World end maneater
一人が派手に音を立てて接近してきてもう一人の音を隠しているのだ。とライベアスは判断した。木の葉や泥を塗って体臭を隠しているらしく、完全に察知はできないがどこかにもう一人いる。
ライベアスから二十歩分ほど離れた場所で馬を止めて、元来た方向へ馬を返した少女がゆっくりとこちらに歩いてくる。
「ライベアスさん、で間違いありませんか?」
少女の声は緊張で裏返っていた。
ライベアスには彼女に見覚えがない。つまり少女は“二十七人の英傑”ではない。幾分拍子抜けしつつ、「ああ、そうだ」と答える。少女はため息をつき、腰に下げた剣を抜いた。
「クーレン=ライカーと申します。あなたの討伐の任務を受けました。……いざ」
「貴様、俺を舐めているのか」
「さあ?」
挑発的な言動もひくついた喉で言えばまったくもって挑発になっていない。クーレンはどうして自分はこうなんだろうと自虐的な気持ちになる。ああもう、さっさとはじめてしまおう。戦いを始めてしまえば、どうせ緊張なんて感じる余裕もなくなってくる。そう思って、仕掛けた。
「“蹴”の魔法」
クーレンが地を蹴る。土煙を巻き上げるほどの爆発的な脚力によって一瞬で加速し、二十歩分あった距離が一瞬で詰まる。ライベアスは不意をつかれたものの、掌を突き出して“挫”の魔法を使い、クーレンを地面に押しつぶそうとする。クーレンは挫の魔法の発動する寸前に、跳んだ。頭上から一気に剣を振り下ろす。
(鋭い、が、単純すぎる)
右手を振って剣の腹を叩く。横合いを殴りつけられたクーレンが空中で失速し、致命的な隙を晒す。そこへライベアスの左手がまっすぐに伸びる。爪の一撃がクーレンの腹部を捉える、はずだった。
が、何もない空中を蹴ってクーレンは右へと逃げた。そしてまた何もない空を蹴って停止、剣を振るう。ライベアスは転がって逃げる。
(なるほど、そういう能力か……)
ライベアスの挫の魔法は掌から上には効果範囲がない。自由に空を飛翔できる類の能力とは、相性が悪い。
とはいえ、クーレン=ライカーは大した使い手ではない。純粋な剣技や体術で言えば、英傑の一人である吾妻雪見などに遥かに劣る。魔法の相性が悪くともなおライベアスに優位があるだろう。しかしそれはクーレンだけを相手にするならばの話だ。
おそらくどこからか狙撃手がライベアスに狙いをつけている。頭上を飛び回るクーレンに苛立ち、総力を持って食らいつけば、狙撃手がその隙を逃さずにライベアスを撃ち抜くだろう。根競べになる。
普通に考えればライベアスが有利。この手の身体強化系の魔法は使い手の心身に多大な負担がかかる。ただクーレンの疲労を待って、隙が生まれたところを突けばいい。それならば狙撃に対する余裕を持ちながらクーレンを倒すことはそう難しいことではなくなるだろう。
しかしライベアスは遥か後方で脱出に取り掛かっている悪魔達のことも気にかけなければならなかった。ライベアスは自分が囮になって兵力を割かせることで脱出の手助けにするつもりでいたが、自分に割かれた英傑が狙撃手――おそらくは“射手”ラクシェイム――ただ一人だけでは計算が大幅に狂う。リスクをとってでも最速でクーレンを倒すべきか。
「……」
ライベアスはわずかに迷ったが、このままクーレンの疲労を待つことを選んだ。自分の感知範囲をすり抜けて後方に出た人間の数は決して多くはないはずだ。そもそもこの街道を用いずに大きな兵力を通すことはできない。ならば仲間を信頼する。この場所を放棄してまで仲間の援護に向かうべきではない。そう判断した。
少し離れた樹上から隙を伺っていたラクシェイムは、クーレンの戦いぶりに多少感心していた。もしかしたら一分も持たないんじゃないだろうかという不安があったのだ。クーレンからすればなぜそんな戦いに自分を駆り出したのかと小一時間は問い詰めたいところだろうが。
ラクシェイムは手の中の金属製の黒い筒をライベアスに向けたままじっとスコープを覗く。銃だ。どこから入手したのか知らないが軍から支給されて、何回かの試射の後に使い物になると判断して持ち込んだ。弓矢を構えるよりも百倍は楽だなぁとラクシェイムは思う。弓を構えたまま膠着した戦況を眺めるのは、弦を引き続ける右腕の筋肉が非常に辛かった。その点、この銃というやつはただ獲物の隙を待ち続けることに全力を費やすことができる。
十数分スコープを覗いて待ち続けていると、大腿部が内出血で真っ赤に染まったクーレンがついに足を滑らせた。ライベアスがその隙を逃さずに食らいつく。クーレンが咄嗟に上空に退避しようとしたが、ライベアスの爪が靴に引っかかった。指先の膂力だけでクーレンの上昇が止まる。「っ……」挫の魔法によって足から先に膨大な圧力が掛かり、クーレンは地面に引き倒されようとしていた。ラクシェイムの射線とクーレンと、ライベアスが一直線に重なる。ラクシェイムが引き金を引いた。撃鉄が雷管を叩き、火薬が炸裂。火薬の威力を受けた鉛製の弾丸が、銃口から吐き出される。“貫”の魔法の力を帯びた弾丸は空気抵抗を無視して疾走する。ラクシェイムは放たれた弾丸が、クーレンごとライベアスを貫くことを確信していた。
その確信は、射線上にほとんど突然現れた影によって裏切られた。
「?!」
悪魔ワークワイルが、鉱物の体を街道の石畳と同化させて潜んでいた。跳躍したワークワイルが弾丸に向けて、指先から長く伸びる剣を振るう。バキンと鋭い音がした。魔法を帯びた弾丸を受けたワークワイルの剣が、貫かれて粉々に砕け散る。その代償として、弾丸はわずかだけ軌道を歪めた。ライベアスの心臓を射抜くはずだった弾丸はクーレンのわき腹とライベアスの右肩に命中した。致命傷ではない。舌打ちしてラクシェイムは一も二もなく森の中へ逃げ出す。凄まじい速さでワークワイルがラクシェイムを追う。追いつかれる。走りながら後方に銃を構えようと試みるが軌道が安定しない上に、おそらく出所がわかっていては回避される。
「まずいですね……」
猛追するワークワイルが、ついにラクシェイムに追いついた。剣が突き出され、ラクシェイムが相打ちに持ち込もうと振り返りながら放った銃弾は、体を傾けて易々とかわされた。ラクシェイムの右肺がワークワイルの剣によって貫かれる。もう一撃繰り出そうとしたワークワイルの右腕が、キン、と澄んだ音を立てて地面に落ちた。背後から接近した吾妻雪見が、ワークワイルの腕を切り落としていた。ラクシェイムが血を吐きながら逃げる。断面を左手で押さえて咄嗟に逃げたワークワイルとラクシェイムの間に、ユキミが立ち、居合いの構えを作る。
「遅いですよ、ユキミさん」
「思いのほかこいつの距離が近かったのだ。許せ」
ラクシェイムがこの場を離れていく。
失血が酷いので距離が取れても治療が済むまで狙撃による補助は期待できないだろう。ユキミは一瞬だけラクシェイムに撃たれていたクーレンのことを考えたが、どうでもよかったので捨てておいた。最速でこの悪魔を叩いて、次はライベアスを倒す。あの少女に期待はしていなかった。
断面の組成を塞いだワークワイルが指先から刃を伸ばす。
ラクシェイムの傷は深かった。森を走り続けて、そのうち失血によって足元が覚束なくなり、木の根に躓いて倒れた。
ああ、これは死んだかなぁと漠然と思う。
背中が冷たい。流れていく血の温度だけが暖かい。その中でラクシェイムは自分のほうに歩いてくる誰かを見つける。霞んできた目でもわかる、見慣れた軍服を着ている。何人かの、味方の兵隊だった。
「すいません、が、た、助けて、いた、だけます、か」
兵隊達が顔を見合わせる。そしておもむろに、剣を抜いた。
そしてラクシェイムに向けた。
「俺の弟はお前に撃ち殺されたんだ」
「うちの隊の隊長だってそうだ」
「あいつは気のいいやつだったんだ。故郷の恋人に遺品を届けなければならなった俺の気持ちがわかるか」
「まだ成人もしていない新兵の少女を貴様は悪魔ごと射抜いた。許さない」
誰からともなく剣を振り上げ、刺した。
「お前さえいなければ」
「死ね」
「お前が死ね」
この死に方は予想していなかったなとラクシェイムは思った。自分はきっと悪魔との戦いの中で、目前の悪魔を殺せなかったことを悔やみながら死んでいくのだと確信していた。
“味方殺し”のラクシェイム。先ほどクーレンごとライベアスを撃ち抜こうとしたように、ラクシェイムは味方の兵士ごと敵を撃ち殺してきた。そうして悪魔を殺すことが、被害の総数を減らすことに繋がったからだ。ラクシェイムのそうした戦い方を軍が黙認してきたのも、ラクシェイムが干渉した戦いでの悪魔による被害が最小に留まったためだ。
勿論彼らだってそのことはわかっている。だけど肉親や友人、はたまた恋人を失った痛みは理屈などで薄れはしない。ラクシェイム自身が両親を悪魔に殺され、その報復に自分の一生を捧げたように。
何人もの兵隊から剣を振り下ろされ、槍で突かれて、ラクシェイムの体はぼろぼろになった。
だが頭部にだけは手をつけていない。
一人の兵士が言った。
「謝れ。お前が射殺したすべての人々に心から詫びろ」
ラクシェイムは内心で微笑して、言った。
「もっと殺したかったなぁ」
兵士は理解できないものを見る顔つきになって、槍を振り下ろした。鉄槍が頭蓋骨を貫通した。木の葉を被せてずさんに死体が隠される。
“射手”ラクシェイム=エルス=キルドレインが味方に殺されて死んだ。




