5 氷の街
5 氷の街
なんだか急に寒くなってきた。少し先の空が薄暗い。もう少しすると白い物がちらついてくる。
「お、雪だな」
ルピーが呟く。
「ゆき? 知り合いでもいたのかい?」
「知らないのか?」
「そりゃあ 僕にだって知らないことはあるよ。ゆきって何? そういう名前の人なら知ってるけど」
唇を尖らせる。
こういうときは子供そのものだった。猛獣の体に化けて凄まじい膂力を振るうヨフを思い浮かべる。ギャップが奇妙だった。
「寒い地域だと雲の中の水蒸気が凍って、こんなふうに落ちてくるのさ」
「へえ……」
好奇心で目を輝かせている。一方で外套の前を閉じる。雪がはじめてということは、寒い地域にはいったことがないのかもしれない。
街を取り囲む壁が見えてきた時には、すでに周囲は雪に覆われていた。一面の白銀世界。地面を踏む足が沈み込む。
「剣の街でも雪が降るのかい?」
「降らないな」
「じゃあルピーはどうして雪を知ってるの?」
「剣の街で一人前と認められるには、丁度このあたりの森に二十日間放り出されるのさ。最低限の装備で、まず寒さを凌ぐとこを探さないとダメだったな」
「うわ……」
「ジャクウルフの大群とやったときは燃えたねえ。規定外の大量発生だったらしくて、救援がきたんだがな。そのときにはもう平らげたあとだったよ。試験は続行だったが食料と防寒具が確保できたから、そのあとは余裕だったな」
愉快そうなルピーを理解できない目で見る。困難は避けるべきだ、というのがヨフの基本的な考え方だ。面倒は嫌いではないのだけど。
「ちなみにこの先の街にいったことは?」
「あるよ。その訓練が終わったあとに、まともな街で宿とって養生するのが恒例だから」
「ネタバレとかやめてね」
「ん?」
意味がわからなかったが、とりあえず頷いておいた。壁に近づいていくが、慣れない雪道のためかなり遅い。
「……ルピー」
「なんだ?」
「すっごい寒い」
「……寒さに強い生き物とかに変身すればいいんじゃねーの?」
「あ、ほんとだ。頭いいね!」
「おまえの頭が悪いんだろ」
ルピーは猫だましを受けた。
耳の奥がキーンと鳴る。
ヨフの全身に狼の毛が生える。皮膚の下で脂肪が膨れ、断熱材の役割を果たす。
「ちょっとましになった」
ドグル族そっくりの姿になったヨフが歩いていく。
「おいおい。入管にそのまま行く気か?」
「うん。寒い」
「詐欺だろ」
「仕方ないじゃん。寒いんだから」
悪態が白い霧になって消える。
もう少しして入街管理所につく。
「こんにちワ」
ヨフはドグルの声帯を作って言った。
「こんにちは」
衛兵はまったく気付いた様子はない。ただドグルを相手にすることに、少し緊張しているように見える。
(便利な魔法……)
ルピーは何人かの魔道士を知っているが、ここまで用途の広いものは他にないだろう。
いくつかやりとりし、レックと名乗ったヨフの入街許可証が発行される。偽名を使ったのは、ドグル族では「レ」から始まる名前が普通だからだ。
街の中も一面の銀世界だった。随分背の低い木造建築の茶色と、人間。そして彼らの握るスコップだけが見えている。道の街が作った一般的な道路は一切なかった。
「ねえ、彼らワ何をしてるの?」
「雪を退けてるのさ。いま見えてる家の部分、全部二階だぜ」
「ええっ?」
改めて周囲を見渡す。背の低い建物ばかりだと思ったのは、全部埋まっているからのようだ。足元の雪の深さは、なんだか実感がない。
「だからお前が扉だと思ってるものはただの窓だ。ほんとにひどい降り方をしたときは二階も埋まるらしい」
「や、屋根の上の人ワ?」
「だから屋根から雪を退けてるんだよ。ほっといたら雪の重さで家が潰れるんだ」
「なにそれこワい?!」
「専門の業者もいるらしいが、住民の大半は自前で雪かきするのが普通だな」
すごい! と、はしゃぎ回るヨフを横目に見て、「妙だな」とルピーは思った。
本来この氷の街の雪が深まるのは冬だ。
対していまは春だ。本来なら冬の残滓を振り払い、緑が深まってくる時期だ。大きな降雪があるのは、十一月から二月までのあいだだったはずだ。
あきらかにこの積もり方はおかしい。
「なんだろうな」
ぱたぱたと羽を動かしてルピーは木製の手すりに止まる。
はしゃいでいるヨフを見下ろしながら、なんだか無性に腹が立った。鳥の自分。人間のはずの自分。このままでいいのか。使い魔扱いされて悔しくないのか。断片的にそんなことが浮かんで消える。それからヨフを殺したくなる。たぶん筋違いの殺意だ。ヨフがいなければルピーはただ死んでいたのだから。腹に空いていた傷を撫でる。とっくに塞がっている。尋常ではない速度の治癒は、おそらくヨフが随分苦労してくれたからなのだろう。まあそれとこれとは関係なかったのだけど。大切なのは誇りが傷ついているかどうかだ。ルピルルーレは戦士なのだから。




