1 山賊の街
1 山賊の街
ヨフが街道を歩いていると逆側から旅人らしき男が向かってくるのが見えた。馬を無くしてから数日、人と会うのが随分久しぶりな気がする。近くまでやってきたので声を掛けた。
「旅人さん、この先の街はあとどれくらいの距離?」
「もうそんなに離れていないよ。すぐそこさ」
答えながら男は怪訝そうな目つきになる。ヨフもまた旅人風のなりをしていたが、彼がどこからどうみても少年だったからだ。背丈と顔立ちから察するに十三、四歳だろうか? ぼろぼろの外套に直射日光にやられた砂色の肌。丈夫な革製のブーツ。大きなバッグ。武器を持っていないことを除けばどれをとっても旅人の格好だ。年齢だけが釣り合っていない。それから視線が顔のほうへ移る。黒髪は手入れがされていないが、不思議と不潔な感じはしなかった。氷の透き通った青い眼をしている。
「歩きかい? 遠かっただろ」
「うん。途中まで乗ってきた馬が、荷馬車とすれ違う時に暴れだして振り落とされちゃったんだ。次に行くことがあったら絶対文句言ってやる。ところであなたは、どこへいくの? あなたも歩きだよね?」
聞き返されて男は答えに詰まる。
「まあちょっと、近くに用事さ。それじゃあね」
と、言い、足早に離れていく。
変なの。
思いながらもうしばらく歩いていると一台の馬車が向かいから走ってくるのが見えた。ずいぶんな勢いで車輪が回っている。土煙が上がっている。悪魔に追われているのだろうか? だったらすぐにその場を離れるべきだ。しかし後ろにも似たような土煙があがっているので、どうやらそういうわけではなさそうだった。ああ、人間が人間に追われてるのか。
状況が把握できた途端に興味をなくしてしまった。ヨフは無視してそのまま歩くことにした。絡まれたら追い払えばいい。
土煙をあげながら馬車がヨフを通り過ぎる。荷台には有名な貿易会社のマークがあった。恩を売っておいたら美味しいかもしれないなとちらりと思ったが、面倒臭さが勝った。さらに前方で、馬に跨った人間が幾人かいる。人相の悪そうなのもいれば、そうでないのもいた。子供もいれば女性もいた。きちんと数えてみると、どうやら二十人ほどの集団のようだ。全員腰に剣や短い槍を下げている。さっきの馬車は武装していない。また相当積荷が重いはずだ。軽装の盗賊から逃げ切ることはできないだろうなと思った。
先頭の男がちらりとヨフを見て、手でなにか合図をだした。背後の集団がかすかに顎を動かすのがわかる。ヨフは少しだけ身構える。
しかし集団はヨフを避けるように進路を歪め、行軍の速度を少し落とした。まるであなたに敵意はありません。とでも言うように。
なんだったんだろう?
ヨフは後方に通り過ぎた馬車のほうを見つつ、やっぱりすぐに興味を無くして、また元の道を歩き出す。
しばらくすると大きな建物が見えてきた。街をぐるりと囲むようにできている大きな壁だ。悪魔の侵攻や盗賊から街を守るために、どこの街もこういう作りになっている。
やっと街だ。
このところ野宿ばかりだったから、まともな寝床が恋しかった。前の街をでてからもう一週間は立っている。水や食料はある程度持っていたが、体を自由に洗えるほどの余裕があったわけではない。水場に立ち寄ったのは三日前だ。ヨフの通ってきた街道は風通しのよい森の中にあったから、気温は低く、汗の不快感はそれほどなかった。とはいえ三日分の汚れを洗い落としたくはある。
壁に近づくと、一人の女が森の影からこちらをじっと見ていた。ヨフと視線が合う。背が低く童顔だ。子供らしかった。身なりは悪くない。でも壁の外にいるということは、盗賊の一味だろうか? 街の人ならば話しかけてみようとヨフは近づいていったが、彼女は怯えたように、小走りに森の奥へと逃げていった。
「……」
とりあえず気にしないことにして、壁に近づいた。衛兵が二人立っている。ようやく街に入れる。ヨフは嬉しくなって駆けていく。
鉄で出来た冷たい色の壁を見ながら、ヨフは壁が他の街の物よりも随分低いことに気がついた。
ヨフは衛兵に近づく。大きなバッグは肩に掛けて、両手を広げる。両手に武器を持っていないことを示すのが、こういう場合のルールだ。
「街に入りたいんだ」
他の街には珍しい女性の衛兵は、少し戸惑ったようだ。好奇心を隠さない目で眺めてくる。
視線が合って慌てて目をそらす。
きちんと身なりを整えればなかなかの美少年なのではないだろうか、と彼女は思った。
「えっと、旅人さん、ですか?」
「うん」
「お名前と目的と滞在期間をお願いします」
「ヨゼフ=イトイーティット=カッセ、目的は観光、そんなに長くいるつもりはないよ。二週間くらいかな」
「貴族……、いえ、魔道士様ですか?」
頷く。こう聞き返してきたのはヨフが家名を名乗ったからだ。姓を持っているのは貴族か魔道士だけだ。ミドルネームまで持っているのはその中の一握りにすぎない。王侯十貴族と呼ばれる、国の中でも重鎮の貴族の血縁者と、なにか非常な功績を残した魔道士のどちらか。最近では「二十七人の英傑」が有名だ。あとはヨフがお供を連れていないことから察したのだろう。姓を持っているような貴族がたった一人で旅をしていることは、ふつうありえない。
きっと彼女は教養のある人なんだろうなとヨフは思う。就学率の低いところではそもそも姓名と魔道士であることを結びつけはしない。たいぶ前に大変な貴族がきたと思った街があり、丁重に扱われすぎて逆に不快な思いをしたことがあった。
ヨフは自由が好きなのだ。
得心がいったように彼女はこくりと顎を引いた。
「はい、ヨゼフ様、入場を許可します」
少し微笑んで言う。ヨフのフルネームが書かれた入街許可証と地図を差し出してくれる。
「それから一つ聞きたいんだけど」
「はい」
「この街は治安が悪いのかい?」
山賊を思い浮かべて言う。
衛兵さんは眉を寄せた。
「普段は特別治安が悪いわけではありません。ただ、いまは少し……」
俯いてしまう。
しかしすぐに顔をあげた。
「大丈夫です。旅人に害をなすようなことはありません」
ヨフはその物言いに少し引っ掛かりを覚える。盗賊とは本来見境のないものだ。よほど強そうに見えない限り、それこそ軍隊や傭兵団でもない限り、彼らは見境なく殺し、奪う。旅人には害をなさない盗賊なんてのはありえない。
衛兵さんの静かな笑みは、それ以上の説明を拒絶していた。
「ありがとう。それじゃまたね!」
ヨフは街の中へ駆け出した。走りながら地図を開く。まずは宿を取りたかった。それから地図の内容と、辺りの景色に少し笑った。
「……畑ばっかり!」
一面、見渡す限りの田畑が広がっていた。どうやらヨフが思っていたよりもずっと大きな街のようだ。その広大な土地を使って農作物を作っているらしい。
ヨフはなるべく次に行く街のことを調べないようにしている。そのほうがこういう、予想していない風景を見つけられて楽しいからだ。
ヨフは地図を見ながら、小さな街道なんかよりは長いかもしれない道のりをずっと歩いていく。
少し離れて居住区があった。夕暮れが近いせいか、市場には活気がある。ヨフはそこには立ち寄らず、少し高台になっているところにあるはずの宿を目指した。
ヨフは坂を登ることにげんなりしたが、意を決して舗装された階段を登っていった。階段の周囲は棚田のようになっていた。きっと水源が近いのだ。階段を登りきって、多少恨めしそうにヨフは階段を振り返る。足が疲れていた。けれどヨフは一瞬、その疲れを忘れた。
夕焼けに照らされた水がきらきらとオレンジに輝き、不思議な模様を描いていた。わずかな水の流れが不規則な光の川を作っている。美しかった。向こう側の壁が影を作り、それを脅かしているように見えるのが、なんだか切なかった。この街の壁が低いのは、この光景をなくさないためなのだと、ヨフは思った。しばらく立ち尽くしていた。やがて足の疲れを思いだし、宿に向かう。
「いらっしゃい」
暖かい声と空気がヨフを迎えた。
「お一人ですか?」
綺麗な身なりをした女の人が言う。
あれ? また女の人なんだ?
少し不思議に思う。
不法侵入ではないことを示す許可証を手渡し、その場で目を通して返してもらった。
「確認しました。私、案内係をしているオキと申します。お部屋に案内しますね」
子供だからと軽んじられるのが好きではない。なのでこの街の空気はありがたかった。
なにげなくふと気になったことを訊いてみる。
「この街では、働いているのは女の人ばっかりなの?」
オキは苦笑して答えた。
「もう見られたと思いますが、この街は農業の街です。なので男の人の手はそちらに回っていて、他の仕事は女の人がしてることが多いんですよ」
いまの時間はすごくきれいな夕焼けがみられますよ。と付け足す。
「うん、見たよ。とてもよかった」
先ほどの光景を思い出して笑顔になる。自分の街の風景を喜んでくれることが嬉しかったのか、オキもとびきりの笑顔になった。
「朝焼けもとても綺麗ですから、是非ごらんになってください。いまの季節ですと、午前の五時ごろになります」
「必ず見るよ」
ヨフがそういったあたりで、丁度部屋の前にきた。部屋に入る前は靴を脱ぐように注意され、案内される。荷物を置いて風呂に入り、髪の毛が乾かないうちに布団の上に寝転んだ。
そしてすぐさま眠りについた。