Soul cradle
ライベアスから距離を取ることに成功したヨフは、新しい敵を求めて走っていた。とりあえず兵士の多いほうへ向かっているが、この方向で正しいのかわからない。
「レー、他の魔術師達が戦っている悪魔の位置を」
「ヨフ、それより少し気になることがあります。進路を変えず走りながらでいいので聞いてください」
「なんだい?」
「イトイーティッド、ラブルヒルム、クトゥルユーと思われる悪魔の戦闘音がありません」
「え」
その三体はアルが注意するべきだと言っていた悪魔達だ。それらが戦闘に参加していないならば人間にとって喜ばしいことだが。
「何か企んでいると思うべきだね」
「お任せしても? おそらく音の魔法の範囲から外れると思われますが」
「うん。他に手の空いてる魔法使いがいれば教えて欲しい」
「残念ながら全員戦っています。距離的に近いのはユキです。ヨフから見て左前方」
ヨフが走りながら体を変化させる。人垣を掻き分け、抜刀させられて逃げながら戦っている雪見を見つける。魔法による必殺の斬撃を封じられれば、体術と剣技に優れる雪見でも悪魔の相手は難しいようだ。ヨフはその悪魔を横合いから殴りつけた。不意を撃たれた悪魔は吹き飛び、周囲にいた兵士の槍に突き刺さった。悪魔は兵士を殴り殺し、血を吐きながら逃げていく。雪見が納刀の隙を得て優位を取り戻し、悪魔を追おうとする。ヨフはそれを止めた。
「ユキ、一緒にきて!」
「にゃんだ?」
ヨフは身の丈よりも大きい怪鳥に自分の体を変化させた。ペラゴニス・サンデルシという、とうの昔に絶滅した史上最大の鳥類だ。全長6メートルにも及ぶ大きな翼を広げ、助走を生かして揚力を掴む。雪見がヨフの足を掴んだ。「お、重い……!」「ヨフ、お前はよほど己れに殺されたいらしい」どうにかそのまま宙に舞う。ヨフ達を撃ち落そうと数体の悪魔が動きを見せたが、レセナの指揮を受けた魔法使いや兵士達が阻止する。フォルトルーロの「流の魔法」が風の流れを操り、強い上昇気流へと変えた。大きな翼で風を受けて、怪鳥が空高く舞い上がる。ヨフの胸に確信が過ぎる。ヨフを落とそうとしたのは見られては困るものがあるからだ。
案の定、上空から見下ろせばそれは直ぐに見つかった。
川の上流で水が堰き止められていた。そして悪魔と人間の戦っている戦場の方向から、地面に亀裂が走っている。ラブルヒルムの土の魔法によって新しい川を引いているのだ。あの亀裂が堰き止められている川にぶつかったとき、濁流が流れ込み、多くの人々を呑み込むだろう。そして水浸しになった戦場で、水の悪魔であるクトゥルユーが猛威を振るう。それは人間にとって悪夢のシナリオだった。
「ユキはラブルヒルムを」
「心得た」
ヨフは高度を下げようとしたが、雪見はそれを待たずに足から手を離した。並みの人間ならば死ぬ高さだったが、キャルト族特有のしなやかさで器用に体を丸めて、前転するようにして肩、背中、尻、大腿、足へと衝撃を分散させて着地した雪見はそのまま駆けて行く。それ自体は五点着地という技術なのだが、本来は地上から百メートル以上離れている上空からできることではない。ヨフは少し呆れながら、堰き止められた川の真上に来る。一体の悪魔がこちらを見上げていた。クトゥルユーではない。消去法であれがイトイーティッドだろう。茶色がかった皮膚と緑の髪の悪魔だ。川を堰き止めているのは木々が複雑に絡み合ったダム。恐らく魔法は植物に関連する能力。
あのダムを潰せば悪魔の計画を大きく狂わせることができる。しかし川の水を大きく堰き止めるほどの木の塊は、並大抵のことでは砕けない。ヨフは自分の魔法で可能な範囲の中で最も巨大な生物に変化した。それは、シロナガスクジラだった。全長34メートル、体重150トンにも及ぶ超巨大質量が、横方向からの水圧を受け止め続けているダムに向けて縦方向から襲い掛かった。上空から垂直落下したそれは位置エネルギーを味方につけて木で出来たダムを粉々に打ち砕いた。木片と土砂と水流が川を下っていく。ラブルヒルムの引いた新しい川ではなく、ごく普通に生まれた正規の川を。
水流に流されていたヨフは岸を掴んで体を引き上げた。意識が揺れている。大きな魔力を使いすぎたことと、ダイブの衝撃をまともに受けたせいだ。イトイーティッドが歩いてくる。
「よくもやってくれたな。人間の魔法使い」
感情のない声で言う。狭い隙間を抜ける風が音を鳴らずのを、言葉の並びにしたような声だった。
「こっちの台詞だよ。気づかなかったらきっと僕らは皆殺しだった」
「どうかな。しかしここにお前がきたということは、私とお前はここで殺しあわねばならないということか」
「そうだね。あなたをここでどうにかしなければ、あなたはまたあのダムを作るだろうから」
「気は進まぬな」
「僕も同じだよ。殺し合いなんて本当は真っ平だ。どうして僕らは主義主張が違うだけで、こんなに必死になって殺しあわないといけないんだろうね」
「その主義主張が多くのものを巻き込むからだろう」
「そりゃそうだけどさ」
「言葉はいるまい。それを交える段階は過ぎた。過ぎてしまった」
イトイーティッドの足元から緑色が広がっていく。
「森の魔法」
草が茂り、木の芽が生える。それが爆発的に増殖した。茶色の幹がヨフを取り囲む。あっという間に樹海が生まれる。蔦と枝がヨフを拘束する。悪魔の魔法は強力なものが多いが、ここまで影響力の高いものは数少ない。
「あなたは、《完全なる者 (エンテレケイア)》……?」
「古の人がつけた名だ。我らは別に完全ではない。間違いを犯す拙い生き物に過ぎない。あなたがた人間と同じように」
「じゃあなんだってあなた達は人間を裁くのさ。何の権利があって」
「では私も訊ねよう。人は人を何の権利があって裁く?」
「法があるからだ」
「そう。法があるのだ。人は自然の法を犯した。だから我らは戦わなければならない」
「自然の法?」
イトイーティッドが頷く。
「人は山を刈った。木々を切り倒し、材木に換えた。山に住む多くの生き物が住処を失った。山は森の加護を無くし、雨が降れば川に土を流すようになった。土が崩れ眼下の人の街を呑み込んだ例さえある。人は遠まわしな自殺をしている。多くを巻き込んで」
「……」
ヨフはアグリシエルの言葉を思い出す。
人は星の資産を正しく運用できない。
「森が育つには四十年から五十年掛かる。人が森を砕くまでに、一年と掛からない。我らが戦わなければ人は我らを駆逐する。我らは駆逐されたくない」
イトイーティッドは蔦や枝がヨフを締め付ける力を強めた。枝は最早球体のように密に体を絡ませて、ヨフは息さえ出来ないような樹木の海に飲み込まれる。「奇遇だね」ヨフは言った。「僕らも駆逐されるのは嫌なんだ」その体が細かく別れた。
ヨフが変化したのは、噛み切り虫だった。無数の噛み切り虫が枝を噛み砕いて樹木の体内に潜る。卵を産み付ける。孵化する。幼虫が樹木の中身を食い荒らす。成虫になり、また卵を産む。それがまた孵化し、樹木の中身を食い荒らす。成虫になる。また卵を産む。そうしたサイクルを魔法によって早められ、凄まじい速さで増殖した噛み切り虫の群れが森を駆逐していった。数千匹に膨れあがった噛み切り虫の群れが、イトイーティッドの体に食いかかった。
「な、ぐ、が……」
噛み切り虫はイトイーティッドの表皮を食い破り、内部に侵入する。筋肉を食い荒らし神経を舐める。森の悪魔であるイトイーティッドの体は樹木と同じ成分で出来ていた。自分の体を“成長”させて傷を埋めて拮抗しようとしたイトイーティッドに、更なる数の虫が襲いかかる。
「これは、あ、アゾート、の……」
骨や血管さえも食い破った虫の一匹が、ついにイトイーティッドの脳に至った。
イトイーティッドは眼球がぐるりと回り、だらしなく口が開く。口からげろげろと噛み切り虫の群れが吐き出された。耳穴や眼球、それから表皮に開いた穴からも噛み切り虫の群れが這い出てくる。それがヨゼフの形を作る。ヨゼフはイトイーティッドが死んだことを確認すると、その場にとさりと倒れこんだ。魔力がなくなったのだ。怪鳥、鯨、虫と大きな変化を繰り返したせいだ。ひどく眠かった。
なんとなくこのまま死ぬのかなと思いながら、ヨフは目を閉じた。




