Soul cradle
灯台の上に一体の人影があった。山吹色の髪と濃い灰色の肌から見て人間ではないことがわかる。湖の悪魔、ガルトルイだ。彼は眼下に広がる大地を見下ろし、その先に展開している人間の軍勢を見渡した。三十人ほどの小隊がこの灯台を目指して行軍してくる。飽きもせずに殺されにやってくる哀れな子羊達をあざ笑いながら、ガルトルイは『束の魔法』を使った。彼の掌の先で太陽の光が集束する。数百から数千度に至る超高熱を得た熱線が一人の兵士の頭へと吸い込まれていった。熱線を受けた兵士は、消えた。それは束の魔法の効果ではない。単に幻が別の力によって振り払われた結果だ。ガルトルイは人間との戦いの中で生還した悪魔が、最も恐ろしい人間の魔法使いといっていた者のことを思い出す。
リビト=マクラースの『偽の魔法』。
ちなみに「自分に触れているモノ」しか幻を再現できないリビト本人は、いま上半身裸で三十人の兵士に体のあちこちを触れられるという非常に間抜けな姿になっている。「え、これやるの? ほんとに?」と涙目で周囲を見ていたが、対悪魔の重要な作戦だったため中止しようとする者は誰もいなかった。
ガルトルイは自分がまんまと釣りだされたことを察する。背後に気配があった。塔の高さを一足で登ってきたヴァストローデがショートソードを振るう。ガルトルイはわずかに後退してそれを避ける。『束の魔法』を使い、光を集束させる。しかしこの魔法はアルディアルが言っていたように、殺傷能力を得るためにはそれなりに時間が掛かる。加えて狭い灯台の屋上、剣を持つヴァストローデに対してガルトルイは無手。悪魔と人間の身体能力差を考えればそれでも勝機はあったが、相手が近接戦闘に優れる魔法の使い手であれば身体能力の差は消える。ガルトルイは灯台から飛び降りた。むしろそちらのほうが人間たちに想定されていた行動に近いとも知らずに。
灯台の下で待ち受けていたのはディベーロ=ウルエルガ=マキナウォールだった。銀色の槍の群れがガルトルイを待ち受けるように広がっている。灯台の壁面を蹴ってガルトルイが死の槍をかわす。槍が逃げるガルトルイを追う。体勢を崩していたガルトルイにはかわしきれずに、右大腿と左脛、左腕を貫かれる。さらに後方に跳躍し距離を取ろうと試みる。ディベーロが追撃する。足を潰されたガルトルイは逃げ切れない。ガルトルイは全身の筋繊維を“束”ねて腕に密集させた。ディベーロの放った槍を掴み、腕を捻る。小手返しの要領で、引きずられた鋼がすべて捻じ伏せられる。鋼の魔法は細かい操作はそれほど得意ではなく、鋼の波濤全体から切り離した運用は苦手だった。
防護を失って露出したディベーロに潰れた足を無理矢理に動かしてガルトルイが突進する。そこへヴァストローデが落ちてきた。落下の勢いのままショートソードを突きたてる。ガルトルイは回避せざるを得ない。ガルトルイは千載一遇の好機を逃したが、それを些細なことだと考えていた。束ね続けていた光が十分な熱量を集束したからだ。
熱線が放たれた。数百から数千度にも及ぶ光の剣がヴァストローデの体に吸い込まれる。ヴァストローデが魔法を使う。『霧の魔法』。彼女の肉体のすべてが水蒸気と化した。吸い込まれた光は水の粒子に乱反射を起こし、拡散して威力を失った。鋼の槍が霧を突き抜けて繰り出される。驚愕の表情を浮かべたままガルトルイが束ねた筋繊維で槍を受ける。霧と化したヴァストローデがそのままガルトルイの背後に立った。振り払おうとガルトルイが左腕を振り回すが水蒸気の肉体の前には意味がない。歪な笑みを浮かべたヴァストローデは、ガルトルイの首筋に唇をつけ、歯を立てた。皮膚が破れる。血管に舌先が触れる。ぢゅるるるるるるるる。ディベーロが眉を顰め、顔を背けた。
オルガ族は蔑称で「吸血鬼」と呼ばれている。その食事の特異さと、一族全員が魔法を使えるという能力の異様さから畏れられ迫害されてきた一族だった。悪魔と混同されることも多く、今でも多くのヒュルムやドグルはオルガのことを悪魔かその手先だと思い込んでいる。恍惚の表情を浮かべてヴァストローデが唇を離す。
「くきき」
オルガ語がわかるものなら、彼女が「美味しい」と言ったのがわかっただろう。血液をすべて抜き取られた、渇いたガルトルイが静かに倒れた。念を入れるようにディベーロが鋼の槍をその全身に突き立てる。数百の兵隊を殺した悪魔の、実に呆気のない最後だった。
「撃破した」
『音の魔法』でこの戦場を聴いていたはずのレセナに向けて言う。レセナは「おつかれさまです。周囲に他の悪魔はいませんが、気づかれたと考えるべきです。速やかに帰還してください」と、ディベーロの鼓膜に直接音を届けた。焦点の合わない目でどこかを見ていたヴァストローデが霧になって消えている。一足先に帰ったようだ。
アルディアルの齎した情報は、ある程度正しかった。「筋繊維を束ねる」という能力を言わなかったのは、単にアルディアル自身がその能力を知らなかったと考えるべきだろう。これは圧倒的な戦力を持つ悪魔に対して、反撃の足がかりになるかもしれない。魔法には相性がある。戦力の劣る人間でも、相性のいい魔法をあてれば十分に悪魔の撃退は可能だ。だがあの半魔は、自分の目的は人間の絶滅だとはっきりと言ってのけた。どうもあいつの掌の上で踊っているようで気分はよくない。
アルディアルの齎す情報に頼れば、いつか致命的な破綻が訪れるのではないか?
拭い切れない不安を胸に抱いたまま、ディベーロは帰路につく。




