7 空の街
一歩外に出るとヨフは一歩も動けなくなった。凄まじい風圧がヨフを空へ攫っていこうとしている。
「フォル」
「わかっておるわ」
『流の魔法』が発動する。ヨフの体にかかっていた風圧がまったくなくなったように感じる。
流の魔法は力の向きを操る魔法だ。飛行機に掛かる風圧の流れを変えて、自分達の周囲だけを無風に等しくした。
悪魔と同じように、飛行機の翼に立つ。血走った目をした悪魔がヨフたちのほうを睨んだ。小柄で空色の肌をしていた。さきほどは角度のせいか見えなかったが背中に天使のそれに似た羽が生えている。
「引き返せってわざわざこのパゼル様が言ってやってるだろうがゴミ共。聞けねーのか? 死ぬか? 落ちるか?」
「わしらを倒せば引き返すそうだよ」
フォルトルーロがでまかせを言った。
「これだからてめえらは……。痛い目にあわねーとわからねえんだなぁ?!」
パゼルと名乗った悪魔がこちらに向けて疾走する。魔法の助けもないのに、風圧を無力化しているヨフ達よりもなめらかな動きだった。
「ルピー」
「あいよ」
小鳥の姿から人間に戻ったルピーの斬撃が襲いかかる。虚をついたのと狭い飛行機の上なので逃げ場はなかった。流の魔法で風圧を無力化した刀が滑るように空間を裂く。しかし悪魔はもうそこにはいない。
「飛び降りた……」
天使に似た羽を広げ、飛行機のやや後方を飛んでいる。と、次の瞬間、爆発的に加速して飛行機を追い抜いた。後方の雲が大きく薙ぎ払われるのが見えた
「風の魔法、かね」
フォルトルーロが呟く。
さきほどの加速は、大量の空気を集めて後ろに向けて噴射したものだと推察した。前方に回ったパゼルが超速度で突進してくる。ルピーがヨフを掴み、フォルトルーロを蹴り飛ばした。ルピー自身はその勢いで、逆側を転がるようにして逃げる。二手に別れた彼らの間を、パゼルが抜けていく。ルピーの刀がそれを追うが、到底届かない。
「くそ不利だな」
ルピーは悪魔狩りを生業にしてきた。悪魔との戦闘経験はそれなりにあるものの、こんな不利な状況での戦闘は初めてだった。
「おっさん、なんか手はないのか?」
「おっさんとはなんじゃ。使い魔の分際で」
どうでもいい悪態を飛ばす。ようするに何も思いつかないらしい。再びパゼルが爆発するような加速で飛行機に追いついてくる。
「まあ距離が近ければとりあえず、こうじゃな」
パゼルが速度をそのまま、がくんと真下に沈んだ。下方で体勢を立て直す。
「なにしたんだ?」
「翼にかかる風圧の流れを変えたのだが、さすがにこの程度ではどうにもならんか。骨の二、三は逝ったはずなのだがな。まあ同じ手は通じまい」
あっさりと凄まじいことを言う。
力の流れを変える魔法。
ルピーはフォルトルーロの魔法が無敵なのではないかと思った。が、別にそんなことはない。フォルトルーロの魔法は間接攻撃に対しては無敵だ。直接殴りかられた場合は向きを変えることができない。これはフォルトルーロの魔法と、生物が本来持っている魔力が打ち消しあってしまうからだ。ヨフがルピーの肉体を変質させる際に「難しい」と言ったのもここに由来する。瀕死で魔力の消えかけていたからこそ成功したが、ヨフは普通の人間を動物に変えることはできない。
パゼルは上空に回り込み、翼を畳んで落下気味に突進してくる。これでは流れを変えてもやはり落ちてくるだけなので意味がない。ルピーが迎え撃とうとしたが、わずかに翼を動かしたパゼルは少しだけ落下の軌道を変えて刀を躱した。ルピーは姿勢を低くして飛行機に張り付くようにしてパゼルの突進を躱す。今度まではどうにかなったが、次を避ける自信はなかった。
「あのさ。ルピー、ちょっと相談があるんだけど」
「あ?」
「えーっとね、ゴニョゴニョーって感じのことがしたいんだ」
「……お前、正気かよ?」
「だってパゼルはきっとゴニョゴニョーってことを知らないと思うから、成功すると思うんだよね」
「……わかった」
――パゼルは飛行機を落とそうとは考えていなかった。その証拠に機体を直接攻撃はしていない。狙いはあくまでも、機体の上にいる人間だけだ。
(うっぜえな。それを踏まえた位置取りをしてやがる)
例えば赤髪の女剣士はさきほどの突進を飛行機に張り付いて躱した。だが真上から突っ込めば女剣士諸共飛行機の機体をブチ抜いて殺せた。
フォルトルーロの推察通り、パゼルの魔法は『風の魔法』だ。さきほどから飛行機の上にいる三人を吹き飛ばすような豪風を吹かせているのだが、一向に効果がない。おそらくあのバルト族の魔法なのだろう。
赤髪の動体視力には驚いたが、彼女とてパゼルの超スピードについてこれている訳ではない。このまま一撃離脱の戦法で倒せる。パゼルは再び空気を圧縮、爆発させるように後方に噴射し、彼らの斜め上から超速度で突進する。
赤髪の放った斬撃が、さきほどよりさらに正確にパゼルを捉える。一度や二度で自分の速度を捉えつつあることに驚きながら、やはり翼を動かして刀を躱す。紙一重で赤髪もまたパゼルを躱す。パゼルは手を伸ばして彼女の腹部に爪を立てた。鷲のそれに似たパゼルの手が肉を抉り、一瞬宙に浮いた赤髪の体が飛行機の機体から離れる。
落ちる。寸前で、バルド族が赤髪の腕を掴んで、機体の上に引きずり戻した。
パゼルは舌打ちする。が、次の突進で誰かはやれるだろうと再び仕掛けようとして。
不意に首筋にひやりと冷たいものが触れた。
それは小さな手だった。
「もしもし」
一番小柄な少年が、パゼルの背中に乗っていた。
「えーっとルピーの刀に掴まって、刀と君のすれ違いざまに君の背中に飛び乗ったんだけど」
首を掴んでいるのと逆の手で、少年はパゼルの翼の根元を掴んでいる。少し力を込めればパゼルと少年は地面に向けて真っ逆さまになるだろう。
「そんなのはどうでもいいかな? 僕は飛べるんだ。だからこのまま君の翼を握りつぶしたら、死ぬのは君だけなんだ。でもそれだと、僕は君ほど速く飛べるわけじゃないから、飛行機に戻れないんだよ。それで交渉なんだけど、僕を飛行機まで連れて行ってくれないかい? そこから先の話はまたそれからしようじゃないか」
パゼルは混乱した頭で、自分が敗北したことを認識する。




