流るるは情熱の赤(前編)
本話は10話の前編となります。
「あぁ、お弁当作らないと……」
いつもより早く鳴る目覚ましにイラッとしながら起床する。えーっと、枝美里は何が好きだったっけな。記憶をたどりながら料理サイトをスクロール。ほうれん草の肉巻きとかでいいか。でもほうれん草あったっけな……。
そんな感じでいつもより大変な朝の支度。それをきっちり終えて学校に向かう。結構ギリギリになってしまった。だが、その分だけ今日のおかずには自信アリ。ほうれん草はなかった、枝美里すまん。
遅く家を出た分、いつもと景色が違う。数十分の違いだが、街全体が起き始めているような、静かな印象から活動的な印象に変わる。道行く生徒もいつもより足が速いと感じる。時間帯でこんなにも印象が変わるんだな、と思った。
「あぁ、ヤバいヤバい!」
金に染まった目立つ髪を靡かせ、派手な女生徒が走ってくる。かなり焦っているようだ。心配しなくてもまだまだ時間に余裕が……。
「あっ!」
すっかり寝ぼけていた。いつもより遅く家を出たのだから、余裕などない。みんなの足が速いのはぼくの印象などではなく実際に速いのだ。
まずい、このままじゃ遅刻する。時計を見るということも思いつかないほどパニックになり、ぼくは駆け出していた。入学早々遅刻は絶対に嫌だ。
「ほら〜遅刻しちゃうぞ〜!」
なぜか走ってきていた女生徒が煽ってくる。そんな余裕があるのか!? そう考えている間もぼくの足は止まらない。止めてはいけない気がした。
「おーい、待ってよ〜」
まだまだ話しかけてくる女生徒。待ってよってどういうことだろうか。少し落ち着いた頭で辺りを見回すと、歩いて登校する生徒がちらほら。これは……諦めたのか? でもぼくは諦めないぞ! とさらに踏ん張って走る。
「待ちなさい、そこの……響くん?」
今度は目の前から静止される。止めてきたのは静穂先輩だ。先輩が遅刻だなんて意外だな、そう思いながら止まる。そこは校門だった。もう学校に着いていたのだ。
「まだまだそんなに急ぐほどの時間でもないだろう。いや、のんびり歩くほどでもないが。走ると危ないからせめて早歩きくらいで登校してほしい。遅刻したくない気持ちはよくわかるが、怪我をしたら元も子も……おはようございます! あぁ、元も子もないのだから」
「すみません……」
「まぁ、わかってくれたらいいんだ。私も謝ってほしいわけでは……おはようございます!」
静穂先輩は登校してきた生徒に挨拶する。風紀委員の仕事で立っていたのだ。学校の時計を見るとまだ5分ほど時間がある。こんなに走らなきゃよかった……疲れと注意された恥ずかしさで気が沈んでいく。
「キミ足速いんだねぇ!」
落ち込んで教室に向かえず立ちすくんでいたぼくに、先ほど声をかけてきた女生徒が話しかけてくる。息を切らしてもないので、そこまで走らずとも間に合ったようだ。
「いやぁごめんね、にぃが焦らせちったよね、まさかあんなに慌てるなんて」
「まぁ、でも、間に合ったんで……」
この人が煽らなきゃ……という思いは強い。なので、謝られたところでそこまで気持ちは晴れない。ただ、教室に向かわなきゃ全部無駄になるな、と重い足をなんとか進ませ——。
ムギュっと柔らかい何かが背中からぶつかってくる。肩から首に手がまわって、いい匂いが……。背中から腕から心地よい温かさがじんわり伝わってふわぁぁ、と幸せな気持ちになる。
「ぎゅうううう! はい、お詫びのハグ、じゃあね!」
パッと離れて走り去るさっきの女生徒。ぼくの方は思考が全く追いつかず、立ち尽くす。え、一体、なぜ、あ、温かったなぁ。余韻が重い気持ちを綺麗さっぱり消し去る。
「響くん、このままじゃほんとに遅刻してしまうよ。なんでまだこんなところで……」
「わ、わぁ!」
荷物を持った静穂先輩が校舎に向かうところだった。ぼくは再び恥ずかしくなり、走って教室に向かった。後ろからぼくを注意する声が聞こえる気もする。
「拓斗、めずらしく朝遅かったじゃん」
「息を切らして入ってくるなんて、寝坊か?」
あの後、ギリギリ遅刻せず間に合い、今朝の出来事が良くも悪くもフラッシュバックする中で授業を受けた。そして、何気なく昼食を一緒に食べるため席を動かす枝美里と月緒さんに話しかけられているのだ。
「誰かさんが弁当のおかずを狙うから……」
「そんな言い方、そよちゃんがかわいそうでしょ」
「お前に言ってんだよ!」
軽い嫌味くらいはひょいとかわす枝美里。悔しい。
「こうして集まると賑やかですね」
「みんなで食べるとおいしいですぅ」
後ろの席の銀妃さんに瑠琉さんも合流する。
「気づいたら倍近く増えるのでびっくりですよ」
「友だちの輪が広がってますね〜」
鏡華さん微風さんも来て1―2のかしけん全員集合だ。同学年の友だちすらできるか不安だったのに、クラスにこんな人数の仲間ができるなんて。もっとも、彼女らとはほぼ知り合ったばかり。ここからさらに仲良くなるらなきゃ仲間でいられないぞ、と気合いを入れ直す。
「昨日で2人が入ってくれて、1年生だけでもだいぶ賑やかになったよね」
「今日まで仮入部ですから、私のように直前で来る方もいるのではないでしょうか」
「もし来るのであれば、温かく迎えてあげたいですね」
「鏡華めっちゃかしけんの人じゃん」
「私もかしけんでやりたいことができましたから」
「アンケートのやつですね!」
女子がこれだけ集まると、さすがの一言。ぼくが口を挟む暇もない。弁当を食べ始める隙もない——と思っていたら微風さんがお弁当を食べながら会話に参加し始めた。食べていいんだ、とみんなが同じようなタイミングで食べ始める。
早速、枝美里の箸が伸びてきて、ぼくのおかずをさらう。鮮やかな誘拐の手口である。だって別の話しながらなんだぜ?
「あのアンケートかぁ。私も色々書いたし、まだまだ書くつもり。わぁ、おいしー!」
「あれ何書いていいのかわからねぇんだよな。んじゃ、いただきます」
枝美里の感想を聞き、即座にぼくのおかずをいただこうとする月緒さん。ぼくはそれを無抵抗で受け入れる。結果として、よく染みてそうな大根を手に入れた。嬉しい。ありがとうお母さん(他人)。
「お菓子にこだわらず書いても良いのではないでしょうか。では、こちらを——これは面白いですね」
銀妃さんは丁寧な箸使いでこちらにおかずを分けてくれたので、弁当箱をサッと差し出す。これが本来もらう側の姿勢だろ、と枝美里に視線をやるが弁当に夢中だった。
「わたしは運動なんかしてくれると助かるなぁって。師匠、いただきます……ってこれは美味しそうな卵焼き」
いつの間にか微風さんの師匠になっていた。お弁当箱を差し出しながら言われたのでぼくも差し出す。そして、微風さんのおかずが美味しかったのでサムズアップで伝える。ちょっと照れたのがかわいい。
「わたしはパワースポットに行ってみたいって書きました!今日こそどうぞ!」
瑠琉さんはそう言って弁当箱からタコさんウインナーを取り出す。崩れてない瑠琉さんの弁当を見るのは初めてだ。かわいらしいサイズでかわいらしく盛り付けられており、女児……女の子といった感じだった。
「この流れ……乗らぬわけにはまいりませんね。では、どうぞ」
無駄のない洗練された所作で弁当を差し出す鏡華さん。これではまるでぼくがおかずを献上させているように見られてしまうだろう。ただでさえ女子に囲まれて浮いているのに。しかし、これを受け取らないわけにもいくまい。自分の弁当箱を差し出しながら受け取る。鏡華さんのおかずは鮭で本来受け取りづらい物だが、ちゃんとほぐして分けてくれていた。細かい気遣いが光る。早速食べてみると、ものすごくおいしい。とても良い鮭を使っていることが一口でわかる。
「おいしい……」
「私は作ってもらっていますから。響さんや銀妃さん、それに微風さんのように自分でおいしく作れるのはすごいと思います。特に響さんの卵焼きはカニカマが挟まっていて面白い」
「ふーん、みんな交換したのか。じゃあ、はい。どうぞ」
真っ先におかずを強奪した枝美里だったが、罰が悪くなったのかお弁当箱を差し出してきた。肝心のおかずは昨日枝美里のお母さんが作り置きしてくれた麻婆豆腐の残りだ。見た目だけでなく、主婦としてのレベルも高い。昨日食べた物だが、美味しいからいいかと少しもらう。味は安心信頼の——。
「辛っ! えっ!? み、水!」
全然違った。美味しいは美味しいが、それより強烈な刺激が痛みとして舌を、口全体を激しく襲う。口から火が出そう。とゆーか口の中が燃えている。灼熱だ。
「あわわ! た、大変! 響さん、はい、お茶……わぁ!」
慌てた瑠琉さんがコップにお茶を入れてくれたのだが、袖が机に引っかかり、思い切りお茶を被せられる。
「おいおい大丈夫か、ほらこれ」
「泣きっ面に蜂ですね〜」
月緒さんがサッとぼくの水筒を取ってくれ、さらに微風さんがお茶で濡れた顔を拭いてくれる。
「あ、ありがとう」
「床や鞄はあまり濡れてないですね、本当に災難な……」
「あー私好みに味変してたの忘れてたわ、ごめん」
「ほ、ほんとに、ごめんな、しゃい……」
さすがの枝美里もびしょ濡れになったぼくに追撃しなかった。瑠琉さんも泣きそうになりながら謝罪をする。楽しかったお昼の時間が一瞬で暗い雰囲気に。
「春日野さん、気にしないで。微風さんほんとありがとう。もう大丈夫」
気まずい沈黙。こんな時、どうすれば良いのか全くアイデアが出ない。どうする……。
「あ、あの。体育着に着替えたらどうですか」
沈黙を破ったのは、見覚えのある女生徒。クラスメイトなので見覚えはあって当然なのだが。目立つ感じではないので印象に残っていなかった。名前なんだっけ……。
「梁木さんのおっしゃる通り。ちょうど5限も体育ですのでちょうど良いかと」
「あ、そうじゃん。早く着替えなきゃ! ごちそうさま!」
枝美里の挨拶を皮切りに各々席に戻っていく。ぼくもサッと着替えて梁木さんにお礼を言いに行く。幸い、自席で待機してくれていたので助かった。
「あの、アドバイスありがとう」
「いえ、私はただ席を返してほしかっただけなので……」
「あぁ、勝手に使っちゃってごめんなさい」
みんなでお昼を食べるのに周りの席を使っていた。一言断りを入れたら良かったと今更反省。
「パンを買いに行ったら自席が使えなくてびっくりしましたがいいんです」
「あっ、ほんとごめんなさい……」
「大丈夫ですよ、ちゃんと食べられたので」
多大な迷惑をかけていたことがわかり、着替えて戻り始めた体温が再び下がり始める。
「あの……」
「まだ他にもご迷惑を……?」
「いえ、そうではなく。お願いがあって」
まだ迷惑をかけていたのかと絶望しかけたが、違うらしい。良かった。しかし、お願いというのは何だろう。予想できない。もう少し静かにしてくださいとかなら泣いちゃうな。
「放課後、部活に連れて行ってくれませんか」
「えーと……いいですよ」
「では、お願いします」
全く予想外のお願いだった。うちのクラスには歩くスピーカーの枝美里がいるのになんでぼくに頼むのか不思議だ。銀妃さんもそうだが席が近いからかな。新入生が増えるのは嬉しいが、ちょっとした違和感は気になってしまうものだと物思いに耽っていると背中を突かれる。
「早く行かないと遅刻しちゃいますよぉ?」
こうして、瑠琉さんに連れられて校庭に向かったのだが、途中、瑠琉さんが派手に器用に転び、てんやわんやして遅刻した。なんであんな転び方して怪我一つないんだ……。運が良いのか悪いのか。
「いやぁ〜運動は気持ち良いですね!」
体育が終わって教室に戻る途中、微風さんが満足そうな顔でみんなに話しかける。話しかけられた面々はお昼一緒だった組。それとぼくの隣に田口がいる。
「そよちゃん、運動できるんですね」
「運動できるの、すごいですね……私は……」
疲労困憊の面々。元気そうなのは微風さんの他には田口と銀妃さんだった。
「練習に比べたら足りないくらいだぜ」
「サッカー部未来のエースは頼りになるねえ」
「体育祭は期待してくれていいぜ」
「女子の方は……期待しない方がいいかも」
胸を張る田口。消極的な枝美里。女子の方はということはそんなに運動できる子がいなかったのかな。別々だったのでわからない。
「体育祭といえば、次は委員会決めですね」
「体育祭実行委員だったか。他にもちょこちょこあったよな」
「体育祭実行委員はゆずらねぇぜ」
銀妃さんの話で思い出した、委員会。月緒さんの言う通り、なんかちょっとずつあった。田口はやる気満々だがぼくはどうしよう。やるかやらないかから悩むが、やらなくていいんだっけ?
「あれってさー。絶対入らなきゃダメなの?」
「誰かがやらなくてはいけないそうですが、全員参加するほどの委員会はないはずです」
「わたしは図書委員になりたいですぅ」
「それは……頑張って」
「いいや、図書委員には私がなるね!」
どうやら強制ではなさそうだ。しかし、瑠琉さんに枝美里が図書委員の候補か。それなら、ぼくも立候補しようかな。瑠琉さんは心配だし、枝美里の本のチョイスは……ありとあらゆる戦国関連になるだろう。創作、歴史、考察、あるいはビジネス本まで。本屋に行くとあらゆる本棚で反応していた。
話しながら教室に戻ると、着替える余裕がなくなっており、そのまま委員会決めが始まった。まずは学級委員から決めていく。
クボケンが学級委員、田口が体育祭実行委員、微風さんが美化委員、鏡華さんが選挙管理委員に選ばれた。
そして、図書委員。かなりの人数が希望した。男子はぼくともう1人立候補したが、じゃんけんで勝った。問題は女子だ。なんと立候補者4名。枝美里、瑠琉さん、月緒さん、梁木さん。月緒さんは意外だった。本に興味があったなんて。見た目で人を判断するのは良くないなと反省。
熾烈な争いを勝ち抜いたのは——月緒さんだった。月緒さんか……委員会での仕事を月緒さんと一緒にこなす想像をする、想像できない……。少しもできなかった。ちゃんと仕事してくれなさそうな普段の言葉遣いと、優しすぎる行動がコインの裏表のようにどっちが出るんだろうというところまでしか考えられない。
「響、よろしくな」
「うん」
2つ後ろから話しかけてきてくれた月緒さん。なんにせよ、悪い人ではないのだし、なんとかなるだろう。若干の不安はあるが、来週月曜日の委員会活動、頑張ろう。
「くっそ〜。図書室を戦国時代にしたかったのに」
「わたしも中世ヨーロッパにしたかったですぅ」
「残念だったな、俺がバブルの時代にしてやるぜ」
どうして梁木さんが負けてしまったのか。見た目通りあまり本に興味がなさそうで泣きたくなったが、まぁただのな軽口かもしれないし……。
「あの……響さん、そろそろ行きませんか」
スッと隣に梁木さんが現れびっくりする。約束は覚えていたが、たまたまた梁木さんのことを考えていたのでタイミングに驚いた。
「は、はい。行きましょう」
「あれ、拓斗どこいくの?」
「ん? 部室」
「梁木さんも一緒?」
「うん」
「じゃあ一緒に行きましょ」
枝美里がサッと荷物をまとめ、部室に向かう支度を整える。ここまでは梁木さんも反応がなかったが、瑠琉さん月緒さんに加えてクラスのかしけん部員が全員集まると、少し狼狽えていた。
「あ、あの。これ全員——」
「みんなかしけんです」
「こんなに増えたの……」
「他のクラスにもいますよ」
そう言うと、さらに驚く梁木さん。良い噂を聞かない部活であることは重々承知しているので驚かれてもしょうがないか、と思う。でも、行きたいって言ってくれたのにという違和感もあった。
「梁木さんもご一緒なのですね」
「は、はい」
「梁木さんは図書委員になって何がしたかったの?」
「特には。ただ、どんな本があるのかすぐわかると便利かなと」
「そっか〜。好きな本のジャンルとかないの?」
私は戦国! と胸を張る枝美里。梁木さんについては全く知らないのでぼくも興味がある。
「えーと……あ、推理物とか」
「いいですね、推理物。私は刑事が主人公の方が燃えます」
「探偵さんが主役じゃないのもあるんですか〜?」
「はい、探偵でなくとも推理はできますから」
「へぇ〜」
そうなんだ〜というような相槌を打ったのは梁木さん。好きなんじゃなかったの? という疑問の眼差しから目を逸らしている。何やら秘密が色々ありそうだ。ぼくの中で、印象が『おとなしい』から『ミステリアス』に変わっていく。
「そういえば梁木さんは調理部の仮入部でお会いしましたね」
「調理部って何してたの」
「調理の準備です」
「簡単な事しかしないので見切りをつけました。梁木さんは?」
「一回しか行ってませんが、なんか違うなぁと」
曖昧な理由なので、今日かしけんを気に入ってくれるだろうかと気になる。是が非でも来てほしいと思わなくなるくらいたくさんの新入部員が来たかしけん。ぼくの考え方もすっかり贅沢になってしまった。
「さて、部室に着いたぜ。ほら、梁木」
月緒さんが梁木さんに扉を開けるように促す。ところが、梁木さんは先ほどまでのごく普通な雰囲気から一変、震える子犬のような弱々しい感じに。あれ、この姿、なんとなく見覚えが……。
「い、いや。その扉は、えーっと。そう、あなたが開けて」
「え? まぁいいですけど」
梁木さんのご指名で扉を開ける羽目になったぼく。扉を開ける緊張感か、懐かしいな。面接やら拳銃やら……ん? 拳銃……。
「あっ——」
扉を開ける最中に思い出した、梁木さんとはすでに会っている。しかも2回。それを言おうとする前に、開けた扉から爆発音と共に何かが飛んできた。ぼくは息をすることができなくなる。その場に倒れ込み、みんなの悲鳴がこだました。
ぼくの口から赤いものが流れ落ちる。




