4 神の街
その先には洞窟があった。自然にできたもののようだ。暗く、深さはわからない。入ってみるとひんやりと冷たい空気が肌を濡らした。
「ここに神様がいらっしゃいます」
「神?」
ヨフは聞き返した。
「はい。私たちに生活の知恵を与え、悪意から守ってくださる偉大なお方です」
心酔しているような目。
少しだけ気に食わないなと思った。
人が人のことを語るときに、こういう目をすると、だいたいろくなことにならない。
「ところであなたは幸せ?」
「幸せ、ですか? よくわからないけど、悪くないとは思っています」
……へえ。
洞窟をしばらくいくと、薄明かりが見えてくる。それと一緒に濃い威圧感があった。ヨフは梟の目で暗闇を中和する。他の魔法もすぐに使えるように警戒しながら、歩いていく。足音が反響する。
「神様、お客様です」
「神はやめてといったでしょう、キテラ」
そこにいたのは悪魔だった。
体中から真っ白いぼんやりとした光を放っている。胸部の膨らみと、顔の作りから察するに雌型の悪魔だ。薄明かりは彼女自身の体からもれていたようだ。ヨフのほうを見て、穏やかな笑みを見せる。
「こんにちは」
「こんにちは」
さて、どうしたらいいものか。
とりあえず敵意はなさそうに見えた。なにせ近くに人間を生活させているくらいだ。一部の好戦的な悪魔とは、一線を画するようだ。人間に対して、理知的で理性的。さらに友好的に見える。だったらヨフのほうから敵対する理由はない。
「キテラ、下がってもらえますか。私は彼と話がしたい」
青年が頭を下げて、洞窟を出て行く。
しばらくしてから彼女が言う。
「私たちも場所を変えましょうか。ここは人間にはあまりよい場所ではないでしょう。もっともあなたは特別なようですが」
ヨフは頷いた。
洞窟を出る前に梟の目を人間の目に戻す。
暖かい日差しを浴びる。
「日差しを浴びるのは、久しぶりです」
彼女が嬉しそうに言う。その仕草はふつうの人間の女と変わらない。外見こそ、人間の遺伝子ではありえないが。
「あなたは悪魔だよね」
「多くの人間は私のことをそう呼びますね。しかしあなたはそのことに対する解答を、すでに知っているのではないですか」
精霊。人が獣を殺し、食料にするまでは悪魔たちはそう呼ばれていた。神話の時代のことなのでヨフも本で得た知識以上のことは知らない。
「獣を殺さない人間に対しては、友好的に振舞うってことかい?」
「少なくとも私の同胞たちを殺さない限り、あなたと敵対するつもりはありません。ですので、そんなに警戒しないでください」
見透かされているようだ。
ヨフはすぐに使えるように、準備しておいた魔法を解いた。たぶん使っても無駄だっただろう。悪魔というのは基本的に、人間が一対一で敵う存在ではない。
「あなたが警戒するのは無理はありませんよね……。ベルリアの件は、本当に申し訳ないことでした。ですが私たちのすべてが、彼のように人間を滅してしまおうと考えているわけではないのです」
悪魔ベルリア。二十七人の英傑によって討ち滅ぼされた、強力な悪魔の指導者の名だ。
「まあそれについては済んだことだからね。君たちより僕らのほうが好き勝手やってることは、事実だろうし」
資本主義に偏った大きな街の人間には、他人を食い物だと考えている者も多い。搾取し、余った食物は捨てられ、かつて生死を賭けた戦いだった狩りはただの余興になる。感情が行き場を無くしていく。
世界は彼らの遊技場に変わってしまった。
調和と愛を説いていた精霊たちは人を見捨てていった。しかし見捨てられたことをどうでもいいと感じるほど、彼らは無感情だった。ただ快楽を求めた。ヨフもそんな一人だ。
「ああ、申し遅れました。私はディアルラと言います」
「ヨフだよ」
慌てて答える。変わった悪魔だなと思う。ヨフはそれほど多くの悪魔と出会ったわけではないけれど。
「先祖返りなんだね、あなたは」
揶揄するように言う。
「私たちの主張は昔とそれほど変わっていませんよ。必要以上に殺すな。バランスを崩すな。節度を守り、互いを尊重して生きよ。それだけです」
「だけど人間にはそれだけのことが守れない」
彼女は首を横に振る。
「四十年ほど前に、私は怪我をした人間を助けました。彼は足に怪我をしていました。ひどい怪我でしたので、完全には治りませんでした。しかし適切に治療を行ったのと、一緒にいた女性の力も借りて、杖をついてなら歩けるようになりました。彼はしばらく療養していました。最初は街まで帰ろうとしていたようです。しかし杖をついてしか歩けない彼は、街に戻っても生活できない。迷った末に彼はこの近くに住んでもよいかと訊ねてきました。私は構わないと答えました。それが、ここが始まったきっかけです」
「……」
「私は彼らに生き物を殺すなと説き、彼らはそれを了承しました。私は彼らの生活に良いように、環境を整えました。家を建て、野菜が実りやすいように土地を祝福しました。そして彼らもまた私の教えを守ってくれた」
できるはずなのです。
ディアルラは悲しそうに呟く。
「怪我をした人間は時々現れました。私は同じように振る舞い、彼らは同じように暮らすようになった。それがいつのまにかあのような小さな集落になっていたんです」
「……それで神様、か」
「はい。気づいたらそんなふうに呼ばれていました」
自嘲気味な声。
本意ではないらしい。
「あなたに管理された結果として彼らがそういう生活をしているのはわかってるよね? 本来なら彼らもいまのような生活はできない。快楽に流される」
彼女は頷く。
「私とていまさらすべての人間に、彼らのように振舞うことは求めていません。ただ……、どうかお願いです。私たちをそっとしておいてください。私たちは混乱を望んでいません。多くの悪魔と違って、ただ静かに暮らしたいだけなんです」
「や、なんか変なこと訊いてごめんね。そりゃあ僕だって広める気はないよ。悪魔の統治する村、なんていい顔しないやつが多いのは容易に想像がつく」
戦いになるかもしれない。
単に人が死ぬことに責任が持てなかった。
「ありがとう」
ディアルラはヨフに向かって頭を下げた。




