プロローグ
バカで直情的な少年が活躍する、SFあり、オカルトあり、美少女あり(笑)の冒険活劇です。
新しいものと言うよりは、一昔前の少年漫画(?)みたいな出来です。
そういうのがお好きな方は、どうぞお読みになってみてくださいましm(_ _)m
最初に、音がした。
高いとも低いとも言えない、かと言って中音域というわけでもない。言うなれば『この世のありとあらゆる音を凝縮させた集合体』とでも言おうか。
ネオンきらめく西新宿。
その一画にある五階建ての雑居ビルの上で、小さな耳鳴り程度に響いていたそれは、段々と大きくなるにつれて黒い渦を作り始めた。暗雲のように天を覆い始めるその様は、まるで獲物を絞め殺そうとする蛇のようにも見える。
今や、とぐろを巻いた巨大な黒い音の蛇へと変化したその異形は、突如牙を剝き、異音の咆哮を上げて雑居ビルに襲い掛かった。屋上のコンクリートの床に降り注ぎ、一直線状に出入口の鉄製の扉を打ち破って階段を駆け下り、五階の一室へと音速で向かって行く。
だが、向かった先の部屋の扉は、まるでそれを待ち構えていたかのように白銀の光を放った。音の蛇は光に弾かれ、大きくのけぞる。それでも蛇は、狂ったように幾度と無く白銀の光に襲い掛かった。
「来たようです」
宝石のようにきらめく西新宿のネオンの明かりだけが窓から照らす、薄暗い小規模のオフィス内。
白銀の光を放ったドアの内側には、こんな想像だにしない事態にも関わらず、至極冷静な口調の女性が居た。
欧米人とのハーフらしい顔立ちをしたその女性は、女として完成された素晴らしい流線型のボディラインを黒いスーツに包み、しなやかに立っていた。掛けている縁なしのメガネが、どこか上品な色香を醸し出している。
「私が祓いに出ましょうか?」
艶のある茶色のロングヘアをかき分けながら、女性は、まるでお使いにでも行くような口調でそんな事を言い、後ろを振り返る。
と、そこには、木製の大きなデスクを前にして、足を組んで座る白人男性の姿があった。
デザイナーでも感嘆の息を漏らしそうなくらい着こなした縦縞のベルサーチのスーツ。
オールバックにキメた金髪の髪。
背後にある窓から差し込むネオンの光を、まるでスポットライトのように浴びて、薄く微笑んでいるその容貌は、まるでハリウッドスターさながらである。
その男性は、流暢な日本語で答えた。
「君の気孔術でも簡単に追い返せる相手ではなさそうだ。ドアに張ったミカエルの護符が、さっきから悲鳴を上げているからね」
音の蛇の侵入を防いでいる白銀の光の中心には、幾何学模様のようなものが掘り込まれた真鍮版が見えた。それが、男性の言うミカエルの護符という物のようであった。
「悪霊退治は僕の仕事だ。任せてもらおう……」
そう女性に告げて男性は椅子から立ち上がると、オフィスの中央に立つ。それから、スーツの懐に手を入れ、小さな銀色の短刀を取り出した。短刀には、見慣れない文字が刻印されている。男性は、その短刀を手にしたまま、一変して真剣な面持ちで再び口を開いた。
「敵の使っている術式は、アブラメリンマジック第三章『霊を蛇に変える魔法陣』と見る。この異音から察するに、悪霊の正体は音の悪魔ペイモンとその眷属……」
女性は、相変わらずの美しい姿でしなやかに立ち、黙って聞いている。
「二分だ。護符もその辺りが限界だろう。ニ分経ったらドアを開けてくれ」
「了解しました」
そう女性が頷くと同時に、男性は短刀を頭上に掲げ、目を瞑る。すると、短刀の剣先には、ぼんやりとした光の球が出現した。
「アテェェェ……」
男性は、聞いた事の無い言葉で声を震わせながら短刀を額に当てる。その声は大気をも震わせ、一瞬にして部屋に響いていた異音をかき消した。同時に、光の玉は頭頂部に吸い込まれる。
と、何もないはずの男性の頭上からは、黄金の光が降り注いだ。
続いて男性は、
「マァルクゥトゥ、ヴェ、ゲェェブラァァ……」
そう唱えながら短刀を右肩に当てる。すると、やはり何も無いはずの右側からも黄金の光が走り、そして男性の体には、光り輝く黄金の十字架が刻まれた。
「今だ!」
しかし、女性がドアを開くよりも早く、真鍮で出来たミカエルの護符が高い音を立てて割れ、ドアが弾かれるように開いた。音の蛇は、すでに怒号と変わった叫びを上げて部屋になだれ込む。常人であれば、気の狂いそうな大音響であった。
だが、男性は不敵な笑みを浮かべていた。
「英国紳士は静かな夜を好む。オマエには早々にお引取り願おう」
牙を剝く音の蛇に向かって、男性は短刀を突き立て、剣先で中空に五芒星……ペンタグラムを切るように描いた。
「イクス・アル・ペイ・エヘイェ・オーローエーバーアーオー……」
次第に、短刀の光が増してゆく。同時に、その背中には白銀の翼が現れる。音の蛇は怯み、男性は最後の言葉を唱えた。
「テトラグラマトンより連なる四つの聖なる神の名と大天使ラファエルの名を持って我は命ずる……邪悪よ、退け!」
短刀から放たれた光は、一迅の風のように音の蛇を吹き抜け、塵の如く吹き飛ばした。
その次に聞こえていたのは、あの悪霊が放っていた異音に比べれば子守唄のような西新宿の喧騒だけだった。
「お見事です」
女性は男性に、にこやかに微笑む。
だが、男性は怪訝な表情を浮かべていた。
「妙だ。突然襲って来たにしては、気配も攻撃も、あからさま過ぎる……」
その言葉に、女性からも笑顔が消える。
と、本当に信じられない異変は、ここからであった。
建物全体が、突如として小刻みに揺れ始めたのである。
「地震…?」
女性が険しい顔でそう言ったが、男性は首を横に振った。
「いや違う……この感じ、サイキックだ」
「建物ごと? まさか…!」
「そのまさかだ。奇襲攻撃を失敗したかのように見せ掛け、本命は正面から。奴が考えそうな姑息な戦略だ」
「迎え撃ちますか?」
女性は、鋭い視線を放つ。しかし、それとは対照的に男性の方は、苦笑を浮かべて答えた。
「いや、相手の居場所が特定出来ない限り、ここは逃げるが勝ちだろう」
「了解しました」
そう言って女性は薄く微笑んだが、次に取った行動と放った言葉は、信じがたいものだった。
「では、グズグズしているヒマも無さそうです。ここから行きましょう」
女性は、オフィスの窓を開け放ったのだ。言うまでも無く、ここはビルの五階である。
しかし男性は、窓から吹き込んでいた夏の夜の涼やかな風のように微笑み、
「任せよう」と答えた。
「行きます……」
女性は男性の手を握り、そのまま男性と共に美しい新宿の夜景が輝く空へとダイブした。
凄まじい風圧が二人を襲う。風が二人のスーツを舞い上げる。それでも女性は、落ち着き払った顔で右手を地上に向けると、意識を地上に集中させた。そして……
「ハッ!」
女性の赤く柔らかな唇から気合いが発せられた瞬間、二人の体は何かに押し返されたかのように重力に逆らい、落下スピードが一瞬で消え去った。同時に、アスファルトが直径一メートル程の大きさでアルミ缶のようにくぼむ。二人は、その中心に、せいぜい平均台からジャンプしたくらいの涼しい顔で降り立ったのだった。
「相変わらず、君の気孔術はエレガントだな」
「しかし、道路を壊してしまいました。セーブしたのですが……」
「市民に怪我人さえ出なければ問題は無い。日本政府へは、我らが敬愛する王室が何とかしてくれるだろう」
「また、人の悪い事を……」
「人が悪くて結構。愛する君が責められるなど、僕には耐えられないからね」
「嬉しい……」
二人は手を取り合い、瞳を輝かせて見詰め合った。
第三者が赤面しそうなくらいの愛を見せ合う二人だったが、その背後では、あの地震の信じられない結末が展開されていた。
先程まであったはずの雑居ビルが、まるで夢だったように忽然と姿を消していたのである。それだけではない。二人が神業のように降り立った様子にも、くぼんでしまったアスファルトにも、周囲を行き交う人々は誰一人として気付いてはいなかったのだ。
「消失させるだけではなく、フィールド能力まで使ってきたか。あの事件の時より更に力を増しているな……」
「あの強力な護符の加護を打ち破ったアブラメリンの術者も気になりますわ」
「そうだな。あの魔術をあれだけ使いこなせる術者など、世界に何人居るかだ。興味深い……」
感心するように答える男性ではあったが、その顔には疲れが見えていた。
「……やっかいな相手になりそうだ」
「そのようですね……」
女性は、掛けた縁なしのメガネを直しながら、無表情に答えた。
全ての出来事を見ていたのは、煌々と美しく輝く満月だけであった。
「さて、あの月はどちらに微笑んでいるのやら……」