5 氷の街
開放された腕が痺れている。雪の上に横たわる。雲はいつのまにか晴れていて、青空が広がっている。
「ねえねえ、雪合戦しようよ」
「やだ」
「ねえねえ、雪合戦しようよ」
「やだって」
「ねえねえ、雪合戦しようよ」
「嫌だって言ってるだろ」
ヨフのほうを見ると、クマの手で人間大のサイズの雪玉を掲げていた。
「じゃあはじめるね!」
「待て、お前がやろうとしているのは雪合戦じゃねえ!」
嫌だ、以外の返事があったことを了承ととったらしい。ヨフが雪玉を放り投げた。神速の反射でルピーが避ける。「待てっての!」ヨフは次の巨大雪玉を作り始めている。
キレた。
バックステップしたルピーを追うように雪玉が投擲される。長刀を振るい、雪玉が切断。途中で刀を微妙に捻り、二つに割れた雪玉が両脇で砕ける。ルピーは雪面を蹴り上げた。刀を離す。舞い上がった雪を両手で掴み、小さい玉を作る。放り投げる。足をチーターのそれに変化させたヨフが、ルピーの周りを、円を描くように駆ける。走りながら異常に伸びた手で雪を掬い、もう片方の手で叩いて固めている。ルピーは動きを先読みして雪玉を投げ、牽制する。歪に走る軌道が歪む。隙を伺っていたらしいが、無駄だと判断したのか途中で制動を掛け、ルピーのほうへ直線で走ってくる。迎撃に投げた雪玉は、さらに巨大な雪玉に散らされる。さっきのように捻って斬るには、間合いが近い。ルピーは舌打ちして右に逃げる。と見せかけて左手に持った雪玉を軽く右に投げた。
それは接近してきたヨフの顔面にあたった。不意をついたつもりだったのだろうが、甘い。
「あー、負けちゃった」
呑気に言うヨフの側頭部に蹴りをいれる。刀を拾い、倒れたヨフの両腕を足の裏で押さえる。それから首の真横に脇差を振り下ろし長刀のほうは首の寸前で止めた。
「あ、あの? えっと……」
「復元できるって言っても、刺し続けたらそのうち死ぬよなぁ?」
「あ、あの、る、ルピー? わりとガチで怖いんだけど」
「懲りたか?」
「は、はい。すいません、でした」
ため息を吐いて、ルピーはヨフの上から退く。脇差を鞘に収める。それからもう一度どてっと雪の上に倒れた。
「ねえ、ルピー」
「ん? 雪合戦ならもうやらねーぞ」
「あの街でドグルを殺してたのって、軍かな」
「……あたしはそうだと思うぜ」
軍関係者以外だとすれば、あれだけ親ドグルの街で犯人が捕まらなかった理由がわからない。反ドグルの街では警官が調査を怠ったりする場合がある。しかし氷の街はそうではなかった。おそらく軍の上の部分を掌握した粛清教員が証拠をもみ消した。そういうことではないだろうか。
「だとしたらきっとその粛清教員は、殲滅戦を逃れてまだ潜伏してるよね」
「たぶんな。あの戦いに氷の街から誰かが参戦したって話は聞かない」
「ところでさ、このままドグルの姿でいたら襲いかかってくるかな? もう少しいるつもりなんだけどなぁ。どうしようかなぁ」
「すぐに出ろよ。面倒事は嫌いなんだろ?」
「ルピーはわかってないね。僕は面倒事が嫌いだけど、面倒事を回避する努力をすることも嫌いなんだよ」
そういう口調は少し楽しそうだ。
ルピーにはヨフがわからない。不死身の人間とそうでない人間の差だろうか?
そうしてしばらく晴れ渡った空を見ながらぼーっとしていた。服の下に感じる雪の感触が気持ちよかった。そうして気づいたら鳥の姿に戻っていた。時間切れだろう。
「んじゃあ戻ろうか」
「ああ」
ルピーを肩に止めてヨフは歩き出す。雪道の感触を楽しみながら宿に戻った。部屋に入ってヨフは風呂に入った。ドグルの体で風呂に入っていると毛がごわごわして気持ちよくない。ヒュルムの姿に戻る。
「はぅ……」
蕩けた顔をする。
冷えた体に温水が嬉しかった。
「ごくらくごくらくー」
部屋に一人で残ったルピーは、呑気なやつ。と思いながらあくびをした。
本当に粛清教の手がこの街に蔓延っているなら、いまここで突然扉が相手誰かが殺しにくるかもしれないのに。
結局、何日か経ったが、二人が思っていたようなことは起こらなかった。氷の街は海が近いらしく魚介類が美味しい。ヨフは大いに食事が楽しんだ。雪の降る光景も楽しんだ。吹雪の夜は幻想的で、恐ろしかった。新雪はきらきらと輝いていて、ヨフはすっかり雪焼けしていしまった。
そして飽きた。
あの朝、ヨフは普段の格好で外に出た。特に理由があったからではなく、単に魔法を使うのを忘れていたからだ。そこでばったり、知り合いと出くわした。
「……ディべーロ?」
青銅色の髪を肩まで伸ばした男が振り返った。
三十を少しすぎたくらいの、無精ひげを生やしている。どこか疲れた顔をしていた。
服装は厚手の黒いコートだ。軍用の布地で寒さを通さない。
「ヨゼフか?」
男が驚いた顔で言う。
「どうしてこの街にいるんだ? あのあと俺たちは随分お前を探したんだぞ」
「え。だってもう用事なかったし」
「アルディアルが寂しがっていた」
「うわ。いやだよ。あいつ、僕の体を狙ってるんだもん」
魔法の実験対象として。
という意味だが、周りを歩いていた人間がギョッとして振り向く。
「君こそどうしたのさ。ここに縁とかあったっけ? 君の故郷は機械の街だよね?」
「少し大きな声では言えない用事があってな」
ディべーロは言葉を濁す。
「“機神”がわざわざ出向かないといけないようなことなの?」
「まあ深く追求しないでくれ」
「ちぇっ。……だいたい想像がつくけどさ」
「すまんな。できれば俺だって、“獣王”に手伝って欲しいんだがな」
「頼まれたら手伝うけど、君はきっとこういうでしょう。“お互いの立場が悪くなるようなことはやめよう”」
「ありがとう」
ヨフはすねたように雪を蹴った。
「僕はどうせすぐに街を出るから、もういいよ。古い友達に頼ってもらえなかったのは、少しさみしいけど」
「お前は変わっていないな」
「そうだよ。僕は変わらないんだ」
ディべーロは自分の髭をなでた。
少し暗い声で言う。
「ヨゼフ、俺は変わったよ。この通り歳も食った。いろんなことがあった。深く訊くなよ。単なる愚痴さ」
「……そっか」
それから二人は共通の友人の話をした。
アルディアルは相変わらず実験室で爆発ばかり起こしている。とか。フォルトルーロが子供を生んだ。とか。レトレレットのアホが王の街で兵士百人抜きをやったらしい。とか。
「そういえば獣の街に行ってきた」
ディべーロの眉がぴくりと動いた。
「あの街にはレイフォールがいるそうだね。僕と彼はあんまり仲がよくなかったから、結局会わなかったけど」
しばらく返答がなかった。
値踏みするようにヨフの顔を見つめてくる。
なぜか安堵したような息を吐く。
「ああ、あの偏屈とは俺たちの仲の誰でも会いたくないだろうな」
「そうかな? アルディアルなんかとは気があってたんじゃない?」
「そうか? 知らなかった」
ディべーロが何気なく腕時計を見た。
ヨフも釣られて文字盤に目をやる。
「すまない。用事があるんだ」
「わ、もうこんな時間か。思わず話こんじゃってたね。僕も出発の準備をしないと」
「また機会があればゆっくり話そう」
ディべーロが差し出してきた手を握り、二人は別れた。
少ししてヨフの肩に一羽の小鳥が止まる。
「あんまり遅いから様子見にきたが、なんだあいつ?」
「“機神”ディべーロ=ウルエルガ=マキナウォール。二十七人の英傑の一人だよ」
「……マジかよ。どういう知り合いだ?」
「え? 僕も英傑だから知ってて当たり前じゃない?」
「は?」
「だから英傑。“獣王”ヨゼフ=イトイーティッド=カッセ」
…………。
ルピーは複雑な気分になった。
合点がいったようないかないような。
なるほどやたらと強いわけだ、と納得がいったのが半分。
ヨフの年齢を考えて、こんなガキが? というのが残り半分だ。
ベルリアの事件が三年前だから、戦いに参加したときヨフはまだ十歳前後だったことになる。最もルピーはヨフの正確な年齢を知らないので、外見から計算しての話だが。
「その時の報奨金がいっぱいあるから、こうやって趣味の度に費してるんだよ」
「ふーん。へー」
わかったようなわからないような……。
二人は宿に戻り、荷物を纏めた。
「そういえばドグルの姿じゃなくていいのか? あの姿で街に入ったんだから、怪しまれるんじゃねーの?」
「あ、そっか。忘れてたや」
ヨフは手早く直立二足歩行する狼のような姿になる。宿に戻り荷物をとって街の外に向けて歩き出す。
ディべーロはかなり派手な魔法を使うので、巻き込まれたくなかった。
彼が本気で粛清教を殲滅しようとすれば、こんな小さな街の軍隊など一たまりもないだろう。
道中で額の手当をしてくれた女の人にあった。
「街、でるんけ?」
「うん。あのときはありがと」
「どういたしましてー。またきてな」
不意にルピーが口を開いた。
「なぁ、春先になんでこんなに雪降ってるんだ?」
「……わぁ。この鳥さん喋りはるん? すごいなぁ」
「いいでしょ! かわいいでしょ」
おまえにかわいいとか言われたくねー。
と、ルピーは思ったがとりあえず黙っておいた。
「んーとねえ。風上のおっきい街でなんかやってるみたい。で、水蒸気がもくもくーって上がって、こっとに流れてきたんやって」
「ふーん……」
頭の中で地図を思い浮かべる。
風上にある街は、なんだっただろうか。
「町長さんがこないだ抗議にいったんやけど、来年の冬どうなるか不安やわぁ」
「ねえ、その街ってどっち?」
「ずーっと西のほうやよ」
「西か。ありがと。じゃあね!」
「またねー」




