3 剣の街
ヨフは真っ直ぐに走った。女の表情が驚愕に代わる。その脚力が明らかに人間のモノではなかったからだ。
時速百キロ超での疾走。
その足は斑のある黄色の毛皮に覆われていた。チーターのそれと化していた。
蹲っていた女がはじかれたように立ち上がる。追随して刀を振るう。ヨフが跳躍。女の身長の二倍の長さを誇る銀色の死神が、寸前までいた空間を水平に断つ。空中で右手を大きく後ろに回す。遠心力を存分につけて振るったのは、灰色の体毛に覆われたあきらかに人間のそれではないサイズの大腕。クマ科の動物の物だった。女の体が沈み長刀を握った利き腕と逆のほうを掲げた。脇差が握られている。刀身の上を大熊の腕が滑っていく。完璧な受け流しだった。勢い余って女から少し離れた場所に着地。着地点に長刀が閃く。後方に跳んで一先ず回避する。距離が離れた。
「わお。いまの防ぐ?! すごいなぁ」
「てめえこそなんだその体、おもしろすぎるだろ」
女が理解不能な物を見た顔になる。
「獣の魔法」
再びのヨフの突進。長刀が迎撃する。しかし今度女は手元を絞り、途中で斬擊を止また。同じように跳躍で避けようとしたヨフに向けて、斬擊の軌道が無理矢理に斜めに変わった。だがそれでも届かない。大鷲の翼が生えたヨフが揚力を掴んで、刀の軌道から外れる。それから一瞬で翼が消え、女のほぼ真上に落下する。
チーターだったヨフの足が、象のそれへと変わる。
「っ……?!」
巨大な灰色の足が地面を穿つ。あまりの重量に地面が揺るぐ。女は転がるようにしてなんとか避けた。腹が軋んで激痛が走るが、歯を噛んで堪えた。重すぎる象の足が解術され、腕が再び大熊に変わる。
「死ね……!」
女の斬撃は大熊の腕より数段速かった。
ヨフの左腰の少し下から二の腕にかけて、銀色の光が走った。血の飛沫が舞い散る。死の半円が内臓と両肺を駆け抜けた。大熊の腕が人間のそれに戻る。
「……は?」
刀の一閃が起こした変化はそれだけだった。そのまま飛びかかったヨフは女の両腕を押さえ、地面に引き倒す。斬れたはずの体には血の一滴も滲んでいない。女は引き離そうともがくが、内部がなにかに変化しているのか、まったく敵わない。子供の力ではありえなかった。
「なんだよそれ。治癒魔法か?」
「いいや、獣の魔法で人間の形を取り続けてるんだ。切った端から元の人間の形に戻るから、傷がなくなる。どちらかと言えば復元能力だね。有り体にいえば僕は不死身なんだよ」
「反則だな」
「ぶっちゃけそうだね。他にもいろいろ便利な魔法なんだよ。さっきみたいな戦い以外にも梟の目を作って闇の中でも視界が効くようにしたあり、狼の耳で聴力をよくしたり。でも斬られると思わなかった。君、めっちゃ強いね」
「自分を負かした相手に言われても嫌味にしかきこえねーよ」
愉快そうに笑う。
無理に動いたせいか、腹の傷が裂けて血が流れ出している。そろそろ死ぬだろう。
「あ、そういえば名前聞いていいかい?」
「ルピルルーレだ」
「変わった名前だね」
「この街じゃあ普通だよ」
女が目を閉じた。
刀を握る手から力が抜ける。
「ありがとよ。少し満足した。世の中にはあたしより強いやつがいるんだな」
全身から力が抜けていく。
彼女の命が終わろうとした。
腹の失血は止まらない。
「ルピルルーレか。長いからルピーでいいや」
こともなげにヨフが呟いた。
そして次の瞬間、ルピーの体が異様な光を放った。何か異様な力でルピーを構成していた肉と、その傍らの長刀と脇差が圧縮されていく。もしまだ痛覚が残っていたなら、痛みで死んでいただろう。
光が止んだあとには、一羽の小鳥がそこにいた。
「……は?」
ルピーは小さい目玉で自分の姿を見る。
どこからどう見ても鳥だった。生前のかっちょいい (自称)女剣士の姿はどこにもなかった。そして目の前には異様に大きいヨフの姿がある。
「は?」
「いやー、この魔法、難しいんだよね。失敗したらどうなることかと思ったよ」
えっと?
あたし、鳥にされた?
ルピーはテンパる。わけがわからない。何が目的かもわからない。たぶんこれも、「獣の魔法」の一部なのだということだけが理解できる。
「丁度道連れが欲しかったんだよ。これからよろしくね!」
「いや、おまえ、なにしてくれてんの?」
「使い魔がご主人さまにお前とか言っちゃダメだよ」
目の前で手が叩かれる。俗にいう猫だまし。人間だった頃ならなんてことはなかっただろうに、ものすごい衝撃と音が近くではぜた。耳の奥が揺れる。
(殺してええええ!)
しかしいまルピーの両手足はあまりにも頼りない。武器となる刀は握れすらしない。ただの羽だ。攻撃できそうなのはせいぜい嘴くらいのものだ。
「それじゃ、一緒にいこうか」
「ふざけろ!」
ヨフはにこにこと笑うだけだった。
「制限時間つきだけど、たまに人間に戻してあげれるからとりあえず命を拾ったと思いなよ」
おもちゃにされるよりは、死んでいたほうがよっぽどマシだ!
ルピーは悲鳴をあげた。
けれど堂々と聞こえない振りをされた。
「そのうちきっと銃の街に復讐する機会があるよ」
ヨフは言った。
しばらく考えたあと、ルピーが短く舌を鳴らす。舌打ちのつもりだったのだろうが、さえずりにしかならなかった。
「嘘ついたら針千本飲ますぞ? 比喩じゃなくて」
「えー、やだなぁ」
「そこは嘘でも約束しとけよ……」