Judgement days
「多いな。リビトやレトの他に一個小隊程度の人員がいると思ったほうがよさそうかな」
無数の馬の蹄が地面を蹴る音。雨の中のほうが、クトゥルユーにはむしろよく聞こえた。あと一分もしないうちに接触するだろう。クトゥルユーが水を集める。一団の中でも特別大きな馬に乗った先頭の男が、背中から大剣を向いた。
「るうううあああああああああああっ」
馬の背を蹴って大きく跳躍する。
「先走るなレトっ!」
仲間の静止も聞かずに飛び出したレトが、ほぼクトゥルユーの真上に降ってくる。
随分迂闊な手だなと思いつつ、クトゥルユーが水流で迎撃。水がレトと接触した瞬間、レトの姿が掻き消えた。偽の魔法による幻影。
リビトの魔法は自分が持っている物ならば複製可能だ。例えばレトの背中に触れれば、レト自身も幻影として複製できる。
隙を突いたつもりだったのか、一団が大胆に間合いを詰めてくる。クトゥルユーは川を丸事持ち上げて、放った。
「?!!」
それは津波のようだった。凄まじい量の水が兵士と馬を殴りつける。街道を押し流していく。レトがリビトの襟を掴んで馬の背中を蹴った。大きく横に飛び水の届く範囲の外に逃げる。残りは水に飲まれて潰れた。
「おいこら。街の中で戦ったときとえらく違うじゃねえか」
楽しそうにレトがこぼす。
リビトは頬が引きつっている。
水が複数方向からぐるりと円を書いて二人を取り囲んだ。激流が円の内側に向かって雪崩込む。
「っ……」
「俺の首を掴んでろ。振り落とされるなよ」
レトが両手持ちにした大剣を、脇構えにする。そして正面の水に向かって、振り抜いた。『力の魔法』による威力増加を経た斬撃が水に衝突。弾き飛ばした。間髪いれず、全力で前方に向かって走る。背後から激流が迫っている。水量の多い場所で振るわれた『水の魔法』はただただ圧倒的な暴君だった。攻撃範囲が広すぎて偽の魔法が意味をなさない。もしかしたらレト一人で戦ったほうがまだましかもしれない。
接近戦に持ち込もうと駆けるが、前方から挟むようにさらに水が押し寄せる。レトは横に飛んで潰れるのを避ける。
(強すぎる……。何か突破口はっ?!)
「近接戦闘ベースの俺やてめえとは果てしなく相性がわりいなぁっ?!」
「なんで楽しそうなんだよ君はっ! ムカつくなぁっ」
クアトヴィラが苦心して用意した一個小隊も即座に全滅した。レトは一時凌ぎ程度なら可能だが、連続して回避し続けることはできない。『偽の魔法』は水量が膨大すぎて攻撃の手を散らせることができず、役に立たない。
雨の中で水の悪魔に挑んだのがそもそもの間違いだったのだ。雨が降ってきた時点で適当な理由をつけて引き返すべきだった。リビトは己の決断力の無さを嘆いた。レトと組めば撃破とは言わずともそこそこいい勝負ができるだろうと楽観視していた自分を殺したくなる。
雨の中で戦うクトゥルユーは、ライベアスをはるかに超えている。圧倒的な攻撃範囲と超破壊力。加えてそれをくぐり抜けてクトゥルユーの元へたどり着いたとしても、彼は斬撃をある程度無効化できる。手数を増やそうにも炸裂弾が湿気をくらって使えない。重さで叩き斬れるレトの大剣はともかく、リビトのショートソードとナイフは水で滑って刃筋が立つか怪しい。
気持ちいいくらい詰んでいるじゃないか!
ステータスに差がありすぎる!
隙があるとすれば、この大量の水を扱うクトゥルユー自身の魔力だ。しかし激流の向こうに時々見えるクトゥルユーはごく普通にしている。『水の魔法』の基本的な操作を行っているだけなので疲労感は少ないらしい。打つ手がない。
リビトが逃げることを提案しようとした時、不意にクトゥルユーの攻撃の手が緩んだ。
クトゥルユーは大きく後ろを振り返っていた。
アルディアルが灯台から出てきた。靴には血がついている。手足を引きずるようにして歩いている。表情は笑み。
「アルディアル……? え、ムルブルは?」
「殺しましたよ」
さらりと言う。
「き、きみは……、君というやつは……」
水の塊がアルに向かう。アルは真横に飛んで逃げる。即座に多量の水がアルを取り囲む。クトゥルユーは冷静な判断力を失っていた。
「ろおおううああああっ」
背後から咆哮を上げたレトが斬りかかる。反射神経だけで反応したクトゥルユーが水を繰り出して迎撃する。が、水と接触した瞬間にレトの姿が消える。幻影だと認識する前に、側面から飛び込み気味に繰り出したレトの斬撃がクトゥルユーの首を捉えた。
「っ……」
首から水しぶきが飛ぶ。水と化したクトゥルユーの体を大剣が抜ける。即座にリビトが飛び込む。クトゥルユーが引き戻した水でレトを薙ぎ払う。幻影が一緒に払われて少し離れて隙を伺っていたリビト本人が露出する。リビトに向けて水流を構えた瞬間、淡い紫の炎が一帯を大きく照らした。
「“構造的に非常に脆い金属であるカリウムは、水と反応して激しく発火します。反応の結果、酸化カリウムと水素を発生、さらに発生した水素が点火し、爆発を起こします”」
紫の閃光、直後に空気の爆ぜる重い音。
爆撃。
発生した爆発はその場にあった水のほとんどを弾き飛ばした。レトとリビトが姿勢を低くして爆発の影響を避ける。爆心地の近くにいたクトゥルユーにはどうしようもなかった。
「僕はアルが敵じゃなくて本当によかったと思うよ……」
リビトが小さく零す。
レトは「それはそれで楽しかっただろうな」と思った。
いくらクトゥルユーでもこれだけのダメージを受ければ、立て直しに時間がかかるだろう。隙を突くためにリビトが前に出ようとする。
「待て、リビト。なんか妙――」
レトは反射で首を傾けた。頬が切れている。超速度で発射された水が、皮膚を霞めて後方に抜けていった。
リビトがうつ伏せに倒れた。胸に穴が開いている。さきほどの超速度の水刃に胸を貫かれたらしい。致命傷だった。
爆撃によって起こった水煙が晴れていく。
そこには水によって構築された、八つの首と八本の尾を持つ蛇がいた。一本の首や尾の長さは少なく見積もってレトの身長の四倍はある。首が動いた。超速度で空中を疾走し、アルへ向かう。アルは一本をかわしたが、二本目が逃げ道を塞いで動きを制限、三本目が腕を掠め、四本目が膝から下を切断、五本目が腹を貫いた。六本目が頭を向いたが、火薬が爆ぜて首の進路を曲げさせる。
カリウムの爆撃が首と尾を払う。しかし散開した首と尾が、それ自身が意思を持つかのように爆撃を避けた。
「すっかり騙されましたよ。あなた、ライベアスよりはるかに強いじゃないですか」
「ライベアスだってまだ力の底を見せたわけじゃないよ。君たちが知らないだけさ」
クトゥルユー自身は首と尾が生える中央で、水の繭に包まれている。胎児のように丸まっている。
「レトレレット、君は逃げてもいいよ。ぼくらは逃げた敵を後ろから刺すような真似はしない」
「誰に口聴いてるんだよてめえは。この俺様に向けて、敵に背を向けるかだと?」
「そうか。君はそういう人だったね……」
クトゥルユーは“十六振りの魔剣”をそれぞれアルディアルとレトレレットに向けた。
時々クトゥルユーは考える。
人間と同じ姿をした自分は偽物で、この八本の首と八本の尾を持つ奇怪な蛇の姿こそが本当の自分なのではないか。この姿でいると開放感と充足感がクトゥルユーを満たす。水の力の本質は破壊だ。クトゥルユーは攻撃力において他の追随を許さない。
水の化身であるこの姿が本当のクトゥルユーであるなら、破壊こそが自分の本質ではないか。
「構わないか……。ぼくが破壊者だというならば、ぼくは守るために壊そう」
クトゥルユーが魔法を放った瞬間、ほぼ同時にレトが切り込む。正面から三本、左右に二本、上方から二本の計七本がレトに向けられる。逃げ場がない。ならば正面から突破するだけだ。正面から迫る三つの首の内、二つを同時に大剣で切り裂く。生まれた空間に体を滑り込ませて第一波を凌ぐ。『力の魔法』を足に集中させる。蹴った地面が破砕する。左右から回り込んでいた尾が速度を捉えきれずにレトを見失う。一気に間合いを詰める。
アルのほうにも計八本の首と尾が向かっている。カリウムの大量精製によって生まれた爆撃が水を散らす。しかしすでに傷を負ったアルは、尾をかわし切れなかった。
元からレトはアルのサポートには期待していなかった。大胆に間合いを詰め、大剣を構えたレトに対して後方から尾が飛ぶ。レトの足を掠める。バランスを崩したレトに向けて、クトゥルユーが手元に残していた首と、上方に回していた尾が殺到する。
クトゥルユーは自分の背後に立つ誰かの影に気づいた。敵の増援? いったい誰……。
いまクトゥルユーは一つも首や尾を残していない。レトとアルの迎撃にすべて回している。いま攻撃されれば、クトゥルユーは死ぬ。クトゥルユーは繭に使っていた水で、強引に背後に立つ誰かを攻撃した。それは“十六振りの魔剣”を放棄したことと同義だった。
しかし影は、水に触れた途端にその姿を消した。
(リビト=マクラースの『偽の魔法』?!)
間違いなくリビトは致命傷だったが、即死はしていなかった。残る渾身の力を振り絞って魔法を使った。
クトゥルユーは咄嗟に後方に向けて飛ぶ。レトの大剣が寸前までクトゥルユーがいた場所を薙ぐ。無理矢理躱したがために、クトゥルユーは体勢を崩した。コマのように半回転したレトが蹴りを放つ。
(水化して凌、ぐ!?)
水化は発動しなかった。連戦の疲労に“魔剣”の解放によって魔力が枯渇している。蹴りがクトゥルユーの顎を掠める。頭蓋骨の先端を揺らされた衝撃が脳を伝い、意識が揺れる。クトゥルユーは意識を保とうと舌を噛んだ。そうして保った視界の中で見えたのは、絶望だった。
狂気的な笑みを浮かべたレトが回転の終点に、大剣を引き連れて襲いかかった。大剣はクトゥルユーの右肩から、心臓を抜けた。切り離された上半身が朱色をまき散らしながら地面に落ちる。レトが大剣から血を払い、楽しい戦いが終わってしまったことを悔やみながら剣を背中に収めた。




