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第七章 悲しい裏切り

 街灯だけが照らす薄闇の夜。

 真っ暗な空から、静かで冷たい雨が降り注ぐ。

 曼珠堂の店先には白い門灯が掛かり、店の中の本棚は綺麗に隅に寄せられ、その上から白黒幕が掛けられている。居間を祭壇にして、遺影と仮位牌と棺が二つずつ。

 店の中に並べられた椅子には、まだ白い物が髪にもヒゲにも混じっていない喪服姿の巌と、幼い頃の駿が座っていた。

 巌は、言葉無くうつむき、駿は、ただ泣いている。

 静かに、むせび泣いている。

「駿、あまり泣いていると、父ちゃんと母ちゃんが安心してあの世に行けなくなるぞ」

「いいよ……行かなくていいよ……」

 巌は、唇を噛みしめて幼い駿を抱き寄せた。

 先ほどまでは、僧侶が通夜のお経をあげる中、幾人かの知人や、駿の担任、クラスメート達が親と一緒に焼香を上げに来ていたが、今は皆帰り、静まり返っていた。

 孫と祖父、二人きりのあまりにも寂しいお通夜であった。

「あの、すみません、増岡です」

「浅井です」

 不意に、店先からそんな女性二人の声が続けて上がった。

 巌は、立ち上がって振り返る。

 と、そこには、若い夫婦が小さな女の子を挟んで立ち、その後ろに、若い女性が小さな男の子と手を繋いで立っていた。

 幼い奈那と、その両親。後ろに立つのは、幼い武志と母親であった。

「先ほどは、お焼香をありがとうございました」と、巌は深々とお辞儀をし、不思議そうな顔をして言葉を続けた。

「……で、なにか?」

 答えたのは、奈那の母親であった。

「担任から、駿くんはお祖父様以外には身寄りも無く、今夜のお通夜も二人きりだと聞きました。もしよろしければ、お通夜に参加させていただけないかと思いまして、こうして戻って参りました」

「いや、そうでしたか――しかし、駿と二人きりだと思ってましたので、何の準備も……」

 すると、武志の母親が言う。

「お気になさらないでください。準備はわたくし共の方で致します。それよりも今は、駿くんの事を考えてあげてください。両親が二人そろってトラックに跳ねられ亡くなるなんて、わたくし達大人でも信じられませんのに、駿くんのショックはもっと大きい事でしょう。今は、少しでも人に囲まれている方が、よろしいかと思います」

「何よりも、子供達が気になっているようで……」

 付け加えるようにそう言ったのは、奈那の父親であった。

 幼い奈那と武志は、振り向きもせずに泣いている駿の背中を心配そうに見詰めている。

「本当に、お気を使わせてしまって申し訳ない……」

「気になさらないでください。ご近所のよしみじゃありませんか」

 奈那の母親は微笑んで言うと、武志の母親と早速のように通夜の料理の準備に取り掛かった。

 巌はすぐに店の真ん中に長机を出してテーブルクロスを広げると、奈那の父親と一緒に酒の用意を始める。

 そんな中、奈那と武志は駿の下に駆け寄っていた。

「駿くん……」

 心配そうに見詰める武志。

「駿くん、大丈夫…?」

 奈那が訊く。

 駿は、顔を伏せたまま小さく首を横に振る。まだ泣いていた。

「駿くんママと駿くんパパ、かわいそうだったね。でも、奈那は駿くんが一番かわいそうだと思う」

 駿は、泣き濡れた顔をほんの少しだけ上げた。

 そんな駿の手を握り、奈那は言う。

「だからね、奈那、駿くんのママになったげる。それで、武志くんはパパになるの。武志くん、いい?」

「あっ、うん」

「これからはね、駿くん、ママとパパに言いたい事があったら、奈那や武志くんに言って。そうしたら、少しだけさびしくないって奈那は思うの。駿くん、わかった?」

「うん……」と、駿は小さく頷く。

 すると奈那は、もう片方の手で武志の手を握り、

「武志くん、駿くんと手繋いで」

 と、言う。

 言われた通り、武志は駿と手を繋ぐ。

 幼い三人は互いに手を取り合い、そこには小さな輪が生まれた。とても小さいけれど、硬く結ばれた輪――

「これで奈那たち三人は、いつでも一緒」

 そんな奈那の満面の笑みに応えるように、

「うん、一緒だ」

 と、武志も笑顔を作った。

「ありがとう……」

 そう呟くように言って、駿はようやく顔を上げて椅子から立ち上がった。その目は真っ赤で、まぶたも腫れていたが、雨雲の隙間からやっと顔を出した太陽のような笑顔だった。

「じゃあ俺は、ヒーローになる! マンガとかテレビみたいなヒーローになって、みんなが俺みたいにならないように守る! 奈那母ちゃんも武志父ちゃんも、俺が守ってやる! 俺たち三人は、ずっと一緒だ!」

 巌は、コップに入った酒をぐっと飲み干し、その様子を嬉しそうに眺めていた。



 閉じたまぶたの隙間から、朝の光が薄っすらと差し込んだ。

 あゆ美は、ゆっくりとベッドから体を起こす。

 と、頬をつたう何かに気付き、手で拭った。

 その時、自分が泣いている事に、あゆ美は初めて気が付いたのだった。

「夢…? 違う……今のは、駿さまの記憶……」

 あゆ美のテレパス能力は、無意識の内に駿の幼い頃の記憶を見せていたようであった。

「あんな事が、あったなんて……」

 駿の両親がすでに他界している事は当然知っていたが、それ以上の事は知らなかったし、聞く気も無かった。誰かが触れて良い部分ではないと思っていた。

 あゆ美は、駿の日記を盗み見てしまったような罪悪感を抱いた。

 だが、駿の心の痛みも自分の事のように伝わり、同時に、駿、武志、奈那の三人が、どれだけ強い絆で結ばれているのか、駿が、武志と奈那をどれだけ大事に思っているかが手に取るように理解出来た。

 ――決して、壊させやしない…!

 あゆ美は強く心に思う。しかし……

 ――でも、何だろう……何かが引っ掛かってる……

 駿の記憶に、何か説明のつかない違和感を覚えた。

 と、そこに、ドアの向こうから跳ねるような駿の声が響いてきた。

「あゆ美ちゃん! 起きてる!」

「はい!」と、考え込んでいたあゆ美が慌てて返事をすると、駿は更に声を跳ね上げて言うのだった。

「さっき学校から電話があったんだけどさ、昨日の事で今日は学校休みなんだって! だから今日は武志と奈那も誘って遊び行こうぜ!」

「はい、すぐに支度します」

 あゆ美は、さっきまで気になっていた違和感はとりあえず忘れる事にして、明るく返事をしたのだった。


 それから、何事も無く三日の時が流れた。


 あの騒動が嘘だったかのように、紗月高校は日常を取り戻していた。

 あゆ美も学校に慣れ、奈那や織姫以外の女子の友達も多くなった。「携帯電話という物は、どうすれば持てるのですか?」と、奈那に聞くほどだ。

 駿は相変わらずあゆ美の事で緑川や竹内とじゃれあっているし、そんな様子に武志は呆れた笑顔を作っている。

 奈那も相変わらず部活に励み、そんな奈那をマネージャーの織姫は、いつも楽しそうに眺めていた。

 そんな日常の、いつも通りの放課後。

 駿、武志、あゆ美の三人は、通い慣れた住宅街の坂道をゆっくりと登りながら、楽しそうな笑顔で会話をしていた。

「そう言や、あゆ美ちゃん知ってた?」

 言い出したのは駿であった。

 あゆ美が不思議そうな顔を向けると、駿は更に面白そうに言うのだった。

「緑川と竹内、今度ファンクラブ作るらしいよ」

「あの二人ならやりそうだ」

 と、武志が苦笑して答える。

 しかし、当の本人はいまいち良く判ってないようであった。

「ファンクラブって、どなたのですか?」

「あゆ美ちゃんに決まってんじゃん」

 その途端、あゆ美は顔を真っ赤にしてうつむいた。

「そんな、ファンクラブなんて、困ります……」

「困ることなんてねーよ。あゆ美ちゃんも、楽しんじゃえばいいんだからさ」

「はあ……」

「あの二人、なんだか色々とイベント考えてるみたいだしさ。もちろん、あの二人が何と言おうと俺も参加するしね」

 意気揚々と語る駿が、一番楽しみにしているようである。この性格で祭りごとが嫌いなわけがない。

 駿の様子に、あゆ美もなんとなく楽しみなってきて微笑んだ。

 そんなあゆ美に、武志は笑顔で言うのだった。

「学校って、楽しいでしょ」

「はい。いつまでもこんな楽しい事が続いてほしいって、いつも祈ってます」

「そうだよね。いつまでも続けばいいよね……」

 笑顔のあゆ美に武志もそう答えたが、その顔からは笑顔は消えていた。

 一抹の不安が、武志の脳裏を過ぎっていた。

 この三日間、あまりにも静か過ぎるのである。

「武志さま……」

 あゆ美は、武志に不安な面持ちを向けたが、武志が口を開いた相手は駿であった。

「ねえ駿、あれからおじいさんは何か言っていた?」

 駿は首を振った。

「何度か訊いてみたけど、『オマエは心配するな』の一点張りだよ」

「おじいさんは、どうしても僕達を関わらせたくないみたいだね……」

 難しい顔を作る武志。

 すると、駿は武志の胸を軽く叩き、アッケラカンとした顔をして言うのだった。

「そんなウダウダ考えたってしょうがねーよ。来るときゃ来るんだ」

「駿らしいね」

 武志は、少しだけ肩の力が抜けたように薄く微笑んだ。

 その時だった。

「駿! 武志! あゆ美ちゃん!」

 三人を呼ぶ声が背中から上がり、三人は同時に振り返った。奈那が制服のまま駆けて来ていたのだった。

「奈那、オマエ部活は?」

「それどころじゃないよ!」

 奈那は、血相を変えて声を上げる。どうやら学校から走ってきたらしく、背中に汗をにじませ息を乱していた。それでも奈那は、叫ぶように三人に告げたのだった。

「また、学校で生徒が倒れた!」

 その言葉と同時に、駿とあゆ美は言葉も無く息を呑む。

 傍らで武志が、その童顔に似つかわないほどの鋭い目つきで小さく呟いた。

「噂をすればか――来たみたいだよ、駿」

「ああ……」

 駿は、厳しい面持ちで浅く頷く。

「でもね、前の時とは違って、全員が倒れたわけじゃないの。部活で学校に残っていた生徒が十人くらい。あとは、先生が四人」

「どういう事だ…?」と、武志が独り言のように呟く。

「それでも、みんなに知らせた方がいいだろうと思って学校抜け出してきたんだけど、そしたらさ、町の人達まで倒れ始めてて――」

「町の人達まで…!」と、あゆ美が予想外だという顔で声を上げる

「それでアタシ、もしかしたらと思って携帯のテレビ点けたら――これ見てっ!」

 奈那は、握り締めていた携帯電話のディスプレイを三人に見せた。その瞬間、三人は我が目を疑った。

 ニュースは、東京で次々と人が原因不明の昏睡状態に陥っているという事を語っていた。

 しかし、三人が驚愕したのはその報道にではない。映っていた映像にであった。

 映像は、報道ヘリから映された渋谷上空。

 ヘリは、騒然としている渋谷駅前を映し出し、そこから原宿駅へと向かっていた。

 が、その先が、原宿から先が無いのである。

 何も無い。ただ、真っ白い空間。

 虚無と言うべきか……

「なんだよこれ! だいたいこのニュース、なんでこの白いもんの事はシカトしてんだよ!」

「気付いてないんだ。ビックベンと同じだよ」

「アタシ達は、これを持ってるから何ともないんだ……」

 奈那は、グレッグからもらったタリズマンをポケットから出し、見詰める。

 と、そこに駿の携帯が鳴った。駿は、すぐに携帯をポケットから出して開けると、同時に受話器に向かって叫ぶように声を上げた。

「じーちゃん!」

『その様子だったら、もう知っているみたいだな』

「俺たちは、どうすればいい?」

『とりあえず東間の屋敷に来い。この屋敷には、俺が一騎の能力を抑え込む為のフィールドを張り巡らしている。ここならアイツも手出しは出来ん』

「わかった」と、答えて携帯を閉じると、駿はすぐに武志、奈那、あゆ美の三人に言った。

「じーちゃんが、あゆ美ちゃんの家に来いって」

「よし、急いで向かおう」と、武志が答える。

 しかし、そこで奈那が自分の携帯を見詰めながら口を開いた。

「ごめん。アタシ、後から行く。なんか、今ヒメからメールが入って、帰宅途中に気分が悪くなって歩けないって。助けに行かなきゃ」

「大丈夫か?」

 駿は、心配そうに奈那を見詰めたが、奈那は笑顔で返事をした。

「大丈夫。王子様からもらった御守りがあるもん」

 奈那は、手に持っていたタリズマンを駿の前にかざすと、「じゃ、あとで」と、すぐに坂を駆け下りて行った。

「奈那さま、本当にお気をつけください」

 背中越しに聞こえたあゆ美の声に、奈那は走りながら手を振った。



 紗月町の商店街は、まるで戦争でも起きたかのような騒ぎとなっていた。

 救急車両のサイレンと住民達の悲鳴があらゆる場所から聞こえ、至るところで人が倒れている。救急隊員や警察官などを含めた無事な人間達が、倒れた人達を介抱していた。

 そんな様子の商店街を駆け抜けながら、奈那は織姫の姿を探し続けていた。

「ヒメ! ヒメーっ!」

 と、横道に沿れた路地裏から、弱々しい声が微かに聞こえてきた。

「奈那ちゃん、こっち……」

「ヒメっ!」

 奈那は、声にすぐに気付き、路地裏の方に足を向けた。

 そこには、道端でヒザを抱えてうずくまっている神崎織姫の姿があった。

「ヒメ! 大丈夫!」

 奈那は駆け寄り、織姫の肩を抱きかかえた。

「なんだか、突然こんな騒ぎになっちゃって、先生も帰るようにって言うから帰ろうと思ったら、気分悪くなってきちゃって……」

「うん、とりあえず帰ろう。家まで送ってあげるから」

 奈那は織姫に肩を貸し、立ち上がらせようとした。しかし、織姫は体に力が入らない様子で、すぐに腰を折ってしまった。

「ごめん、奈那ちゃん。なんか、眩暈しちゃって、ダメみたい……」

「そうなんだ……」

「頭の中からね、何かがすっぽり抜けちゃった感じがして……」

 奈那の脳裏に不安が過ぎった。

 ――もしかしたら、事件の影響かも……

 奈那は、ポケットからタリズマンを出し、織姫に持たせた。

「これね、すごく強い御守りなの。眩暈なんて、すぐに吹き飛ばしてくれるから」

 その瞬間であった。

 織姫は、素早くポケット中からメモ用紙を出し、奈那の目の前にかざした。メモ用紙には、升目の中に不規則に並んだアルファベット。

 アブラメリンの魔法陣であった。

「ヒメ…?」

「使い魔よ、この者の魂を捕らえよ……」

 瞬間、奈那は気を失い、その場に崩れ落ちた。その胸からは、無数の小さな黒い蛇が寄生虫のように湧き出てきたのだった。

「ごめんね、奈那ちゃん……」

 織姫は立ち上がり、悲しげな瞳で倒れている奈那を見下ろした。



 住宅街のなだらかな坂道を登って行くと、いつの間にか立ち並んでいた民家は、緑深い並木へと取って代わってゆく。そこを抜けた所に、東間の屋敷の門は、突然現れた。

「ぷはーっ、久しぶりに見ても、やっぱバカらしいくらいデッケエなぁ!」

 駿は、塀と門を見上げ、そんな呆れた声を上げた。

 レンガを高く積み上げた白い塀も、美しい花の彫刻が施された木目調の門扉も、駿の身長の三倍はあるのだから無理もない。

「本当にね……」と、武志も呆れた顔で門を見上げていた。

 駿も武志も、この場所に来たのは小学五年生のとき以来だった。好奇心に駆られ、奈那と三人で来たのだが、それも一度きりである。

 しかし、紗月町に住む人間としては、別に珍しい事でもなかった。

 東間の屋敷までは一本道であり、その先は無いのである。行き来する者と言えば、屋敷に勤める使用人達と出入りの食品業者くらい。町と関わりを持たない上、外から中を一切うかがう事の出来ない造りになっている東間の屋敷になど誰も近付かないのだ。

「しっかし、あゆ美ちゃんは、こんな所からよく抜け出せたね」

 感心するような顔を向ける駿。

 だが、あゆ美は顔を伏せ、気まずそうに答えるのだった。

「向こうに、お手伝いさん達や業者が出入りする通用口がありまして……その扉の内側には、いつもカギがぶら下がっているものですから……」

 そのカギを持ち出して抜け出てきていたようであったが、たったそんな事でも、正真正銘の箱入り娘であるあゆ美にとっては、きっと一世一代の悪事だったのだろう。

「そっか、通用口か。そっちに回った方が早そうだな」

 駿は、門が開く事を待ちきれないように、せっかちに一人向かい始める。

 が、そこで武志がすぐに呼び止めた。

「その必要は無いみたいだよ」

 巨大な門が、音も無くゆっくりと内側に開き始めた。

 と、その向こうには、目を見張るような光景が広がっていた。

 広大な庭に敷き詰められた美しい芝生。いくつもの彫刻が庭の道を彩り、その先には、石造りの美しい噴水が水を踊らせている。更にその先、遠目に東間の屋敷は見える。いや、屋敷と言うより、ヨーロッパのバロック様式風に作られたそれは、すでに宮殿と言っても過言ではない様相を呈していた。

「話には聞いていたけど……」

「……すげえな、こりゃ」

 二人は、夢でも見ているかのように呟いた。

 開ききった門の先に一人、篠田が立っていた。

「お帰りなさいませ、あゆ美お嬢さま」

 と、深々と頭を下げる篠田。そんな篠田に、あゆ美は早速のように口を開いた。

「婆や、駿さまのお祖父さまは、もう来ていますか?」

「はい、河本巌様、それにシーファス=C=グレッグ様とミシェル=シラカワ様も、すでに屋敷の大広間にて、お待ちでございます」

「お二人もでしたか――わかりました。すぐに向かいましょう」

 あゆ美が言うより早く、篠田は屋敷に向かって歩き出していた。



 篠田と共に三人は、広大な庭を通る道を歩いて行く。屋敷まで辿り着くのに、徒歩でおよそ二十分と言ったところだろうか。

「遠いなぁ……」

と、駿は思わず溜め息交じりに呟く。

「普段は、車で行き来するのですが……」

と、答えながら、あゆ美の脳裏には、なぜ迎えの車がいないのか?、という疑問が浮かんでいた。

それだけではない。これだけ広大な庭であれば、毎日の手入れも一日掛かりのはずだ。それなのに、庭師や使用人が誰一人として見当たらないのである。

あゆ美は、不可解な顔で篠田を見たが、篠田は前だけを見詰めていた。

ようやく屋敷まで辿り着き、篠田は玄関である大扉をゆっくりと開ける。

同時に、駿も武志も感嘆の息を漏らした。

「豪華絢爛とは、まさにこの事だな……」

 駿は思わずそんな言葉を漏らす。

 屋敷の内部は、天井にも壁にも色鮮やかな彫刻や絵画が彩られ、白く美しい大理石の柱が立ち並んでいる。美しい巨大なシャンデリアが煌々と照り、廊下にもロウソクを象った照明がいくつも並んでいた。外観以上に内装は、まさに宮殿の様相であった。

 テレビや写真でしか見た事の無いそんな光景に、駿と武志は溜め息を漏らすしかなかった。

 しかし、そんな二人をよそに、あゆ美は更に不可解な顔を篠田に向けていた。

「婆や、他の人達は? お手伝いさん達はどうしたの?」

ここも庭と同様、静まり返っていたのだ。

篠田は、顔だけ振り返らせ答えた。

「皆には暇を取らせました。とにかく今は大広間の方へ……」

「わかりました……」

 あゆ美は、今までに無いくらいの厳しい表情を作るのだった。

 篠田は、そのまま正面に見える扉へと向かい、またゆっくりと開ける。

 と、そこは大広間と言うだけあって、ダンスホールのような広い空間が広がっていた。内装の彩りは、大きな窓や鮮やかなカーテンが加えられた事により更に美しさを増し、中央にはアンティーク調の長いテーブルと椅子が広げられている。そこに、巌、グレッグ、ミシェルの三人はいた。

「やっと来たか」

 と、巌は立ち上がり駿たちに近寄ると、すぐに一人足らない事に気が付いた。

「駿、奈那ちゃんはどうした?」

「アイツなら後から来るよ。おーちゃん――神崎が帰宅途中に調子が悪くなったらしくって、それを助けてからこっちに来るって」

「そうか。何もなけりゃいいんだが……」

 怪訝な顔をする巌に、後ろからグレッグが声をかけた。

「あのタリズマンがあれば問題は無いでしょう。それより――」

 グレッグは、駿、武志、あゆ美の三人に顔を向ける。いつもの紳士然とした笑みは、そこには無かった。

「現在、何が起こっているかは、君達も大体判っている事だろう。しかし、その実、中身は君達の……いや、我々でさえ予想だにしなかった事態となっている」

「まさか、原宿から先が無かったり、突然人が倒れたり、これも全部あゆ美ちゃんの兄貴の仕業だって言うのか…?」

 ここに来るまでの間、駿たちも住宅街を走る救急車両は何度も目にしていた。

「その通りだ、河本駿。いわゆる未曾有の危機というやつだ」

 グレッグは携帯電話を開き、そこに映るある映像を三人に見せる。

「この映像は、我々のクライアントである王家から先程送信された衛星写真だ」

 三人は、同時に息を呑んだ。

 東京全体を映し出した衛星写真。だが、真ん中の部分だけに、白い霧のような物が掛かっている。

「時間が無い、端的に話そう。日本時間の十五時十七分の時点をもって、東京都新宿区は消失した」

「ちょっ、ちょっと待ってくれよ! 意味わかんねーよ!」

 駿は、反射的な勢いでグレッグに迫り寄った

「中の人達は……新宿の人々は無事なのですか!」

 あゆ美も、普段からは想像もつかない様子で取り乱したが、グレッグは冷静な目で、

「まあ、落ち着きたまえ」

 と、携帯電話をしまいながら言葉を続けた。

「我々が取得した情報に因れば、現在倒れている人々は皆、新宿で生まれ育った区民ばかりだ。恐らく、新宿の記憶が抜け落ちた事により、過去、現在の記憶までも失い、自意識を見失った状態となっているのだろう。だが、身元を調べれば新宿区という地名は出てくる。更なる混乱が予想される、というのが現在の状況だ」

「消失の現場にいた人達は…?」

 と、今度は武志が訊いた。

「残念ながら判ってはいない。しかし、生命エネルギーが消えたような様子も無い。だとすると『新宿区民はあの霧の中に閉じ込められている』と、考えるのが自然だろう」

「どっちにしろ俺達は、一騎を抑えない限り、手も足も出ないって事だ」

 続けて巌はそう言うと、あゆ美一人に目を向けた。無表情に、しかし、その目の奥に鋭い眼光を含ませて……

「あゆ美嬢ちゃん。そろそろ話してもらえるか?」

「ちょっと、じーちゃん! なんであゆ美ちゃんなんだよ!」

 だが、声を上げる駿に巌は何も答えない。

 続けてグレッグも、巌と同様の目つきをあゆ美に向けた。

「あゆ美嬢。言うまでもない事だが、ビックベンの時も、我々が一騎に攻撃を受けた時も、今の新宿区のようにはなっていない。つまり、あの霧のような物は発生していないんだ」

「嬢ちゃんなら、よく判るだろう? あれは、思念の力が強すぎる為に視覚化されたフィールドだ。嬢ちゃん以外に、あんなマネが出来る能力者を俺は知らん。あの力は、東間玲子がもっとも恐れていた力――嬢ちゃんと一騎の力が重なり合った時の力なんだよ」

 あゆ美は、深くうつむき、唇を噛み締め、何も答えようとはしなかった。

「なんだよなんだよ、二人とも! あゆ美ちゃんがあんな事するわけねぇじゃねーか!」

 駿は、あゆ美をかばうように祖父とグレッグの前に立つ。だが、やはり二人は何も答えず、ただ、あゆ美だけに鋭い視線を向けていた。

 と、不意に、「あゆ美お嬢さま……」と、篠田が口を開いた。

「婆や……」

 あゆ美は、今にも泣き出しそうな顔で篠田を見詰める。しかし、そんなあゆ美に篠田は、表情無く告げるのだった。

「先程、旦那様から連絡が入りました。屋敷を破棄し、すぐにお嬢さまをロンドンに寄越すようにと――これ以上、一騎に関わらせるな、と……」

「お父様は、全てご存知なのですね……」

「そうでなければ、東間家に入り、当主を務める事などかないません」

 あゆ美は、両手で顔を覆った……

「こんな――こんなはずじゃなかった。だって、一騎兄さんは……」

 言いかけた――その瞬間だった。

 庭の方から、凄まじい爆発音が響いた。一つや二つではない。連続していくつもの爆発音が響き、立ち昇る煙と粉塵は窓からも見えた。

「まさか!」

 何かに気付いたように巌が声を上げた時、大広間の窓ガラスが大音響と共に割れ、黒いガスマスクを被った黒尽くめの男達がなだれ込んで来た。

 手にしていたのは、銃身の短い黒いサブマシンガン。

 ガスマスクの男達は、その銃口を一斉に巌、グレッグ、ミシェルの三人に向ける。

 が、それより早く動いていたのはグレッグであった。すでに懐から抜いていた『白銀の短剣』で、瞬時に床へ五芒星を切る。

「大天使ウリエルと大地の精霊達よ――アァァグラァァァッ!」

 光が、床に大きく広がり走る。なだれ込んで来たガスマスク達は、指一本動かす事が出来ず、必死にもがいていた。

「なんだコイツらは! バーノンには兵隊まで居たのか!」

 巌が叫ぶ。その顔には、焦りが見えていた。

 と、次の瞬間、更に数人のガスマスク達がサブマシンガンを構え、窓からなだれ込んで来た。

「なめるなよッ!」

 瞬間、巌は両手を左右に広げる。

 ガスマスク達は全員天を仰ぎ、その場に崩れ落ちた。

 しかし、新たなガスマスク達が、第一波、第二波以上の数で窓の外から向かって来ているのが見えた。

「くそッ! キリがねえ!」

 巌が怒鳴る横で、グレッグもシェリルに声を上げた。

「ミシェル! あゆ美嬢達を頼む!」

 ミシェルは、すぐさまあゆ美と篠田、それに駿、武志を守るように自分の背中に回す。その後ろで武志も、訳のわからない顔をして立ち尽くす駿を守るように身構える。

 そして巌は、再び両手を左右に広げ、迎え撃つ姿勢を取った。

 しかし、グレッグは一人、怪訝な顔を作っていた。

 ――なんだ? 奇襲にしては攻撃があからさま過ぎる……

 同時に、オフィスに攻撃を受けた時の記憶が脳裏を駆け巡った。

 巌が、左右からの集団に力を使おうとした瞬間、グレッグは叫んだ。

「ミスターッ! 本命の攻撃は正面だッ!」

 だが、それより早く大広間の扉が蹴破られ、三人の黒いガスマスクが同時に巌に躍りかかった。手には、漆黒のアーミーナイフ。殺傷能力だけを追求した真っ直ぐに長い刃が、三本同時に巌の喉元を襲う。

 左右の敵に気を取られていた巌は、完全に隙を突かれた形だった。

 身構えるには遅すぎた――

 ――が、次に全員が見た光景は、三本のナイフに喉元を刺し貫かれたグレッグの姿であった。

 巌をかばい仁王立ちになっているグレッグの喉元から、三人のガスマスクは同時にナイフを引き抜く。

 噴き出した鮮血が、美しいまでに磨き上げられた床を赤く染め上げた。

 グレッグは、「無事でよかった」とでも言いたげに、いつもの紳士然とした笑みで巌に振り返り……

 ……自らの血の海に沈んだ。

 駿、武志、あゆ美の三人は、何が起こったかもわからぬ様子で茫然と立ち尽くし、篠田は、あゆ美の肩を抱く手に、思わず力が込める。

 だが、ミシェルは動かなかった。愛するグレッグの死に様を前にしても眉一つ動かさず、グレッグに言われた通り、四人を守る形を崩さずにいた。

 唯一人、巌が怒りの叫びを上げた。

「貴様らッ!」

 巌は両手を前に突き出し、凄まじいまでの眼光を放った。グレッグを刺した三人は、断末魔の絶叫と共に崩れ落ちた。

 その時、開け放たれた大広間の扉の向こう――玄関から、薄ら笑う声が聞こえてきた。

「酷い事をしますねぇ。その三人、二度と正気に戻る事は無いのでしょう?」

「一騎ッ…!」

 巌が、殺気を込めてその名を呼ぶ。

 だが、一騎の薄ら笑いは消えない。あたかも勝ち誇っているかのように……

「まったく、貴方達は面白いくらいに、こちらの作戦通り動いてくれましたね」

「バーノンの入れ知恵か……」

「ええ――新宿で騒ぎが起きれば、僕の能力を一番恐れている貴方達は必ず、僕の能力を抑え込むフィールドが張り巡らされたこの屋敷に逃げ込む。そこに、兵隊を送り込み、一網打尽にする。あの高校での出来事などで、こちら側が三人だと思い込んでいた貴方達には、想像も出来なかった事でしょう?」

「今や、その兵隊どもに俺のフィールドも壊され、俺達は袋のネズミということか……」

「そういう事です。貴方が張り巡らしたフィールド。それを十年ものあいだ維持するには、何らかの触媒が必要になる。それが、この屋敷の外壁だと言う事は判っていた事ですからね。全て取り壊させてもらいました。ここ最近は、毎朝足しげく屋敷に通い、フィールドを強化していたようですが、全てが無駄だったという事ですよ」

「そこまで知ってるって事は、ずっと張り付かれてたって事か――老いたな、俺も……」

「そうです。監視されている事にも気付けない貴方など、ただの老いぼれです」

 一騎は、さも嬉しそうに高く嘲り笑う。

 その嘲笑に駿が「てめぇッ!」と、声を上げたが、同時に巌は、再び一騎を睨む目に殺気を込めた。

「……だがな、この場に居る奴らを皆殺しにするくらいの力は、まだ充分にあるぞ…!」

「わかってますよ」

 一騎の嘲笑は消えない。

「かつては軍事基地をたった一人で壊滅させた伝説のテレパス能力者を相手にあなどるつもりなど、僕にもバーノンにもありません」

 言って、一騎は玄関の大扉の影に潜んでいた人物を招き寄せた。

「……なので、保険を取らせてもらいました」

 姿を現した人物は二人。

 一人は、宗教服のような金の刺繍が入った黒いローブを着込み、フードを深く被った人物。

 もう一人は、夏用のセーラー服を着た少女――後ろ手に手錠を掛けられ、夢遊病者のような表情を作っている。

「奈那ッ!」

 駿が叫ぶ。だが、奈那は何の反応も示さなかった。

「人質か…!」

 巌が憎らしげに呟く。

 その後ろで、駿はフードを深く被った人物に怒鳴った。

「おいコラッ! てめぇ、奈那を放せ!」

 駿の横では、武志が今にも飛び出しそうな勢いで身構えている。

 すると、その人物は、おもむろにフードを取った。

 ツインテールに黄色のリボンをしたアイドルのような顔立ちの少女――

 ――神崎織姫が、無表情の中に冷たい瞳だけを浮かべていた。

「おーちゃん…? なにやってんだよ、おーちゃん!」

 困惑した顔をしつつ、駿は前に出て叫ぶ。

 その途端、織姫は様子を一変させた。

「やめて……ヒメをその名前で呼ぶなぁーッ!」

 アイドルのような顔立ちに、憎しみに満ち満ちた鬼の表情が浮かんだ。

「おーちゃん…?」

「使い魔よ、あの者の魂を捕らえよ!」

 奈那に使ったアブラメリンの魔法陣を、織姫は駿に掲げた。

 駿は、体のみならず、内臓を丸ごと鷲掴みにされたような感覚を覚え、体を震わした。

「駿ッ!」

 巌が叫ぶ。

 織姫は、未だ鬼の表情のまま、クラスメートを冷たく睨み続けていた。

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