Soul cradle
轟音が響いた。巨大な魚が川面に向けて落ちたのが遠目に見える。雪見はカラカラと笑いながら、ラブルヒルムに向けて走る。
土の塊が隆起し、雪見とラブルヒルムの間に壁を作った。雪見は居合いで土壁を一閃、閃の魔法によって土壁が叩き斬られる。間合いを詰めようと雪見は土壁の残骸を踏んだ。急に脆くなった土の塊に足を取られる。「っ……」沼のように粘りを得た土は雪見の足を離さない。土砂の塊が目前に迫ってくる。雪見は一瞬自分の足を切り落とすことを考えたが、それをしても逃げられないだろう。納刀して、魔力を充填する。「いああっ!」魔力を底まで振り絞って土砂の群れに向けて刀を振るう。絶対切断の魔法を帯びた刀の一閃は土砂を大きく切り開いて一人分の逃げ場を確保する。同時に足元の粘りのある土を払い、足を泥の中から引き抜く。ラブルヒルムは驚嘆した。彼は人間が「土石流」という災害に対して何かできると思っていなかった。雪見は、鞘と帯を繋いでいた腰紐を解いた。泥濘の上に鞘が落ちる。雪見が鯉口の部分を踏みつけると、沈んだ鞘の先端がラブルヒルムの魔法が及んでいない硬い地面に触れた。雪見はそれを足場にして跳んだ。まともな足場もなく跳躍できるはずがないとたかを括っていたラブルヒルムは不意を撃たれた。間合いを詰めた雪見が刀を振るい、ラブルヒルムの首を落とした。ラブルヒルムは地面に落ちそうになった自分の首を無造作に左手で掴んだ。
雪見はラブルヒルムの背中を蹴って間合いを取る。離れ際に逆袈裟の斬撃を繰り出す。心臓のある体の中央が真っ二つに両断される。しかしラブルヒルムは普通に振り返った。左手で髪を掴まれたままの頭が雪見を見る。
「にゃんだ貴様は。神代の化け物か?」
「体組織の構成が貴様らと異なるというだけだ」
ラブルヒルムの首からは琥珀色の液体が滴っている。匂いから雪見はそれが石油だと気づく。
「炭素基生物であるお前達と違い、俺は珪素を元に出来ている。お前達が有機物を消化してエネルギーを取り出す作業を、俺は石油を分解して行っている。そして珪素を元にできたこの肉体は珪素を補充することで修復可能だ」
ラブルヒルムの体組織の結合は岩に近いものだ。たくさんの砂の粒が圧力で圧縮されて作られている。そして脳の作りは虫と同じで神経叢が小脳の役割を果たし、各細胞が独自に思考を行うことができる。つまりラブルヒルムを構成する土の一粒一粒が彼そのものなのだ。彼の体のすべてを一度に滅することができない限り、ラブルヒルムを倒すことはできない。
「……己れは学がない。貴様の言っていることの意味がわからん。しかしどうやら己れの手に負える悪魔ではないらしいことはわかった」
雪見は一目散に逃げ出した。どのみち閃の魔法の要となる鞘を捨ててしまった雪見にできることは多くなかったし、このまま戦場を離れるのが正解だろう。一応、脇差の方に魔力を充填しておく。間合いが異なるため扱いが難しいが、ないよりはマシだ。ヨフと合流してさっさと逃げるのが吉だろう。イトイーティッドとクトゥルユーがラブルヒルムと同格の悪魔ならば、あちらも苦戦、ないし敗北しているはずだ。悪魔の計画は大きな魚に化けたヨフがぶち壊したのだから、この場に留まっている意味も薄い。
ラブルヒルムが追ってくる。しかし質量が大きいせいか動きは緩慢だ。脚力とスタミナには自信のある雪見ならば容易に振り切れる。
そうして川岸まで走ってきた雪見は倒れているヨフと、食い荒らされた悪魔の死骸を見つける。
「単独で倒したのかにゃ……?」
走りながら倒れたヨフの手を掴むと、雪見は息を止めた。ヨフを抱え込むようにして、堰を切られたばかりでまだ流れの速い川の中へ飛び込んだ。ラブルヒルムは川の中へは追えず、雪見達が水流に任せて川を下っていくのを見ているしかなかった。
三分ほど息を止め続けていた雪見は適当なところまで流されたと判断すると、ヨフの衣服を噛んだ。鞘から短刀を抜き払う。閃の魔法が発動し、一閃。絶対切断によって、水の流れが断ち切られる。無理矢理川岸を掴んで体を引き上げた。しこたま水を吐く。他に手がなかったとはいえ、無茶をした。それからヨフの呼吸を確かめる。息をしていない。雪見はヨフの唇に自分の唇をあてて、息を吹き込む。ヨフは本戦争において二度目の人口呼吸を受けて、水を吐き出した。呼吸を回復する。
「ゆ、きみ……」
「大したやつだにゃ。お前は」
「ク、トゥル、ユーが、いな、かった、んだ……」
「にゃに?」
ヨフはそれだけ口にすると再び意識を落とした。
クトゥルユーがいなかった? 水の魔法の使い手、あちらの作戦の要になるはずの悪魔が、あの場にいなかった。主戦場においてもクトゥルユーの存在は確認されていない。やつらにはまだ別の策があるのかもしれない。
「レー。聴こえているか?」
雪見は音の魔法に対して呼びかけたが、返事は返ってこなかった。まだ効果領域の範囲に入っていないらしい。雪見は舌打ちして、ヨフを背負った。疲れた体に鞭を打って走り出す。




