1 山賊の街
結局、その日ヨフは朝焼けを見逃してしまった。朝になっても延々と眠り続けていた。
「申し訳ありません。起こしたのですが、ずいぶん深くおやすみのようでしたので……」
少し落ち込むヨフを見てオキが本当にすまなさそうに謝った。
「いいよ。きっと疲れてたんだ」
それに明日だってこの街にいるんだ。また次の機会に、見ればいい。
ヨフは宿を出て、今度は市場のほうに向かった。市場は活気づいている。昼前の人でごった返していて、食べ物のいい匂いが漂ってくる。中心で身なりのいい男が何かを叫んでいた。誰も見向きもしていない。人は男を避けるように歩いている。時々彼のほうへ視線を向ける人も、なにか汚いものを見るような目をしていた。
ヨフは食べ物を提供している出店の一つに座った。最初に「ウェン通貨は使える?」と尋ねる。女はカウンター越しに「使えるよ。一人前で六百ウェン」と言った。やや無機質な口調だった。おまけに少し高い。ヨフの身なりがあきらかに旅行者のそれなので、足元を見られたのかもしれない。
生の魚と米を合わせたものが六つほど出てくる。魚の種類はすべてばらばらだ。それからなにやら黒い液体。ソースだろうか?
「箸……、は外の人には使えないか」
店主がぼやいたので、ヨフは顔をあげた。
「どうやって食べるのがふつうなの?」
「こうさ」
ヨフにだしたものと同じものを一つ作って、二本の木の棒で挟み、黒い液体を少しだけつけて口に運んだ。
“箸”とやらをもらって真似をしてみたが、結局うまくいかなかった。
「ごめん、手づかみでいい……?」
魚がずり落ち米がぽろぽろと溢れそうになっている。店主は笑いながら「いいよ」と言った。
「……おいしい」
噛むと生魚の油が染み出し、軽く味付けされた米と一緒に口の中で混ざる。
この味で六百ウェンならそれほど高くはないのかもしれない。
女の人は嬉しそうににっと笑う。
「……であるので、……の干渉を許すことは」
それを遮るように、さっきの男の声が聞こえてきた。
「うるさいなぁ、あいつ」
「知ってる人?」
「このところずっとああしてるのさ。かんぜーがどうとか言って」
風向きにもよるが、注視すれば聞き取れそうだ。ヨフは目を閉じた。少し集中する。
「農の街からの安い作物を大量に輸入すれば、我々の産業は必ず崩壊します。我々は職を追われる! あの街との貿易を許してはなりません。もし貿易を行うならば関税を掛ける必要がある。しかしこの街の行政はそれを行わないと公言している。繰り返します。農の街との貿易を行ってはいけません。いま保たれているこの街の価格均衡が崩れてしまう。得をするのは行政と農の街だけだ。私たちの暮らしは成り立たなくなってしまいます。我々は魚や工業製品に対しては輸入を行ってきました。ただしそれはこの街にはないものだからです。我々の雇用には直接関係しなかった。それでも一部の同じようなものを作ってきた人達は職を失った。同じことが必ず起こります。このままではいけないんです。みなさん、どうか私の声を聞いてください」
……ふうん。
農の街にはいったことがある。土地も肥料も豊満にある、こことは比べ物にならないくらい大きな街だ。あそこと貿易をやるつもりなのか。
「あんた、その耳……」
ヨフは慌てて耳を手で隠した。そしてすぐに手を離す。ふつうの耳がある。
「ドグル族……? え? でも……」
「や、違うよ? よく見てよ。ドグル族はもっと全身毛だらけでしょ?」
精一杯ごまかす。
ヨフはドグル族と呼ばれる民族ではない。ドグル族は狼や犬のような体毛を持つ種族だ。ヒュルムと言われるヨフのような種族よりも力が強く、足が速い。尻尾がある。ヨフはただもっとよく聞こうとして無意識に魔法を使っていただけだった。
「見、間違い、かな? ごめんな、変なこと言って」
「いいよ。それじゃ、ごちそうさま」
食べ終えたヨフは席を立った。
少し歩いて、思い出したように振り返る。
「あの男の人の言ってたこと、たぶん本当だよ。農の街と貿易をやったら、たぶんこの街は破綻する」
「いらっしゃい」
店主は既に別の客に向かっていて、ヨフの声は聞こえていなかった。
それも仕方のないことだ。
ヨフは興味に駆られて、大声を出す男の元へと歩いていく。
そして正面の地面に座り込む。男の話をじっと聞いていた。きっとこの人はどこかの街でそういう話を勉強してきたのだろう。ヨフもかじった程度にしっている。他の街で似たようなことを聞いたことがある。
ヨフは男の顔を、じーっと見ていた。
どこかでみたことがあると思った。気づいてみると他愛ない。昨日、盗賊の先頭にいた人だ。ヨフのことを襲うなと指示した人だ。ああ、あの馬車は農の街の物だったのか。
きっと交渉を進めないために、ああやって追い払っているのだ。
背後で通行人の声が聞こえる。
「またやってるよ」
「インテリさんのいうことはわからんね」
「値が安くなるなら俺たちは得するだろうに」
「俺らの職がなくなるもんか。こちとらひいばあさんのそのまたひいばあさんの代から、この土地で畑をやってるんだぜ」
誰もが彼をせせら笑っていく。
それでも彼は訴え続ける。
「ねえ」
ヨフは男に話しかけた。
訊いてみたくなったのだ。
「どうしてこんなことを続けてるの?」
「どうしてとは?」
男は叫ぶのをやめて、いささか背の低いヨフに視線を合わせた。
「あなたのいう通り街はきっと破綻するよ。いままで街の中で使われていたお金が農の街に流れ込んで、すぐにお金が足らなくなる。野菜を作ってもお米を作っても、買ってくれる人がいなくなる。だって農の国から買ったほうが安いからね。
他の仕事を探すには、この街は農業に密着しすぎている。きっと膨大な失業者を支えきれない。あなたはそれを見越している。なのに、なんでさっさと他の街にいかないの?」
「決まっているさ。ここが私の生まれ故郷だからだ。みんなに不幸になって欲しくないんだ。学の街への学費をだしてくれたのも、みんなだった」
男は真摯に答えた。
「僕は生まれ故郷がわからないから、羨ましいや」
ヨフはにこっと笑った。
男も笑みで返す。
「どんな手でも使おう。私はきっとこの街を救ってみせる。同じ考えを持っている同士も、少ないけれどいる。いつかみんな、必ずわかってくれる」
男は自信に満ちた顔をしていた。
きっとそうしなければ誰も信じてくれないからだ。ほんとは心細くて仕方ないのだろう。ヨフは他人事として彼を応援した。