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Judgement days



「ええー、なんで? 俺まだ一人も殺してないんやけど」

 トラストウェイからの連絡を受けてゼラはがっかりした。せっかく潜入してそこそこ殺る気になったというのに。いきなり帰ってこいと言われても困る。

 せめて記念に一人くらい殺っておきたいかった。ゼラは溜め息を吐いた。……よし、これから殺りにいこう。ゼラは足音を潜めて高級官僚たちの私室を目指す。とりあえずクアトヴィラ=エヴァンズは殺しておこう。トラストウェイが注意しろと言っていたから、殺っておく価値のある相手のはずだ。このところ忙しかったのか六十時間ほど起きていて、ついさっき仮眠に入ったところだった。

 クアトヴィラの私室の前に立ち、ノックする。返事がなかったのでドアノブを握る。鍵が掛かっている。ゼラは周囲に人がいないことを確認し、細い針のようなナイフを取り出した。鍵穴にそれを突っ込む。がり。と金属が削れる音がする。そのままナイフを回すと鍵が外れた。暗殺用に親しんだ道具の一つだ。

「♪」

 不意に女中が歩いてきた。ゼラは咄嗟にナイフを手の中に隠す。ゼラは特に彼女に注意を払っていなかった。警戒するほうが不自然だからだ。

「あの」

 声をかけられて咄嗟に自分の背中にナイフを隠す。

「クアトヴィラ様になにか御用でしょうか?」

 ゼラは適当に用事をでっち上げた。緊急の報告でどうにかこうにかと、具体的な内容に触れずに舌を回す。流暢すぎて自分で喋った内容をすぐに忘れた。

「そうですか。先ほどお休みになられたので、当分起きないと思いますが、よろしければ私からお伝えいたしましょうか?」

 それは困る。極秘の案件だから。

 言いかけたとき、女中の左手が素早く動いてゼラの首に向かって短刀を突きつけた。流れるような動作だった。

「動かないでくださいまし」

 なんでわかったん? と、喉元まで出かける。今回の潜入においてゼラはそれくらい自信を持っていた。そうして初めて女中の顔を正面から見て、ようやくその女中が顔見知りだと気づいた。だったら下級軍人を装う意味もないだろう。

「お前、アリスか? えらい変わったな」

「その口調……、ゼラですか?」

「なんや、気づいてなかったんか? なんであやしい思うたん?」

「別に大したことではありません。クアトヴィラ様は“自分は基本的に文官としか親しくないから武官が訪ねてくることがあったら全部尋問して”とおっしゃっていただけです」

 なんだそんなことに引っかかったのか。とゼラは少し呆れた。急ぎの仕事で調査が不十分だったことが響いた。

「ちなみにいまの状況有利なつもりか? 俺はこの状態から三秒あったらジブンのこと殺せるで」

「はったりを中心にした詐術と騙し討ちはあなたの得意分野ですが、まあ信用するとしても。私は一秒かからずあなたの手を止めることができますよ」

「へえ、おもろいこというな」

 ゼラは袖のうちに仕込んだ暗器を使おうとした。対してアリスは、予備動作なく、ただ叫んだ。

「誰かきてえええええっ!」

 通りのいい若い女の悲鳴はすぐに階層中に響いた。誰かが顔を出す前にゼラが動く。腕を振ると仕込んだ刃が伸びて固定される。アリスが突き出したナイフを胸板の下の防刃繊維で受け止め、袖から伸びた刃を振るう。アリスが身を引いて躱す。踊るような足さばきでゼラが回転、逆の手から同じような刃を伸ばし、それをアリスが自分のナイフで受けると同時に二人の位置が入れ替わる。ゼラはそのまま跳躍し、体ごと窓に激突。割れた窓ガラスと共に、五階の高さから真下に落ちていく。

 廊下に人が出てくる。

「賊が侵入して、たったいま飛び降りて逃げました。追ってください」

 すぐに窓に張り付いて下を見た。地面と接触する寸前で前転するようにして体の各部に衝撃を散らしたゼラが、すぐにその場から駆け出す。

「あのゴキブリめ……」

 アリスはゼラを嫌悪している。ただの同族嫌悪だとアリス自身も気づいている。アリスは魔法使いではないが格闘能力にはそれなりに自信を持っている。だが彼女の格闘能力は同じく魔法使いでないゼラに劣る。男女の筋力差から来る面もあるが、単純に技術的にも一段開きがあった。

 劣等感。

 あれだけの能力があれば表の仕事がいくらでもあるにも関わらず、彼が積極敵に裏の仕事をこなすことも気に食わなかった。

 不意に扉が開いた。

「……騒がしいね?」

 クアトヴィラが部屋から顔を出す。眠そうに眼をこする。

「賊が侵入しました」

「ああ、それはきっとゼラだね。追い払ってくれたのかい? ありがとう」

「はい。……え?」

「私はもう少し眠っているから、すまないけどこの部屋の警護をしてもらえるかな? というか少しさみしいから服を脱いでベッドに入ってもらえるかい」

「か、かまいませんけど……」

 なぜこの人は侵入者がゼラだとわかったのだろう? アリスが衣服を脱いで下着姿になって寝台に寝転ぶ。クアトヴィラも同じようにする。

「済まないね。時々無性にこうしたくなるんだ」

 クアトヴィラはアリスをゆるく抱きしめる。ただそれだけだ。それ以上の行為を決して彼は求めない。別にアリスを気遣ってのことではなく、クアトヴィラは性的不能者だからだ。半陰陽と言われるどちらの性とも断定できない性質を持っている。染色体的には女性だが肉体的に男性的な性質も持っている。精神は男性だ。

「君は私以外に拾われていたらひどいめにあっていたかもしれないね」

「ええ、もしそうだったらきっと、人間ではなくただのナイフになっていたでしょう。クアトヴィラさまには感謝しています」

「ああ、済まない。別に恩着せがましいことを言うつもりはなかったんだ」

 アリスに殺しを仕込んだ人間は三年前の戦争で死んでいる。当時は道具のような扱われ方をしていた。戦闘の技術を詰め込まれ、うまくいけば褒美として餌がもらえた。アリスの精神構造の中で「殺せば飢えない」というメカニズムが植えつけられ、殺しに罪悪感を覚えなくなるまで時間はかからなかった。人間は複雑に見えて単純な生き物だ。そうしなければ生きられない状況に迫られれば、必ず犯罪に手を染める。そのとき道徳や善悪の価値観はなんの役にも立たない。アリスは殺さなければ殺されると考えていた。だから殺せた。

 しかしそれは所詮心を騙していただけだ。

 罪悪感は眠っていただけで、時々目を覚ましてアリスの心を苛む。だからアリスには好き好んで人間を殺すゼラの気持ちがわからない。なぜゼラはそこまでして金に拘るのだろう。

「……あの」

「ん、なんだい?」

「クアトヴィラ様はなぜ侵入者がゼラだとわかったのですか?」

「ああ、なんだそんなことか」

 うとうとと半分まぶたを閉じながら、クアトヴィラは「誰にも言ってはいけないよ」と言った。アリスは頷く。クアトヴィラの信頼を損なうことを、いまの彼女はなにより恐れている。

「私が粛清教に参加しているからさ」

「え……?」

「私は幹部の一人なんだ。王の街には他にも何人かの粛清教の幹部がいるよ。私は彼らと違い、密偵に近い立場だけれどね。だからゼラやトラストウェイの意向についてある程度把握している。残念ながらディべーロに関しては上役の口が硬くて詳細はわからないのだけど」

「そう……、なのですか。粛清教ってどんなことを教えているのですか?」

「基本的には歴史の解釈が我々と違うだけだよ。大きな差異はない。私だって彼らの主張には一理あると思ったくらいさ。

 例えば我々は粛清教成立について周辺にあった事件を歴史の中に編成していない。回天党というドグルの政党がヒュルム弾圧を掲げ、圧政を敷いたことがある。単純に争えばドグルはヒュルムよりもはるかに強い。ヒュルムはほぼ奴隷扱いだったそうだよ。これに反発して生まれた粛清教は、当時はヒュルムの救世主として崇められていた。実際に彼らはヒュルムの自治を取り戻すために活躍した。そのためにやりすぎたから、アルバー=パラス清教という本来の名前から外れて『粛清教』なんて呼ばれだしたわけだ。王の街の書庫をあたって確認したから、間違いなく事実だ。これが隠匿されたのはいま友好的に接しようとている両種族にとって、この歴史が不都合だったからだ」

「へえ……」

「王の街をはじめとする各町々は、現在粛清教の弾圧に躍起になっている。その理由はドグル族という人口の二割に該当する大口の顧客を失うわけにはいかないからだ。ようするに経済上の理由なのさ。仮に粛清教が世界を牛耳り、ドグル族をすべて排除したとしよう。そうした場合、肉体的に強いドグルが優勢な土木建築の分野で致命的な空白を作ることになる。全体からみれば十六%の経済損失が見込まれる。

 おそらく被害はそれだけにとどまらないだろうね。いま現在人間と悪魔は、それほど明確に衝突しているわけではない。三年前ベルリアの事件があり、人間側の自粛と悪魔側が一線を引いた対応をしていることで緊張が保たれている。この流れはなにか大きなことが起こらない限りあと数十年は続くだろう。しかしドグルの絶滅を掲げる粛清教が多数派になれば、悪魔たちは粛清教を打倒せざるを得ない。種の共存というのが彼らの掲げる最も大きな主張だからね。だから特定の魚や虫を乱獲によって絶滅させかけたバルド族は極限まで数を減らされた」

 クアトヴィラは眠気で頭に霧がかかっていた。喋りすぎている。別に話すべき事柄ではないのに、無知な女に詰め込んだ知識を話すことでストレスを発散に利用していた。タチが悪いなとクアトヴィラは苦笑する。さほど興味のある話でもないだろうにアリスはずっと聞いてくれている。

「隠匿ないし改変された歴史は他にも数多くある。それはドグルのことに限らない。悪魔に関して一つ例をあげれば、そうだな。漁業を中心に栄えていた街に、工場が立地して廃水を川に流していた。悪魔が再三にわたって警告したがこれを受け入れず、軍隊を使って悪魔を排除、製品の製造を加速させた。その結果、周辺の魚が廃水に含まれる水銀によって汚染され、その魚を食べた人たちに水銀中毒が起こった。症状としては手足の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、中枢性聴力障害。現在では『ミナマタ』と呼ばれている病だ。しかしこれは工場による自然汚染を過剰に恐れた悪魔が、飲料水に毒を撒いて起こったことになっている。なぜなら悪魔が正しいと人間が困るからだ」

「私たちはずいぶん身勝手な歴史の上に立っているのですね」

「その通りだよ。王の街で政務に関わる仕事をしていると、そういう側面を嫌でも見せ付けられる。……ああ、ごめん。きっとつまらなかったよね。ベッドで女性に仕事の話をするなんて。メイナスやラトフィアに聞かれたら呆れられるだろうな」

「クアトヴィラさまはご立派ですよ」

 返事はなかった。クアトヴィラはアリスの胸の中で眠りについていた。自分の前でだけ無防備な顔を見せる青年がなんだかとても愛しくなって、アリスは彼の髪を撫でる。


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