始まりの日の言葉
《花水木寮》、普通の家二軒分の敷地に建てられた庭付きの施設、そして要達の『家』だ。手入れされた庭には色とりどりの花が咲き、門から玄関までは石を敷き詰めた道が作られている。
「ほら、そっちじゃなくてこっちだよ」
「そっち……」
ほんの数mをふらふらと歩くアルムを冷や冷やしながら見つめる。
昨日のその後、自己紹介を済ませ料理を平らげた所で、スズミが提案した新門市の案内。本来ならエルや真哉、遙も同行するはずだったが生憎全員が用事だった。つまりそれは日頃トレーニングかガラクタ探ししかしていない要一人で、この周辺を案内しなければならないということだった。
「気が重い……」
「?」
「あ、いや。なんでもない」
案内を提案した後。新しい部屋を用意する女性陣に追い出された要の自室に来たスズミから言われた言葉、それを思い出す。
(パートナーって……本当に大丈夫なのか)
昨日の昼間、初めて任された仕事。そのパートナーが拙い喋りの、華奢な少女。要の胸中は不安に満ちている。
「とりあえず行こうか」
こくり、と頷いて要を見上げるアルム。要はそれを見るとゆっくりと歩き出す。
道路は街の端の方だからか、車の通りは少ない。中心の辺りは常にどこかが渋滞しているが、離れれば離れるほど中央通り以外の道は閑散としていく。
「えっと、どういうものがみたい?」
案内にも、親しいわけではない女性と話す事にも慣れていない要は、判断を少女に仰ぐ。
「……どんなのがあるかわからない」
「そ、そりゃあそうだよね」
女性の好みそうな可愛らしい店や、飲食店は知らない。カフェ・アーモンドはそこそこ洒落た雰囲気だがアルムの好みに合うかわからない。
「それじゃあ、一旦商業区にでも行ってみようか」
「うん」
歩き出す。この周辺にバスは通っていない、商業区から遠いわけでもなく、街のはずれにあるわけでもない中途半端な立地も理由にある。不便なわけではないがどこへ行くにも多少の時間がかかるこの場所を遙や優は不満そうにしているが、要はこの小高い丘のような立地もあって気に入っている。
完全な平地ではないが、ビルの密集地は平たい。なのでこういった場所からは人工島なんかがよく見える。
「かなめ、あれは?」
「ん、地理詳しくない?」
返された問いに頷いて答える。
「あれはマテリアルタワー……だったかな。BCSって会社と政府で経営してるやつで、大きい分色々中にはいってるらしいよ」
「あれは?」
「それは人工島、特に名前は無かったと思うけど。大会社のビルと行政機関は大抵あそこに収まってる」
「じゃあ、あれ……」
「と、とりあえずさ、歩きながらにしようか」
ゆっくりと坂を下る。緩やかで、急な勾配もない坂だ。
普段より数段遅く歩く要、その後ろを親についてまわる子供のように追うアルム。歩いて行く先には活気が満ちていた。
* * *
レンガ敷きの歩行者天国、今では見かけることの少ない情緒ある商店街風の道だ。休日の朝だが人でごった返すこともなく、多少混んではいても悠々と歩ける程度だ。左右にはブランドショップや玩具屋にスーパー、脇道には屋台も出ている。
「これが東商業区、あそこに住むなら買い出しとかはここに来るから覚えておいて」
「東いがいもあるの」
「南と西があるよ。店だけなら普通に住宅地とか企業街にもコンビニとかあるけど、専門店とかがあるしこっちに来るのを薦めとく」
「へぇー」
無表情、平坦な声の返事。ショーウィンドウに飾られる服や玩具にも視線を向けずにどんどんと進んでいく。
「……もうちょっと興味もたない?」
「?」
「い、いや、ごめん」
要は自分が初めてここに来た時のことを思い出す。何が売っているかなどはほとんどわからないものの活気と溢れかえった商品に胸躍ったものだった。だからだろうか、何一つとして興味を持たないアルムを見るとどこか不安になる。
「何か欲しいものとかない?」
「あれ」
指差す先には純和風といった雰囲気を醸し出す構えの店。客の入りは少ないが、店員が和服の少女だからか老人だけでなく若者もそこそこに訪れているようだ。
「和菓子屋か、じゃちょっと行ってみよう」
「ん」
店外に出て呼び込みをする店員の脇を通り、甘い匂いの中へと入る。見ると中々に品揃えが良い、モナカと饅頭が売れ線なのだろうか他の和菓子は小袋で隅に置かれているか壁に値段と名があるだけだ。
「どれ食べようか」
アルムが無言で指したのはでかでかと展示されている饅頭だ。つぶ餡こし餡、白餡やうぐいすなど種類豊富だが、細い指の先にあるのは白餡の饅頭だった。
「いらっしゃいませ、どれにしましょうか」
「えっと、この白餡饅頭とモナカを6つ」
「ありがとうございます、全部で1760円です」
支払いを終えて、紙袋を受け取る。アルムに包みに入った饅頭を渡し、どこで食べようか思案しながら店を出ると、見知った人影が前を横切った。
「おい優!」
「お?」
足を止める、ジャージを羽織ったミニスカートの少女。ポケットは必要以上に膨らみペンやメモ、小型のカメラが頭を出している。彼女はセミロングの髪を揺らしながら振り向き、要だとわかったからか笑顔でこちらに戻ってくる。
「いやっほう要! 買い出しにでも来た?」
「違う違う、この子の案内」
「アルムといーます、よろしく」
「こちらこそよろしく! ってか私初めて現実で棒読み聞いたよイッツア快挙!」
天高く拳を振り上げる。満足気な表情からは星でも飛び出しそうな勢いだ。
「い、いつにもまして元気だね。そっちこそそんなに急いで何しに」
「ん~聞いちゃう~?」
そう言って飛び出ていたメモを手に取る。表紙の柄はファンシーな動物達が飛び交う可愛らしい物だが、上から貼られたUMAやUFOのシールが全てを台無しにしている。
「なんか死体が見つかったらしくてさ。この先の広場にあったらしいんだけど……もう聞いてたかな?」
「死体って……」
「皆さん最近流行りの殺人犯さんがやったんだーってね、しかも同じ時間に西でも見つかったらしくて。オカルト好きとしてはさ、不謹慎だけど気になるじゃないやっぱり」
パラパラと雑多な走り書きだらけもメモ帳を捲っていく。残り数枚の所で止めると、要の目の前にどうだと言わんばかりに押し付けた。
「こないだから騒がれてるので1番件数が多いのが、バラバラ。その次が胸とか顔を抉られてってやつなんだよね、で、その抉られてるってやつが見つかったみたい」
「抉られて――」
要は何かに気づいたのか、ポケットから端末を取り出しファイルを開く。中に入っていた画像は鎮から預かった資料を撮影したものだ。そこには痩せ型の男の顔と名前、彼の行動記録が載っている。
「優、その死体はこの先にあったって?」
「もう警察が処理したらしいけどね。現場見に行くの?」
「そうだな……アルムちゃん」
要の呼び声に、手についた饅頭の残りカスを舐めとりながらアルムが反応する。歩いてくる間中感情の感じられなかった瞳に輝きが灯っていた。
「…………美味しかった?」
「うん……っ」
「それはよかった……じゃなくて、ちょっと見に行きたいところがあるんだけど」
「ついてく?」
「案内の途中で悪いけど、よければ」
アルムは小さく頷くと、一人歩き出す。それを追って要と優も商店街の不思議な温かみから、冷たいビルの元へと歩いていった。
* * *
「やー広い広い」
反響する声、周りは灰色の壁に覆われている。場所はビル街と商業区の境界、新門市に点々と存在する空白のような地区だ。駐車場や広場のような見かけにされてはいるが、整備されたものが別にあるため人が来ることなど滅多にない。
そう、だからこそこういった場所で犯罪が起こるのだ。
「けどさ、こんなこと起きてるのに黙認されてるよねー?」
「作り変えるのが面倒なんだろ、入り組んでるし。後はビル街の裏路地と同じだよ、活気の裏には一定の暗部が必要なんだってスズミが言ってるし。それで現場は?」
「この辺のはずだけど、全部片付けられちゃってたらわかんないよ」
「そうだよなあ」
この場所は道路と通じているため駐車場とう体になっている、もっともその割には走るか怪しいものが数台置かれるだけではあるが。
「かなめ」
「ん、どうしたの」
「これ」
「どしたの二人共、なんかめっけた?」
アルムがしゃがみこんでいるその目の前、そこにあったのは大きな引っ掻き傷だ。人の掌と同じくらいの太さで、コンクリートの断面をなめらかに削り取っている。
「何だこれ」
「元からあったとは思えないねー。これが凶器でついた傷なのかな」
「それにしては綺麗すぎないか? それにこんな丸っこい傷を作る凶器ってなんだよ」
撫でると冷たい滑る感触、十羽ビルの床と同じような感触に思える。
そして要の視線は傷の下端で止まる、上端は丸くなっているのに対して下端は四本の細いものに別れている。
どこか不気味なものを感じながらも、要は右の指先をその傷に合わせてみる。人差し指、中指、薬指、小指、その先端を分かれ始めた場所に添えて一気に下端まで滑らせる。
そしてその大きさも、長さも一致した。だが、ありえないことだ。要の思考、簡単に言うならば要と体格の似た人間が掌で壁を削りとった。
ふと脳裏に流れる情報、先程も見たモノ。
「秦 斑光……」
捜せと言われた人物の情報だ。身長185cmに体重60kg、背は要より高いが肩幅や手の大きさなどは近いものがあるだろう。要の身体は筋肉質ではあるが細身だ、指先の太さが変わるほど外観重視のトレーニングはしていない。
不安、それ以上に不安定な感覚が平静を乱す。
「優、やっぱり危ないかもしれな………」
振り返りかけたその瞳に、後ろから覗き込んでいたはずの少女は映らない。
「優!? どこにいった!」
立ち上がり周囲を見回しても人影はない。走りだそうとするが、その彼の服の裾をアルムの細い腕が掴んでいることに気がつく。
彼女は空を見上げていた。
「どうした?」
「くろい」
その言葉の意味もわからずに空を仰ぐ。黒い瞳が見つめた先は黒い雲に覆われた空だ。
要の瞳は揺れる。その光景は夢であると思ったものの中で見たものと同じ、雨雲とすら言えない完全な黒の空だった。
「な、なんで……」
ただ見ただけならなんともなかっただろう、しかし記憶の中でも、そして現在もどこか非日常な何かに触れた時に見ているのだ。彼の心には不気味で小さな恐怖のようなものが知らぬ間にこびりついている。
そして気づいたのは空模様だけではない。アルムへと戻った視線を周囲へ回すと、無機質な灰色の中に人の影を見とめる。遠くでうずくまるようにしているその姿に違和感を感じるが、要はゆっくりとそれに近づく。
「……アルムちゃん、少し離れてて」
告げると、数歩下がって後をついていく。記憶と同じくゆっくりと降りだした雨は黒い、しかし小雨と言うにも弱々しいそれは彼が気に留めるほどではなかった。近づくとうずくまっていた人影が立ち上がり、だらりと腕と頭を下げる。
要はしっかりと見た、自分が予想していた人物そのものの顔――秦斑光という名の男の顔を。そして立ち止まらずに進み続け、彼の足元に倒れ伏す人間を見る。太った男だ、どこにでもいそうな温和だが裏のある顔つきの中年。彼の周りには赤い雫が落ち、さらに見ると胸元に赤い染み、そして抉られた傷がある。
確信、それでいて疑問も消えてはいないが、要はすべきことを決める。
「あんた、秦斑光だな」
「…………お前、もか」
濁った瞳を前髪の隙間から向ける。
「お前も僕を馬鹿にするのか、いいぞやってみろよ言えばいいじゃないか僕のことを劣等だ不気味だ邪魔者だと」
「あんたがなんて言われてるかなんて知らない。けどこれだけはわかった、あんたは人殺しだってことだ」
「何が悪い何が悪いんだ、僕を笑うから悪いんだろ! ああそうだ殺してやったさ、この雨の中なら僕は神の意思を理解できるんだ、絶望した僕だからこそ神は与えて下さったんだ!」
斑光は下げた両手をゆらゆらと揺らす、次第にその手は白く輝きを放ち始める。要は小さく頭を動かし、アルムが結構な距離をとっていることを確認すると腰を落とす。
「お前もわからないか、この雨が神の愛だ。僕を馬鹿にするお前にはわからないのか、この雨が神の愛だ。僕は愛されているからわかるんだ、この雨が神の愛だと」
「狂ってるよあんた、宗教家かなにかなのか? だから馬鹿にされるんじゃないの」
そう言った瞬間だった。
「いやだああああああああああああああああああああああぁぁっ」
「っ!」
半狂乱で走り来る、その両手がジリジリと音をたて、空気を裂きながら振りぬかれる。とっさに足を手で払い上げ、距離を取る。
その目が見たのは両手で地面をえぐりとった一瞬の光景だ。何かを焼くようなジリジリという音以外発さずに地面を跡形なく奪っていく。伏せた身体は何も変な所はないが、伸びた両手は少しづつ沈んでいる。
(これは……)
要に湧き続けていた疑問、『凶器』がなんなのか。手であることはわかっていた、そして通常では有り得ない方法で行ったということも。でなければ決して無能なだけではない警察が見つけられないはずがないのだ、少なくとも警護団よりも慣れているはずの警察が特定できていないはずがなかった。それを欺いたということは異常な方法、つまりは――
「あの時の……」
少なくとも記憶にはあるモノ、夢かもしれない記憶。その中で感じたナニか、浮上する曖昧な情報をたぐり寄せる。
(そうだ、あの時見えたナニか。モノリス、ロアという単語……)
そして道化師の言葉。
何一つとしてわからないものだらけだ、少なくとも要にとってはゲームの中程度でしか聞いた記憶のない言葉。しかし確実にこの状況、『凶器』と関係のあるものだ。
「ぅ、ぅあぅぁああああああああ」
斑光はうめき声を上げながらのたうち回り、何とか起き上がろうとしている。
「殺す……愛だ、これは愛なんだ……」
「やっぱオカシイよあんた」
ついに身体を起こしたその姿を見て、要は転がっていた軽い棒を拾い構える。殺人者に立ち向かうには心許ない武器に見えるが、要の表情には余裕が見える。
「愛ぃぃぃぃいいいいい!」
「くっ」
力任せに振るわれる手を避けて手首に打撃を加える。
「あっ、あぁああああああああぁあっ」
「寝てろぉっ!」
バランスを崩したその頭に軌道を無理に変えて棒を振り落とす。だが瞬時に意識を奪うには少しだけ足りない。
「あ……あぁぁ……」
しかしそれでも斑光は赤子のように声を漏らして泣いている。その手からは光が消え、ガリガリと爪が地面を掻いている。
「僕の……僕の願いの結晶が……」
「……ロア?」
息をつまらせながら嗚咽を漏らす、その顔は何かを見上げていた。
「……そうだ。アルムちゃん、大丈夫か?」
小雨でも雨の中だ、元気が有り余っているようには見えない少女をその中には放置しておけないと視線を巡らせる。少女は先程確認した場所そのままに立っていた、
「よかった。ごめん、危ないめに合わせて」
だがその言葉など聞こえないように、少女は何かを見つめている。その瞳は美しい紫の、暁のような深い色ではなく、鈍く朱色が混じったように見える。
そして要が、彼女の視線の先に目を向けた刹那、感覚が消える。
「あの紋様……」
黒い空を見た時と同じ衝撃、恐怖。それはあの記憶の中にあった紋様と同じ――小さな相違点はあるが変わらないように見えた。街を象徴する塔の先、雲が途切れ唯一蒼の見える場所、あの時はひとつだった紋様が2つ浮いている。ひとつはあの時見たモノの完成形と言うかのように黒い線で描かれた10の円形と22の線の紋様、もうひとつは2つの円形と線で描かれた未完成品だ。
「夢じゃないのか……?」
呆然とする要。彼の手で触れている少女が、ビクリと身体を震わせる。
「……聞こえる」
「ど、どうしたんだ」
「排他、蔑みの声。憐憫ですらない言葉。失ってしまったモノは多くて、すがれたのは神さまの愛情だけ……」
彼女の声は今日聞いたものとは全く違うものだった。抑揚も高度な知能、情も感じられる声。澄んだ透明な声は変わらないが、滑らかに綴られる言葉は呪文のようだ。
「だから不信感だけが募り、一人よがりな幻想に心を浸した。その先にあったものではない、彼の願いはたった一つだった。他者に並ぶ、排他されない存在、与えそして与えられる存在であること。その道の名は……」
『教皇』
倒れ伏した秦斑光から光が溢れ、天に上っていく。同時にアルムの胸も小さく光を放ち、そして力を失ったように後ろへ倒れる。
要はその背を受け止める。記憶の中でも同じ事をした、そんな少しだけ妙な不快感のある感覚を持って。
「……かなめ」
元の色に戻った瞳と声で、彼女は語りかける。
「……ちゃんはやめて」
「ちゃん……?」
「"アルムちゃん"の"ちゃん"」
「え……と、じゃあアルムさん?」
「呼び捨て」
「え」
親に何かを期待する子供のような目付きで、じっと見つめてくる。要は苦笑しながらも少し照れるように、その言葉を告げた。
「わかった、これからよろしく――――アルム」
本当の本当に一話終了です。やりたいことやりきれてない気もしますが終了です。自分の構成力とか表現力とか文章力とかその他諸々全部振り直したいです。二話、もしくは二章がすぐに始まるかと思うのでよろしければ見ていただけると泣いて喜びますDEATH。