔を背けておけば……。


「部長さん! 嫌がってますよ!」

「あ、えーと、その。すまん、モモ」


 瑠琉さんの正義感に圧倒され謝る部長。こうして部活は一旦仕切り直しになった。


 

 桃先輩は頬を膨らませ怒ったままだが、改めて真理先輩が進行をする。部室はすでに2.5倍の大きさに拡張してあり、かなり広くなっていた。

 そんな中で、やりたいことを無理やり表にしたプリントが配られる。お菓子作りは適宜とあり、直近なら花見やBBQなどのイベントや遊びの予定などぎゅうぎゅうに詰まっている。


「今配ったのは暫定版ね。この予定表通りは厳しいかもしれないけれど、みんなはこんなことをやりたいと思ってくれてたのってことがわかればいいわ」


 真理先輩の説明によれば、とりあえずのまとめと仮組みらしい。一通り目を通すと季節のイベント、学校のイベント、地域のイベント、明らかな趣味……色んな趣向が反映されていた。


「お菓子作りが適宜とありますが、どういうことでしょう?」

「それは、調理室でやるので、借りられたらやりますという意味です」


 部室でもお菓子作りはできそうなくらい広くなったが、設備は微妙だった。専門的なオーブンらしきものは物置で見たが、それくらいしかない。調理器具を人数分となれば、ここで用意するのは難しいだろう。


「参加は全部任意です。これからもかしけんを楽しもう!」

「と、いうわけだ。んじゃ、入部届配るぞ」


 珠洲巴さんがそう言うと、部長が入部届を取り出した。改めてメンバーを見回すと、全員集合しているように見える。初日の3人から増えすぎて把握しきれていないのだ。まさかここまでの大所帯になるなんて。

 それにしても、見覚えのない生徒が3人いる。髪の毛が長く顔が見えにくい人、中国のキャラがやるみたいな髪の毛くるくるするやつをしている人、赤毛で元気な人。

 全く見覚えがないので、先輩かもしれない。それに、先ほど聞こえた声からしてランさんがいるのかもしれない。似た声な可能性もあるが。


「よし、次はランからの差し入れのお菓子だ。もらったら自由行動な」


 そう言ってお皿に盛られた胡麻団子を配る部長。やはりランさんはかしけんにいるのだ。だが、どの人がランさんだ? 近くで会話聞けば一発でわかるんだけど、犯人探しゲームみたいでちょっと楽しんでいる自分がいる。

 犯人についと考えながら、軽い気持ちで胡麻団子をつまむ。そして、予想外の美味しさに驚愕する。あんこがぎっしり詰まってる……。外側の胡麻がしっかり揚げられており、香ばしい胡麻と中の甘すぎないあんこが絶妙なバランスでとてもおいしい。


「うわ、美味しい……」


 近くに座っていた枝美里もおいしさに驚いて小声だ。こんな素晴らしい物、一体どこで買えるのか。


「はーい! コンニチハー!! ヌィーヨだよ〜」


 容疑者……もとい見覚えのない女生徒の1人、赤髪の先輩?が元気よく話しかけてきてくれた。ぼくら遅刻組はまとまって座っていたのであいさつに来てくれたのだろう。


「こんにちは」

「ヌィーヨはね、イギリスから来ただからちょとだけ大変だけど、頑張ってね!」

「そうなんですね、日本語で挨拶してくれてありがとうございます」

「いいのいいの〜。同じ1年生の仲でしょ!」


 枝美里との会話を通じて、日本語が得意なわけではないが話せないわけでもないことがわかる。ランさんみたいな特徴的な喋り方だが、ランさんとは異なる。名前も全然違うし。

 それにしても1年生だったとは。仮入部期間は終わったと思っていたので盲点だった。……いや、終わったはずだが。


「あれ、ヌィーヨさんってお会いしたことありましたっけ……?」


 仮入部期間中、全部通ったはずなのに見覚えがない。怖くなったので思わずぼくから質問した。こんな強烈な人に会ったら忘れないと思うけども、かしけんは強烈な人が多かったので万が一がある。


「エェ〜いきなり告白〜? ナンパ〜? やめてよもぅ〜」


 両掌を頬に当て、体をくねくねさせるヌィーヨさん。確かに定番の文言だが、真意はそうでない。街中ならいざ知らず、学校ならもっと気の利いたセリフにする。ってそんなことはどうでもいいんだ。

 

「いえ、仮入部期間中に会った記憶がなく……」

「それはね、ヌイヨはね、今日初めて来たから」

「え、今日?」

「そ! これ、ヌイヨの名前」


 そう言って示されたスマホには『縫夜・クラーク』とある。仮入部期間終了後に来たり、色々と変わった子なのは外国の感性ゆえなのだろうか。


「これまでは何してたの?」

「ヌイヨね、たくさんの部活で遊んだの! でもアリーシャいるからかしけんにした」


 枝美里の質問への答えは要領を得ないものだったが、アリーシャ先輩と友達でかしけんに入るつもりのまま仮入部を楽しんだ、ということらしい。鏡華さんが英語も交えて何度か確認したらそうだった。


「ほいじゃ、今日からよろしくねっ」


 縫夜さんの言葉にみんなが口々によろしくと返す。もう増えないと思ったメンバーがまだ増えてびっくりだ。部活動の中でも一大勢力になりそう。

 

「びっきー! 土曜日は楽しかったねぇ」

「綾先輩、色々ありがとうございました」

「こちらこそだよ〜えみりんにキョウたんもありがとね」

「リョウ先輩もロゼ先輩も強くてびっくり」

「大変貴重な経験をさせていただきました、またぜひ……」

「もっちろ〜ん」


 今度は綾先輩がやってきた。土曜日に一緒だったぼくと枝美里、鏡華さん以外は席を離れる。


「あら、あのメンバーね。土曜日はありがとう」

「こちらこそありがとうございました」

「あなたたちが揃っているなら……ランちゃん、ちょっといい?」


 そう呼ばれて反応したのは——髪を巻いている方の女生徒だった。


「ハイヨー! ちょと待てネ」


 あの声、それにあの返事は間違いなくランさんだ。どういう知り合いかと思ったらかしけん繋がりだった。だから土曜日も普通に参加してたんだ。かしけんしかいないところに入ってこれるような人、ではなくかしけんの人だった。


「ハイナー! 2年の平坂ランファネ! よろしく〜」

「ランちゃん、ビッキーとえみりんとキョウたんよ」

「あら〜みンなかしけんの子だたのネ〜」

「わたしもランさんがかしけんの先輩だなんてびっくりしました」


 どうやら、ランさん——ランファ先輩は誰であっても参加できるような人だったみたいだ。独特な口調のイメージ通り、明るく絡んでいけるのだろう。


「ランさんの名前、漢字がおしゃれなんよ。見せたげて」

「ほいほいほいっと。これ〜」


 見せてくれたのは『蘭花』という文字。これでランファと読むんだ……。


「ああ、ランさ——平坂先輩。団子の差し入れ、ありがとうございました。とても美味しかったです」

「「ありがとうございました」」


 鏡華さんの発言で至高の胡麻団子を差し入れてくれたのがランさんだということを思い出し、慌ててお礼を言う。ぼくと同じ思考だったようで、枝美里とハモってしまった。


「にゃははは。気にしないでイイのヨ〜」


 音声で聞いていた時は賑やかな人だな、くらいの感想だった。しかし、目の前の蘭花先輩は、よく見るととても美しく、楽しそうに笑うのでグッと心が惹かれるものがある。近づきすぎると燃えてしまう、そんな太陽みたいな奥深さがそこにはあった。


「そいじゃ、これからもよろしくネ〜」

「またやろね〜」

「またね」


 そう言いながら先輩3人は別の場所に向かい、枝美里と鏡華さんも席を立った。誰もいなくなったので、ひとまず部室を見渡してみると、広くなったことを実感する。旧調理室なだけあって教室2個……いや、3個分くらいありそうだ。

 ただ、調理室の割にコンロや流し台は全然なかった。これで調理はどうしてたのだろう。


「ふっふっふ。この部屋が気になってるようだね、響くん」


 不意に話しかけられ、ビクッとなってしまう。いや、流石にただ話しかけられたくらいじゃ驚かなくなったのだが、まさか背後から、吐息がかかるほど耳元で言われるなんて。そんなの耐えられるわけがなかった。しかも——。


「これ全部にぃがやったんだよ、大変だったなぁ」


 やってきたのが丹色先輩である。唯一の3年にしてかしけんで最も弾けている先輩。その発言の内容も弾けていた。


「全部って……」

「コンロや流し台を撤去したり〜準備室の壁壊したり〜壁作ったり〜」


 流石に信じがたい。職人さんでも1人でやる作業じゃないだろう。きっとぼくをからかっているに違いない。


「え〜と、すごいですね」

「……その顔。信じてないな」

「……」


 テキトーな返事をしていたことがバレた。気まずい。チラと目線を動かすと、幸いなことに玖留実先輩と目が合った。助けて! と目でSOSを送る。


「拓斗さん、こんにちは」

「こんにちは」


 SOSを送ったつもりではいたが、まさか本当に来てくれるとは……。ありがたすぎる、玖留実先輩ありがとう!


「玖留実〜聞いてよー! 響くんがね、にぃのこと信じてくれないの〜」

「あら、拓斗さんが?」

「え、いや、北村先輩が部室作ったなんて言うから……」


 玖留実さんに救援を頼んだのはぼくなのに、丹色先輩はさりげなく玖留実先輩を抱き込もうとしていた。おそるべし3年生。年季が違う。なんて思ったけどちょっと失礼だなと反省。


「それ、本当ですよ」

「そうですよね、嘘……え?」


 自分の中だけで反省会をしている場合じゃなくなった。まさかの返答を受け入れる態勢が整っていない。玖留実先輩は虚言でからかうようなことはしないはずなので、つまりは丹色先輩の言うことは真実で——。


「先輩様を信じなかった後輩くんにお仕置きだ〜!」


 そう言いながら丹色先輩はぼくの耳をつまみ、上下右左とぐねぐね動かしてくる。上上下下左右左右ぽちぽち……実際はこんな順序じゃないかもしれないが、たまに親指でくにゅっと押してきたりで多少の痛みの中よりも気持ちよさの方を感じ——い、いや、気持ち良くなんてならないぞ!


「んっ」

「お、ここが良いのかぁ〜」

 

 ほどよい手の温もりがぼくの理性を刺激し続ける中、丹色先輩はさらに手のひらで耳を包み込む。手のひらの温もりがさらにダイレクトに伝わりドキドキが止まらなくなってしまう。


「丹色先輩のおかげで作業はスムーズでした。みんなで一つのことをするのも楽しかったです」

「ん? それって……」

「あらぁバレちゃった」


 ぼくは我にかえり頭をぶんぶんと振って丹色先輩のごほうび……お仕置きから逃れる。1人でやったのは嘘じゃないか!


「たくさんの新入生が入ってくださって、頑張った甲斐があります」

「ほんとにねー。にぃたちに感謝してよね、後輩くん?」


 見栄はバレてもドヤ顔で前に回ってきた丹色先輩。人をおちょくりやがってという気持ちはまぁまぁ、いやかなりあるが、この素敵な部室作りに尽力してくれたのは間違いない。


「ありがとうございます」


 ぼくは深々と頭を下げる。主に玖留実先輩に向けての言葉のつもりで言った。つまらん抵抗だと我ながら思う。でも丹色先輩は満足気だからいいのだ。


「てゆーか、玖留実はいつの間に拓斗呼びなの? にぃも真似しようかな」

「え、いや、それは……」

「わたくしはかまいませんが」


 ただでさえ先輩からの名前呼びは気恥ずかしいのに、丹色先輩から言われるとなれば嫌な予感しかない。勘弁して欲しかったのだが、玖留実先輩は思わぬ助け舟を出してしまった。


「にひひ。じゃあ拓斗くん、よ・ろ・し・く・ねっ」


 もうダメだ、お終いだぁ……。そんな絶望感をただただ名前で呼ばれただけで感じてしまう。


「それで、わたくしに何か御用でしょうか」

「ん? あー、もう大丈夫」

「左様ですか。手招きをなされたので何事かと」


 なんと! 玖留実先輩はぼくのSOSではなく、丹色先輩の招きで来たのだった。全て丹色先輩の手のひらの上だったのだ。もうそう思うことにしよう。



「全員、注目!」


 部長が手を叩きながら大きな声で言う。全員の視線を集めると、話を続ける。


「明後日は顧問の先生を交えて自己紹介を行うから、なるべく参加してくれ」

「入部届、書き終わってたら集めるよー!」

「それじゃ、帰りの支度を始めましょう」


 部長、珠洲巴先輩、真理先輩が見事なコンビネーションで用件を伝え、帰りの時間になる。

 入部届を早速出し、鞄を持つと、肩をつんつんされる。される心当たりはないが、する人の心当たりはある。そのため、不安と混乱が襲い掛かるが勇気を出して振り返る。

 

「あのさ、見た?」


 そこにいたのは、まだふくれっ面の桃先輩だった。何を……と言いかけてやめる。たわわな果実を思い出してしまったからだ。


「えっと、その、いいえ……」

「ほんと?」

「……いや、ほんのちょっとだけ」

「も〜〜〜いやだぁ〜〜!」


 最初は誤魔化そうとしたものの、少し目を潤ませて真っ直ぐ見つめてくる桃先輩に嘘をつくことなんてできなかった。その結果、肩をがっちりと掴まれ、前後にぶらんぶらんと揺さぶられる羽目になる。


「わ〜す〜れ〜て〜よ〜〜〜!」


 そんなことを言っている気がするが、ぼくは返事ができない。ジェットコースター並みにがっちりと掴まれた肩にロデオマシン以上の振動。口を開く余裕もない。力強すぎだろ!


「おい、桃。その辺にしないと拓斗が泡吹くぜ」

「わっ! そっか!! ごめんごめん」


 振動をビタッと止められ、それも痛かった。だが、助かった。ありがとう心愛先輩。


「桃は怪力だからな、気ぃつけろ」

「こっちゃん酷いぃ〜」


 桃先輩が心愛先輩にツッコミを入れようとしたが、心愛先輩はひょいと避ける。空振った桃先輩の腕の動きからは風切り音が聞こえた……気がした。


「こ、これからもお手柔らかに……」

「そんな怖がんないでよー」

「農作業で鍛えた筋力は伊達じゃないぞ」


 どうやら桃先輩は農作業をしているらしい。それでジャムがあんなに……。


「あっ」


 桃先輩、心愛先輩が不思議そうにこちらを見つめながら歩き出す。ぼくはといえば、もらったジャムのことをすっかり忘れていたのを思い出していた。


「大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

「宿題忘れちゃったぁ?」

「それは……多分大丈夫です」


 2人とも、大丈夫ならといった感じで、校門で別れることになった。山の方に帰るのは農業をしているからだったのかな。なんて思いながら駅の方に歩き出す。

 かなりの行列になったかしけんの帰り道。見知った面々の顔になりつつある。と思っている最中に見知らぬ顔を見つける。今日、新たに存在を知った3人のうちの1人。髪の毛が長い人だ。


「拓斗く〜ん」


 せめて名前だけでも聞こうと動き出す前に、丹色先輩が話しかけてきた。


「なんですか?」

「あのね、お願いがあってね」


 いつもよりしおらしい態度の丹色先輩。動こうとした時に声をかけられ不機嫌な感じで返事をしたのが申し訳なくなるくらい。普段とのギャップがすごい。流石にもうギャップ萌えには負けないが。


「明日一緒にがっこ行こ!」

「!? は、はいぃ?」


 丹色先輩は歩いているぼくの前にサッと立って止まり、ぼくの手を取り両手で握ってお願いしてきた。瞳を潤ませて、下からの態度。前屈みになっており、物理的にも下からなので、胸元にも目が……いや、耳を触られた時よりも温かいぬくもりが……。 

とにかく、頭が真っ白になって変なリアクションをしてしまった。


「やったぁ! ありがとう!!」


そう丹色先輩が言う頃には、駅に着いてみんなと別れるところだった。

結局、あの人の名前すらわからないが、るんるんと機嫌が良い丹色先輩を見ながら帰れるのは少し幸せに感じた。


「なんかご機嫌だねえ」


 そう言った枝美里になんでご機嫌なのかは言えなかった。何故か言いたくなかった。



 家に帰り、所用を済ませてリラックスタイム。部長から友達申請が来る。それを受理すると、『メグのこと、ありがとう!』 というメッセージが来た。入部届を出してくれたのかな? とりあえず『どういたしまして』 と返事をする。


 素直になろうとしてくれた恵さんに尊敬の念を抱きながら眠りにつく。

まさか今度は自分が素直になる番だなんて、この時に知っていれば心の準備が——。



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