7 空の街
それから一晩ゆっくりと休んで、ヨフは飛行機の搭乗手続きをするために外に出た。地図を見ながら歩いていると、一人の少年が裏路地を駆け抜けていった。ボロ衣を身につけたスラムの住民らしかった。片手に血のついたナイフを持っていた。
「物騒だね」
「そーだな」
もっと物騒な世界を生きてきたルピーにはどうでもよかった。子供には同情するが、それだけだ。
少し歩いて通りに出ると、人だかりがあった。何かを中心にして混雑が生まれている。が、背の低いヨフには見えなかった。
「ルピー」
「ん?」
「肩車して」
「ふざけんな」
一蹴されたので仕方なく、人混みを分け行って中心に辿り着く。そこには昨日の警官が倒れていた。腹のあたりからとくとくと血が流れている。傍らの女性が応急処置をしているが、手つきがたどたどしく、傷は深かった。助からないだろう、とルピーは思った。ヨフが彼に近づき、「こんにちは」と言った。警官が苦しそうに呻きながら「こんにちは」と返した。
「子供に刺されたの?」
わずかに顎を動かす。
きっと彼を刺した子供は、スラムの仲間が逮捕されるのを、見てどこか恐いところに連れて行かれたのだと思ったのだろう。仲間達からの連絡はなかったに違いない。なぜなら連れて行かれた彼らは真っ当に社会復帰を果たして、スラムとの関係を断ちたいと考えていたからだ。
「よかれと思ってやっていたことなのですが」
苦しそうな表情のまま、どうにか笑おうとした。ヨフは獣の魔法を使って、ジコノチドという鎮痛剤を打った。貝類に由来する成分でモルヒネの1000倍の鎮痛作用がある。
彼は少しだけ穏やかな表情になり、そのうち失血死した。
ヨフはその場を離れ、当初の予定通りに飛行機の搭乗手続きに向かった。
「ルピー、世界では毎日いろんな人が死んでるね」
「言い換えろよ。いろんなやつが生きてるさ」
「そうだね」
ヨフは少しだけさみしそうな顔をした。
搭乗手続きはひどく呆気なく終わった。身体検査もなく、規定の料金 (恐ろしく高かった)を支払って名前を伝え、固有の番号の書かれた札を貰っただけだ。
「そのうちテロがありそうだな」
ルピーがにやにやと笑いながら言った。
「そんなこと言わないでよ。ちょっと不安になってきたじゃないか」
「別にあの飛行機とやらが落ちても、お前は空を飛べるんだから関係ないだろ」
「あ、そっか」
「アホ」
嘴を摘もうとしたヨフを間一髪で避ける。
そのうち離陸の時間が近づいてきて、ヨフは飛行機に乗り込んだ。中は殺風景だった。座席が幾つかあり、鋼で出来た機内は無骨な感じがする。前のほうに扉があり、その先に操縦室があるようだった。
「ほんとにこれが飛ぶんだね……」
ヨフは落ち着かずにきょろきょろと辺りを見渡す。ふと座席で頭まで毛布を被っている男に気がつく。垂れた両腕から茶色の羽根が生えていた。バルト族という種族の特徴だ。彼らは胸筋が非常に発達していて、空を飛ぶことができる。少数しか存在しない非常に珍しい種族だった。
眠っているらしかった。話しかけようかと思ったが、やめにした。窓際の席に座り、時間が過ぎるのを待つ。時間ギリギリになって、席も埋まり始めていた。
「まもなく離陸しました。離陸の衝撃に備えて、腰のベルトを締めてください」
乗組員が大きな声で言う。ヨフはベルトを締めた。それから一分ほどして、ぐぉんという轟音が響いた。エンジンに火が入ったのだ。それから、後ろに弱く引っ張られる感覚。窓の外がめまぐるしく動く。飛んでいた。気圧の変化で耳に違和感が出る。
「わ」
窓の下に小さな街が見えた。無論街が小さいのではない。距離があるので小さく見えるだけだ。整備された街道が大地に不思議な模様を描いていた。模様を辿っていくと違う街がある。剣の街を見つけてルピーは目を逸らした。
しばらく飛行機は安定した軌道で進んでいた。しかししばらくして、突然前に傾いた。最初ヨフはもう目的地に着いたのかと思ったが、違った。少しして機体はやや不安定ながら水平に戻り、乗組員の一人が真っ青な顔で操縦室から出てきた。
「お、お客様の中に、対悪魔戦闘が可能な方はいらっしゃいませんか……?」
ヨフはシートベルトを外した。不安定な機内を進み、乗組員のところまで行く。
「僕は魔導士だけど。何があったの?」
「一先ず奥へ」
「待ちなさい」
毛布を被っていたバルト族がゆっくりと体を起こした。老齢だが体格のいい男だった。
「トラブルがあったなら我々にも説明するべきではないかね?」
乗組員が唇を噛む。
「さきほどの通りです。当機は現在悪魔に襲われています」
「嘘だね」
バルト族は即座に言った。
「やつらが本気なら、武装もしていないこんな玩具はすぐに墜落している。なにか要求してきているのではないかね? 目的は交渉だろう」
「……ともかく奥へ」
「ああ、私はなにも君たちと争おうと言っているのではないのだよ。ただフェアではないと思ってね。私は魔導士だ。力を貸そうじゃないか。私のことも奥へ案内しておくれ」
バツが悪そうに乗組員がバルト族を見る。
「お願いします」頭を下げ、乗組員が操縦室のほうへと歩いていく。バルト族の男とヨフがその後ろに続く。
バルト族の男がにやにやと笑いながらヨフのほうを見ていた。ヨフは少し呆れていた。
「“陥空”フォルトルーロ。なんで君がこんなところにいるのさ」
「簡単な話だよ。“獣王”。自分で飛ぶのは疲れるだろう?」
「……ヨフ、こいつは?」
ルピーが小声で訊ねる。
「英傑の一人だよ。『流の魔法』を使う」
ルピーはフォルトルーロを見る。武器らしいものは腰に短槍があるが、リーチが短く護身用程度に見えた。ヨフのように魔法のみで戦うタイプなのか。
操縦室に着いた。
「あれです」
窓を指差して操縦士が言う。操縦室の窓は大きく後方が見渡せる作りになっていて、翼の様子が確認できた。そこに一つの黒い影が立っている。風圧に振り落とされるような気配は一切ない。
「やつの要求は?」
「要求?」
操縦士は驚いた顔をして、次に乗組員の男を睨んだ。バラしたな? と目がいっている。
「なんのことでしょうか? やつは一方的に攻撃してきて、当機に乗っている人間を皆殺しにしようとしているだけです」
「……ふむ。まあよいか」
フォルトルーロはあっさりと引き下がった。
「それなりの報酬は用意してもらうぞ。よいな?」
豪胆な笑みで言い、機外へ通じる扉を開くようにいった。操縦士が頷く。
「では行こうか、ヨゼフや」
「うまくサポートしてよ……?」




