Judgement days
「ディアルラっ!」
地面の直前で揚力を掴み、落下の衝撃を殺す。隼が少年の姿に戻る。頼りない足取りで歩いていたディアルラが振り返る。壊れそうな表情をしていた。泣き出す寸前のように、頬の強張りのわりに目には力がない。
「少し話してもいいかい? 僕らには話し合う余地があるはずだ」
「そんなものありませんよ。あなたたちは残酷で卑劣だ。だから私はあなたたちを殺すんです」
「君はそんなことはしたくないんだろう?」
「だって……、仕方ないじゃないですかっ。殺さなかったら殺されるんでしょう?!」
感情を爆発させるように、ディアルラは叫んだ。
「そうだよ。僕らは殺す。残酷で姑息だから。君たちの強さに耐えられないから」
「だったらもう殺し合うしかないじゃないですか。私たちは私たちの領分を守るために。あなたたちはあなたたちの領分を守るために」
「うん。でもそれには君のような弱い悪魔が関わるべきじゃない。そんな面倒なことはライベアスに丸投げしよう。君は逃げるべきだ」
「できない。あなたたちが私たちを殺したいのと同じように、私だってあなたたちを殺したいんです。だってあなたたちは、私の同胞を殺したじゃないですか。それに、私は強いですよ。戦うのが嫌いなだけで、私の魔法は誰にも負けません」
「違うよ。君の弱さは力のことじゃない。僕みたいなのにほだされてしまう精神性だよ」
「ならばあなたを殺して、私の強さを証明しましょう。次は貴族街の人間達だ。私の魔法なら皆殺しにできる。あなたこそ逃げても構いませんよ。私は追わない」
「……そっか。あなたがそうするっていうなら、僕は人間としてあなたと戦わないといけない」
「都合のいいことを言っていても、結局あなたもそうなんですね」
「そうだよ。理解者ぶってみても、争うのは嫌だなんて悟った振りをしてみても、僕らはこれ以外に解決の術を持たないんだ」
「そうですか。じゃあ人間として死んでください」
「うん。僕は人間として君と戦おう」
ディアルラが明確な殺意を持って、心の魔法を使う。人間を暗い精神の底へ揺さぶり落としてしまう。髑髏の死神がヨフの下に現れる。
「僕が本気で戦う姿は、あまり人間らしくはないけどね」
ヨフは獣の魔法を使った。体表が緑色に変わる。下半身が膨らみ、細い四本の足が現れる。上半身は逆に細くなり、腕は鋭い刃のついた湾曲剣のように変化する。
ぎょろりと大きな複眼がディアルラを覗く。口は無数の小さな歯が絶え間なく動く。
「カマ、キリ……?」
ディアルラが呟く。
人間大のサイズをしたカマキリの姿。
「きしゅううううううううううううううう」
奇声を挙げて、ヨフだったものがディアルラに向けて突っ込んでくる。ディアルラは「心の魔法」でそれを自殺させようとする。だが心の魔法は人間大のカマキリに対して何も起こさなかった。
(どうして……?!)
逃げようとするが、四足で地を蹴るカマキリのほうが速い。咄嗟にディアルラがカマキリの胸部に向けて蹴りを繰り出す。少しだけ体が揺らいだが、蹴りの起こした変化はそれだけだった。昆虫の持つ硬い外骨格が、衝撃のほとんどを殺してしまっていた。
ぐちゅり。
嫌な音を立てて、鎌がディアルラの腕に食い込む。カマキリが口を開いた。絶え間なく動く歯と唾液の引く糸。「ひっ……」それがディアルラの肩に食いついた。無数の歯が肉に食い込み、千切る。少しずつ削るようにディアルラの肉を食い剥がしていく。
「いや、いやっ、やめてっ」
ディアルラがカマキリの手の中で暴れる。しかし外骨格で形成された体表はその程度ではびくともしない。昆虫の歯はノコギリのようだった。哺乳類のそれのように突き刺し、砕くのではない。少しずつ削ってこそぎ落とす。肉が刮げたディアルラの肩は白い骨が見える。ピンク色の筋肉と白い筋が空気に触れる。
骨さえ削られて神経が舐められる。ディアルラはすでに泡を吹いて体の力を失っていた。カマキリはディアルラの左肩を一頻り舐め尽くしたあと、倒れたディアルラの馬乗りになる形で、元のヨゼフの姿に戻った。荒い息をつき、血まみれの口元を拭う。口の中に残った肉の残滓を嚥下する。
「肉は人間より悪魔のほうが美味しいね」
「ど、どうして、心の魔法、効かな……い?」
「簡単だよ。昆虫には自殺するなんてことを考えられるような、高等な脳みそがないからさ」
ディアルラはまだ少しだけ抵抗しようとしたが、ヨフが拳を振り上げると怯えた声をあげて、なにもできなくなった。肉が刮げ落ち、食われるという体験はよほど衝撃的だったらしい。ヨフはそれきりただぼーっとしていた。心の魔法の影響なのか、無理な全身変化の後遺症か、少し頭痛がする。
「こ、殺さない、の?」
「うん。僕は止められたらそれでいいや」
上空でライベアスとアルディアルが戦っているのが見える。レトをルピーが防いでいてくれれば、ライベアスがアルを行動不能にして、援軍が着く前に逃げていくだろう。
会議室でライベアスはディアルラの魔法を止めた。この街で人間を殺しては王の街の軍隊に対して“自衛のための戦争”という口実を与えることになるからだ。大勢の同胞が死ぬことを避けるためにライベアスはディアルラを止めた。
そしてヨフやアルがライベアスやディアルラを殺せば、悪魔達の報復を受ける。三年前に生き残った悪魔とのパイプを多数持っているライベアスの殺害は、彼らの怒りを盛大に買うはずだ。
クアトヴィラは何を考えているのだろうと思う。ヨフにはこの場でライベアス達と戦うことは、不要なリスクを犯しているだけに見えた。戦争がしたいのだろうか。
不意に、空中に何か大きな暗い影が浮かんだ。
「……え?」
地鳴りが響いた。




