1 . 4月17日 夕方
「あ、あぁっ、ダメです……っ、私にはこころに決めた人がっ……」
「へっへっへぇ、いいじゃねえか。俺と一緒に炒められちまおうぜ?」
「い、いやぁー」
「…………何やってんのさ遙、エルさん」
扉を開いたまま、硬直する。要の視線の先には台所で料理をする二人の女性。一人は台の上に立ち野菜を洗う、一人はエプロンドレスを着てフライパンで何かを炒めている。彼女達の後ろのカウンターには既に何皿かの料理が湯気を立てている。
「おぉーかなにぃ、おかえり!」
赤い髪のサイドポニーを揺らして、人懐っこそうな翠色の瞳を向ける。
「今は~、タマネギむきながらあふれこちゅ~」
「タイトルは『フライパンの中の淫情~人妻喰らいのチリソース~』です」
「いやあ、それワケわかんないからね」
フライパンを振りながら振り返る、ショートカットの黒髪が揺れて機械のように整った顔をチラリと隠す。
「兎にも角にも、おかえりなさい要。今パーティの準備中ですので手伝ってもらえると助かるのですが」
「何を手伝えば?」
「料理はこれが最後なので、パンを廊下から二本、あと満里を呼んできてもらえますか」
「帰ってきてるんだっけ。わかった、呼んでくるよ」
そう言って振り返った要の背に、会話が届く。
「ちぇー、満里なんか呼ばなくたっていいのにさー」
「実の兄を呼び捨てはあまりよろしくないと、何度も言いましたよね?」
「み、みみ満里にいは出てきたくないんじゃないかなーなんて」
焦ったように両手を降る遙。
「……はは」
苦笑。いつもの情景にどこか安らぎを覚える。
そして、心のどこかで新しく来る人が、この団欒を壊すことはないだろうか、などという心配もまた燻っていた。
* * *
室内、随所に赤を混じらせた小物の光る部屋だ。およそ男子の物には見えない綺麗さだが、その部屋の座椅子にもたれかかり項垂れているのは14,5歳の少年だ。
赤の短髪、翠の目。活発そうな見た目だが、疲れた表情で薄く目を開き、暗い部屋の天井を見つめている。
「おーい、満里。いるか?」
ノック。そして少年、満里にとって聞き慣れた声が呼びかけてくる。
呼び出される事は、少年にはわかっていた。昼過ぎ、病院で早めの昼食をとっているところで、スズミからかかってきた電話で知らされた新たな入居者、その歓迎会でもするのだろう。
もうすぐ時刻は5時、大体スズミが帰るのはこのぐらいの時間だ。入居者を連れて、また騒がしく帰ってくるのだろう。
「……今日はいい。ほっといてくれっつーんだ」
何かモヤモヤしたような、形容しがたい気持ち。
「どうせ今日会わなくてもそのうち顔合わせるだろーがよ」
「それとこれとは別だよ」
「いいからさあ、今日は気分が乗らねーんだよ」
棘のある口調になる。モヤモヤした気持ちは増していて、一向に晴れる気配はない。立ち上がって、ベッドの上で毛布をかぶる。
「もう寝てたとでも言っといてくれ、飯は残しとかなくていいから」
「……わかった。もし来たくなったらいつでも来ていいから」
足音が去っていく。
握りしめた毛布からも、縮こまった身体からも、熱は感じなかった。
* * *
「ヘーッイ! レッツパーリィしてるかぁー!?」
叩きつけるように扉が開かれ、台車を後ろ手に引きながらスズミがリビングに入ってくる。テーブルの上には和洋中の料理が並び、時間が無かったのか大きなテラス戸の上にだけ飾りが付けられている。
「してるわけがないでしょう、スズミ。主役も無しに」
「そうだよ、というか四人共ずっと待ってたんだ、主役はどこさ」
ワクワクした顔の遙と、目を閉じた真哉は喋らずにただじっとしている。
そうやって待つ彼らをニヤニヤと笑いながら見渡し、後ろの台車を引き寄せる。
「どこって? 今『どこだ』、と聞いたな?」
「あ、ああ」
「ならば、ならば答えてやろうではないか――現れよっ!」
芝居がかった口調と動きで、両手をあげる。
数秒の沈黙の後、台車に載せられたダンボールがボコボコと音を立てる。
そして、蓋を勢い良く開く――ことなく突き破り、少女が姿を現す。
「――――な」
その少女の姿に、要は両目を見開いた。
白銀の、なびく長髪。半分閉じられた大きな目の目立つ無表情な顔。それがダンボールから生えている。文字通り、生えている。
絶句だ。彼の奇行に慣れているはずの四人全員が微動だにせず固まっている。
そんな中、マイペースに両手を箱から抜いて前を見つめる少女。対面に座っている要を見つめながら、その要にとって聞き覚えのある声で抑揚なく言葉を発した。
「アルム・フリージアです、これからどうぞよろしく……」