Soul cradle
ヨフが目を覚ました。知らない部屋で、窓の外は暗い。あたりを見渡すと、わずかな灯りで本を読んでいるアルディアル。それから椅子に座って眠気を堪えているラクシェイムがいた。起き上がったヨフの姿を認めて、ラクシェイムが出て行く。よほど疲労していたようだ。実は「自分が射った者が生死の境を彷徨っている」という気疲れの方が大きかったのだが、それはラクシェイム自身しか知らない。
「死んだかと思った」
ヨフが言う。テトロドキシンとはそれほど強力な毒なのだ。
「“猛毒であるテトロドキシンは海中のプランクトンが持つ毒性が海洋生物の体内で凝縮した物です。これを受けると心筋の働きが弱まり呼吸が停止します。よって呼吸を回復させ、純度の高い酸素を吸入、アコニチンによってナトリウムチャネルを活性、さらに排尿によるテトロドキシンの排出を誘発すれば十分に治療可能です”」
「それをあなたが?」
「ええ。といっても純粋酸素を用意して、利尿剤を投与した程度ですが。アコニチンは気休め程度の効果しかありませんから。あなたが自身の魔法によって持ちこたえていなければ蘇生しなかったでしょう」
ベッドの下のほうが濡れていた。ああ、そういえば排尿により排出を誘発して、って言ってたっけ。ヨフは苦笑いする。それから呼吸を回復というのはどうやったんだろうと疑問に思った。自分のファーストキスが男性によって奪われていることなど(人工呼吸のためといはいえ)知らないほうがいいだろう。
「……。あ、ええっと、ありがとう」
それから思い出したように言う。
「どういたしまして」
アルディアルは半魔の自分に対して忌憚なく礼を言う少年に好感を持った。
「あなたは、変な人だね? あれ? 人間じゃないから、変な悪魔?」
自分で言ったことにヨフは混乱している。
「よくそのように言われるのですが、自分ではわかりません。具体的にはどのように?」
「人間を絶滅させるって言いながら、僕を助けてくれた」
「ああ、それは単にあなたを助けることがワタシの目的を阻害しないからです」
「ということは、悪魔と戦っている人間に肩入れするのは、悪魔があなたの目的の邪魔だから?」
驚いた目でアルディアルが「あなたは頭のいい人ですね」と言った。
「頭のいい子、って言わないだけでもアルディアルはやっぱり変わってる」
「悪魔に年齢の概念はあまり意味がありませんから。もしそれがあるならば、ワタシは大抵の悪魔を老害扱いするでしょう」
奔放な物言いにヨフは思わず笑ってしまった。
「それからアルディアルというのは長くて言い辛い。どうぞ気軽にアルと呼んでください」
「いいねそれ。じゃあ僕のこともヨフって呼んでよ」
ヨフ達が名前を略するのは、戦いの連携をとるとき長い名前だと無駄な時間がかかるからだ。そいう事情でつけられた名前だが、ヨフは結構その「ヨフ」という呼び名を気に入っていた。というよりも「ヨゼフ」という名前をあまり好きではなかった。どこかの聖人から由来した名前らしくて、なんだかえらそうな響きだったからだ。
ちなみにリビトの名前が略されないのは、発音しやすい濁音を除いたて略せば「レト」と近くなってレトレレットと混同されやすいからだ。リビト自身は家名のマクラースのほうからなにか考えようと言ったのだが、貴族家であるマクラースの名を省略することは礼儀に反するらしくてされなかった。
もう一つ付け加えるならばラクシェイムの略称は「ライ」だ。
「えっと、着替えとかないかい?」
「ああ、ありますよ。親切な方が置いていきました」
ベッド脇の台を指す。適当なサイズのものがこれしかなかったらしく、水玉模様のいかにも子供用といった感じのパジャマだった。
「……あの、あっち向いててくれるかな」
「はい、わかりました」
ヨフはベッドから起き上がり、着替えを始める。本当は自室で一人で着替えたかったが、まだ足元がふらついている。片手を台について体を支えながら着替えを済ませる。魔力もすっかり枯渇していた。
「アルは、どうして人間を絶滅させたいんだい?」
「楽しいからですよ」
アルは即答する。
「ワタシにとってそれはやりがいのあるゲームです。非常に難易度が高く、失敗の修正は困難でしょう。それでいてワタシの得るものは何もない。そういう無価値で無意味でリスキーなゲーム。ワタシはそれを楽しく思う性質なのです」
「それは嘘だと僕は思うな」
「かもしれませんね。ワタシは本気で楽しいからだと思っていますが、それは自覚がないだけで私怨であったり誰かの思想に影響されたものであるかもしれません。例えばワタシの父である、人間を滅ぼすと激烈に謡いあげているベルリアの」
その点についてヨフはもっと単純に考えている。
人の世界から追放されたアルの母親、アルゼティナが復讐のために放った弓矢。
それがアルなのではないかと。
「逆にお尋ねしますがヨフ、あなたはなぜこの戦いに参加しているのですか」
「ディベーロの世界が見てみたかったんだ」
「ディベーロ。ディベーロ=ウルエルガ=マキナウォール。機械壁の魔術師。人間の英雄。悪魔の最多撃破数保持者。我々の天敵ですね」
鋼色の瞳と魂を持つ、神話にでも出てきそうなあの大男を思い出しながらアルは言う。
ヨフが頷く。
「別に人間のためとか悪魔が憎いとかどうでもいいんだ。僕はディベーロのことをもう少しだけ知りたかった。僕を拾ってくれて、僕を育ててくれた人がどんな人なのか。どうして悪魔と戦っているのか。なぜいつも少し悲しそうなのか。僕はそれが知りたかったんだ」
「命がけで戦う理由としてはずいぶん小さなもののように思いますが」
「あなたがそれを言うかい?」
「なるほど、たしかに」
無価値で無意味でリスキーなゲームに、“楽しい”からという理由だけで挑戦している自分を思い浮かべる。アルとヨフは顔を見合わせて少し笑う。ヨフは自分とアルは妙なところでよく似ているのかもしれないと思う。
「ええと、僕が寝てる間になにかあった?」
「ええ。ライベアスが二人ほどの悪魔を引き連れて来ました」
さらりと言った。
悪魔ライベアスは、人間の最大の脅威の一つだ。
「それは……」
「あなたがたが遠征から帰還する少し前の話ですが。ディベーロが数人の魔法使いと戦士を率いて対処しましたが、兵隊の中に大きな被害が出たようです。ついでにあまりにもタイミングがよかったのでワタシが疑われている。まったく傍迷惑な話です」
アルは知る由もなかったが、このライベアスの撃退に活躍したのは市街戦を得意とするゼラとアリスだった。街娘を装い、命乞いをしたアリスが毒の短剣で悪魔の背を切り裂いたために、彼らは撤退を余儀なくされていた。傭兵団と罠を使って巧みにそれを追撃したのがゼラである。結果一体の悪魔の撃破に成功していた。
「大丈夫なの?」
「大丈夫だと思います。ワタシは既に魔法を見せましたから。ワタシから悪魔に情報を届けることはできない。ここは吸石の壁の中、悪魔の魔法はここまで届かない。日時の打ち合わせをしていたとしても、ワタシには人間の行動をそこまで操れませんでしたから。それに実際に人間は三体の悪魔を撃破し、兵站線を確保することに成功しています。そもそも……」
アルは何かを言い淀んだ。王の街の人々が気づいていないはずがないこと。そしてとても残酷な戦争の本質に近い事柄。しかしそれをヨフの前で口に出すことは少し憚られた。
ドアがノックされた。
「どうぞ」
アルが言い、扉が開く。
「軍議を開く。来い」
トラストウェイが言うだけ言って去っていく。
「いきましょうか、ヨフ」
「僕、まだちょっと休んでたいんだけど」
「いえ、一緒にいきましょう。ワタシはあなたが気に入りました」
アルは強引にヨフを背負って、会議室へと向かう。
「なっ、な……」
そのまま会議室のドアを開ける。視線が集中する。ヨフの顔がみるみる真っ赤になる。力なくアルの頭を叩いた。アルは笑顔でそれを無視してヨフを椅子の上に降ろした。それから自分はいつも通り手足を椅子に括り付けられる。ディベーロの冷たい目がアルを見る。アルは楽しそうに笑っていた。
この人はどうしてこんな風に笑えるんだろう?
ヨフは思う。単身でいつ殺されるかもわからない人間の中に飛び込んできて、誰にも信用されずに、自分の身を拘束されて、それでもアルは笑う。とても楽しそうに笑う。
「さて、先ずは自分をどうするかの議論ですか? それとも結論は出ていますか」
アルのほうから切り出した。




