中にはぎっしり詰まってる(前編)
「よし……準備完了」
お弁当を用意し、洗濯物を干し、諸々を済ませて家を出る。今日はいつもの時間に家を出れた。
土曜日はゲーム三昧で、日曜日はお菓子の師匠の下、練習三昧。たっぷり自分のために時間を使ったので心のリフレッシュは完璧だ。身体は疲れ切っているけど。
「今日から本入部なんだっけ」
お菓子作りのために入ろうとしたかしけん。個性豊かな先輩たちに付き合ってくれていた同級生は果たして何人残ってくれるだろうか。みんな入部してくれたら嬉しいけど。そんなことを思いながら歩いていた。
すると、見覚えのある女生徒が前を歩いていることに気がつく。クラスメイトであり、仮入部仲間であり、最も入部が危ぶまれる人物。恵さんである。
「……うん」
話しかけた方がいいかな、それとも嫌がられるかな。そんな葛藤が口から溢れた。恵さんはお菓子を作りたい人であり、入部してくれるとかなり心強い一方、先輩方の奇行……は良くない表現だな、お茶目な一面に振り回されて大変だった人だ。
ぼくの声かけも迷惑かもしれない、そんな考えが頭を埋める。しかし、こんな時に部長の声が頭に響く。
「勇気を出して話しかけろ。嫌なら部活には入らん」
確かに、人と関わりたくないなら部活にも来ないはず。なんて的確な助言だろう。ありがとう部長。なんで部長の声が聞こえたのかわからないが、頼りになるなぁ。
「早く話しかけないと学校に着くぞ」
おっと、その通りだ。慌てて向かおうとしたタイミングで、声のした方向を見る。考えごとをしていて気づかなかったが、部長の声は脳内に直接響いていたわけではなかった……。
しかし、部長の姿はどこにも——。
「ここだよ、こ・こ!」
目線を下げると部長がいた。天啓にも思えた部長の声はここから聞こえていたのだ。
「メグの確保でチャラにするから、とっとと行ってこい!」
そう言うと部長は、バチンッ! と思い切りぼくの背中を叩いた。チャラにする気ないじゃん……と思いながらぼくは走る一歩手前で急いだ。
「梁木さんっ、おはよう……」
「? おはようございます」
呼吸の乱れたぼくを警戒しながら挨拶を返してくれた恵さん。滑り出しはあんまり良くなさそうだ。
「あの、えーとっ、宿題した?」
「はい、やりました」
「そっかぁ」
「それが何か?」
「いやっ……」
何を話せば良いかわからなかったぼくは、共通の話題をと思い宿題の話を出したが、特に話すことのあるタイプの宿題でなかった。会話って難しいと思いつつ、ぼくはここで勇気を出すことにした。
何を話していいかわからないのは、かしけんの話題を避けようとしたからだ。まずはそこをはっきりさせる! 手のひら型にジンジンとした痛みが背中を押してくれている気もする。
「あの、誤魔化してごめん。かしけんについて聞きたくて」
「ああ、はい。大変な部活ですよね。あんな思いをしたのはかしけんだけでした」
そう言いながらため息を吐く恵さん。期待薄すぎる。やっぱり先輩方がお茶目すぎたか……。
「でも、他の部よりも優しかったですね。やりたいことにもかなり近いし」
「!!」
脈ありな印象も出てきて、ぼくは笑顔が溢れていたと思う。嬉しさが全身を駆け巡る感覚が確かにあった。
「とりあえず、今後の予定次第かな」
「ぼ、ぼくは梁木さんが入ってくれたら嬉しい」
ほぼ同時に言っていた。思わず顔を赤くするぼく。顔の赤さも燃えるような熱さで確かに感じた。嫌になるほど熱いからね。
恵さんはと言えば、苦笑い。とても惨めな気持ちになる。
「……まぁ、その、ありがとう」
ぎこちない笑いで返してくれる恵さんはさっさと教室に行ってしまった。終わった……という絶望感が襲ってくる。おんなじ教室なのに先に行っちゃうって、ねぇ。
失意のまま席に座る。恵さんの方を見てもなんか目が合わない。避けられてる……?
「おはよう響。すごい顔だな」
「おはよう、田口」
朝に話すのは久しぶりの田口。仮入部が終わり、一旦朝練がなくなったのだろうか。
「なんかいつの間にか女子の知り合い増えてるよな、梁木さんも?」
田口はぼくの視線に気づいたのだろう。相変わらずの観察眼である。
「かしけん繋がりでね」
「中学の時もこんなんだったから俺は違和感ないけど……かしけん繋がりは予想外だわ」
「全然悪いところじゃなかったよ」
ぼくの返事に不思議そうな顔で見つめ返す田口。ぼくの話と先輩の話が違いすぎて困惑しているようだ。事件はあったらしいが、少なくとも今のかしけんに問題は——パイ投げとかあったけれども多分ない。
「まぁ武田のお菓子天国とかいうふざけた宣伝の効果もあるかもな」
「お菓子食べる部活だからあながち間違ってないけどね」
「学校のお金でお菓子食べてるってやつ?」
いきなり会話に割って入られてぼくも田口もギョッとする。入ってきたのはクボケンだった。
「珠洲巴さん全然軽音来ないし、かしけんの噂はひどいしで悲しいよ」
「蒼井先輩はちょくちょくかしけん来てるよ」
「学校でバンドは無理そうだなこりゃ」
「蒼井先輩ってバンドもするのか?足が速い先輩だと思ってた」
いろんな分野で話題になる珠洲巴先輩。あの行動力で色んなことに挑戦したんだろうなということが簡単に想像できる。
「足が速いといえば、2年の副会長もすごいよな」
「え、誰?」
「確か磨屋みたいな名前じゃなかったっけ」
「ん? 磨屋先輩……?」
珠洲巴先輩の次は初音先輩が出てきた。かしけんは嫌な噂を流される割に所属生徒は褒められている……よくわからないな。
「その人の何がすごい?」
「伝説の助っ人として崇められてたよ、あらゆる運動部を勝利に導くってさ」
「へぇ〜」
「助っ人に導いてもらうなよ、ウケる」
「それは俺も思ったけどさ、ファンクラブまであるらしくてそこは気にしなくなったらしい」
「ファンクラブ……なるほど」
初音先輩とは出会って数日だが、あの優しさで助っ人としての能力も高ければそりゃファンクラブのひとつやふたつあっても不思議じゃない。ぼくもファンになるレベルだし。
「くぷぷぷ。君たつさぁ、ぶ、文化系のことは何も知らんのだね?」
またも話に割り込まれてぼくも田口もキョトン顔。クボケンは平然としており、学級委員として風格を見せつける。割り込んできたのは眼鏡で小太りの男。名前? 見た目のインパクトしかなかったよ。ごめん。
「何が言いたいんだよ、小池」
小池はきしょ……特徴的な笑い声を上げている。上げるというか堪えるというか。とにかくき……特徴的だ。
「確かに、磨屋初音は美しい華だ。だが、それは運動部の話。文化部には英乙芽という美しさと優雅さを兼ね備えた稀代のヴァイオリニストがいるのだよ」
「いや、俺らはそーゆー話はしてないから……」
「いきなり語り出してんじゃねーぞ」
冷たく突き放したのは田口だった。小池はビクッと肩を震わせる。田口にとっては軽口だが、知らない人からすれば不機嫌と受け取られても仕方あるまい。それに、初音先輩を呼び捨てにされてイラッとしたからいい気味だ。
「ま、まぁ、この学校には才能の塊がたくさんいるよって言いたかっただけで……」
「……チャイム鳴りそうだな」
田口は無視して去っていく。興味がないのだろう。実際、返答に困る内容なので仕方ない。
「じゃ、俺も戻るわ」
クボケンも去っていき、小池もいつの間にか消え静かになる。そんなタイミングで背中を突かれる。振り向くと銀妃さんがいた。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
「紅山さんから伝言です。『後で話がある』とのことです」
「あ、はい……」
それなら自分で話しかけてくれたらいいのに。わざわざ使われた銀妃さんが不憫だ。銀妃さん越しに月緒さんを見ると机に突っ伏して寝ていた。
「……今日はかしけん行きますか?」
「はい、やることを決める日なので」
「え、あれって今日決まるんですか?」
「仮入部期間が終わってからということだったので……」
「あー、確かにそしたら今日だ、今日ですね」
ちょっとした話でもして使いぱしりの気まずさを打ち消そうとしていたら、思いがけない話が聞けた。そっか、今日決まっちゃうんだ。そんなことを思っているとチャイムが鳴るので前を向いた。
あれから、明日は委員会があることなどの説明と、授業を乗り越え昼休みになった。
ぼくのお弁当を狙い、みんな集まってくるが、ぼくにはやるべきことがある。
「あの、一緒にお昼どうですか?」
話しかけた相手は、恵さんだ。相手の気持ちを考えるのは大事だが、それで尻込みしていては拉致が開かない。朝に恥をかいたので、もう怖いものは……あるけどやるしかない。予定が決まってしまうのだから。
「いや、えーと。いいです」
「……」
「やった! よし、食べよう!!」
恵さんの『いいです』は明らかに結構ですの意味だった。思わず黙ってしまったぼく。しかし、その後に続いた枝美里が強引に『いいです』の意味を置き換えた。荒技すぎる。
「……はぁ。パン買ってくるんで先食べててください」
「気をつけていってらっしゃい!」
とてもめんどくさそうな顔で教室を出て行く恵さん。対する枝美里は満面の笑み。
「ちょ、おま、そんな無茶な……」
「だってさぁ、梁木さんて引くタイプじゃん?」
「? だから?」
「押しが足りなきゃ一生掴まらんし」
「それは……違くはないか」
恵さんは確かに自分が嫌でも一歩引くことがあった。仮入部も不安になったらすぐ引いている。その一方で部活に入りたがったり、かしけんに再挑戦したり。だからこその押してダメなら押してみろ、はたして吉と出るか凶と出るか。
「梁木待つなら話してぇことがある、響」
「あぁ、朝の。銀妃さんを使いっ走りにするのは良くないよ」
「伝言くらいいいだろ。ってそうじゃなくて」
銀妃さんは嫌な顔していないので嫌じゃないのだろうが、一応良くないよとぼくの考えを伝えた。顔に出てなくても嫌な可能性はある。銀妃さんの場合はほぼないと言ってもいいとは思うが。
「俺が言いたいのは、副会長についてのことだ」
「初音先輩がどうしたの?」
「武田、もしかして知り合いか?」
「知り合いというか同じ部活の先輩だけど……」
「ええっ!? じゃあかしけんってことなのか?」
「ぼくも会ったよ、かしけんで」
他の面子も銀妃さん以外はうなづく。そして、肩をわなわなと震わせている月緒さんを心配そうに見つめる。初音先輩と何かあったのだろうか。
「あいつ……あの人は俺から大切な物を奪ったんだ……許せねぇ」
「副会長はそんな人じゃないですぅ!」
神妙な面持ちで語り始めた月緒さん。その語りの冒頭で思い切り机を叩き、立ち上がりながら否定する瑠琉さん。結果、その勢いにビビった月緒さんがシュンとしてシリアス語りは終わった。短かった。
「あ、えーと、物を取られたとかそういうのじゃなくて……」
月緒さんは、目を泳がせながら話を続ける。先ほどまでと違い、かなり軽い感じだ。初音先輩と話をしたぼくも、先輩が何かを奪うような人には思えない。強いて言うなら心は奪ってるかもしれない。
「あ、あの人がめちゃくちゃ人気で羨ましかったんですぅぅぅ!」
ほぼ全員からの刺すような視線に耐えられなくなったのか、月緒さんは叫びながら机に突っ伏した。『心が奪われた』は正解だった。嬉しくない。
「初音先輩はそりゃ人気よ、彼女がいれば試合に負けないって勝利の女神だもん」
「以前仮入部した部活でも、話題に出ましたね」
「運動神経が良く、経験者よりも飲み込みが早いってすごいですよね〜」
口々に副会長を褒める枝美里、鏡華さん、微風さん。その度にビクッとする月緒さん。
「副会長はとっても優しくって、わたしみたいな子でもかしけんを紹介してくれる救世主さまなのです!」
黒魔術みたいなことしておきながら救世主はどうなのかと思ってしまったが、瑠琉さんにとって初音先輩の存在はとても大きいらしく、かなり熱が入っている。なんだか鼻も鳴りそうな勢いだ。
「お会いしたことはありませんが、さぞかし素晴らしい人なのでしょうね」
「ぐっ、俺はどうすれば勝てるんだ……? もっとモテたい……」
会ってもないのに銀妃さんの心を動かす初音先輩。普段の行いが良いからだろう。月緒さんが勝つためには……勝つとか言ってる時点で負けているので、腐った性根を叩き直すしかないんじゃないかな。
「多分、相手が悪いよ。勝てない」
ぼくはそのままストレートに伝えた。月緒さんはショックを受け……ていなかった。起き上がり目が合ったが、その目は燃えていた。何か燃える要素があっただろうか? とにかく燃えていた。
「よし、わかった。俺は俺の道を行く。路線が違えば活路が見出せるはずだ」
ショックは受けていないが、勝負の土俵からは降りていた。同じ土俵で戦うには優しさもだが、運動神経の要求値が高すぎる。月緒さんの選択は賢明と言える。ここからは、月緒さんの行い次第だ。
「それにしても遅いですね〜梁木さん」
「パンが買えなかったのでしょうか」
「それなら戻ってくんじゃね?」
「食べる時間がなくなっちゃいますぅ」
「まぁ待ってましょ」
枝美里の待ち発言にぼくもうなづく。ここで食べ始めるのは裏切りと思われかねない。押しに押したのであれば責任は持つべきだ。
「みんなは食べててもいいんじゃないかな」
気を遣って言ったつもりだったが逆効果だったようで誰も食べ始めなかった。結局、しばらくした後に恵さんが戻ってきた。
「よし、じゃあ食べよっか」
「えっ、まだ食べてなかったの?」
「当たり前じゃん、ちゃんと待ってたよ」
「あー……ごめん。先食べてると思って食べてきちゃった」
「あっ、そか。まぁ気にしないで! また明日食べましょ」
残された時間は僅かであったので、ぼくたちはバラけて各自で食べることになった。恵さんの驚きの表情の中に、ぼくらをバカにするような気持ちは見えなかった。少なくともぼくには嬉しい気持ちが含まれているように感じた。気のせいじゃないことを祈る。
それから、授業が終わり、部室へ向かう前にみんなが残りの弁当を食べ始めた。田口は食べ終わらなかったぼくを笑いながら部活に行った。笑われる筋合いはないんだが? なんか悔しい。
恵さんは帰らずにぼくらを待ってくれている。これで帰られていたら最悪だった。良かった。
全員が食べ終え、集合して部室へ向かう。そのタイミングで恵さんが口を開いた。
「あの、ごめんなさい」
「気にしないで!」
「いや……えっと、あぁ、もうっ! 嫌!!」
枝美里の返答はこの場に残る全員の気持ち(だと思いたい)であり、それに対して大声で叫ぶ恵さんにびっくりしてしまう。押し過ぎてしまったようだ。むしろこちらが謝るべきだったんだな。
「おっきな声出してごめん。みんなが嫌なんじゃなくて、素直になれない自分が嫌で……」
恵さんは俯いて話を始める。声は震えており、泣き出しそうなのを堪えているみたいだ。
「人に優しくしてもらうと、どうしていいかわからなくて、恥ずかしくて。嬉しいんだけどそれを伝えられなくて……」
声だけでなく肩も震え始める。恵さんの心の底からの想いに、全員が静かに耳を傾ける。
「変なこと言ったらどうしようとか、受け入れてもらえなかったらどうしようって思うと最初から仲良くしなきゃいいじゃん。そう考えたけどやっぱり仲良くもなりたくて」
「なら、仲良くなっちゃおうよ」
「あなたの全てを受け止める! なんて保障は致しかねますが、互いに全てを受け止める必要もないでしょう」
「鏡華ちゃんは多分、恵ちゃんが何をしても気にしないって言いたいんだと思う」
「何があろうと見捨てるような真似はしないということだろう」
枝美里を始め、鏡華さん、微風さん、銀妃さんが言葉を贈る。ぼくも同じ気持ちだ。例え恵さんが何かしてしまったとしても見捨てるようなことはしない。時には傷ついたり、嫌な気持ちになったりもするだろう。だがそれはお互い様なのだ。だから、事が起きてから対処すればいい。
「ぼくは、梁木さんがしたい、こうでありたいと思うことを我慢してほしくない。かしけんがそういう場所ってだけじゃなく、クラスメイトとして」
「それに、友達としても、だろ?」
「そうですぅ! 恵さんはもうお友達なのです!!」
結局、偉そうな事を考えていても、恥ずかしがり屋なところはぼくも一緒だ。言えなかった最後のキーワードを月緒さんと瑠琉さんに助けてもらった。
それでも、こんな台詞が言えるようになった分だけ成長できた。言いたいことが言えないできない高校生活なんて送ってほしくない。
「うん、わかった。もう遠慮するの、やめる。容赦なく言うし、容赦なく甘える。それでもいいんでしょ?」
「もちろん、こっちも遠慮しないよ?」
「この押しの強さで遠慮してなかったの?」
早速軽口を叩く恵さん。その表情は笑顔だった。目尻はキラリと光っているが、曇りのない笑みだ。
「……今までごめん」
最後にぼそっとつぶやく恵さん。これに反応する人はいなかった、なぜなら、気持ちは伝わっていたからだ。恵さんはわかりやすい言葉や態度には表さなかったけど、ちゃんと気持ちが伝わる顔をお昼には見せてくれていた。
だから、誰も恵さんを責めない。素直になろうと振り切ってくれた今、過去のことは気にしないのだ。




