1 . 愚者の庭園 【前】
新門市、長期に渡った経済戦争を乗り越えたこの国が20年前に作り上げた、新たなる5つの大都市、その一つ。ビルの灰色が並び、遠く海の方角にある街の中心地となる人工島には天に届くかと思うほどの大きな塔がある。まるで高層建築の森、寄り集まった墓標のような街。
時刻は夜、その街を走り行く影がある。本来ならありえない光景だ、今やかつて眠らない街と言われた街以上に人の往来の激しい街に一人しかいないなど。
いや、正確には一人ではない。それを追う影が一つ、二つ。不気味な雰囲気を放ちながら先ゆく壮年の男を追っていく。
街灯すら消えた暗いビル街の端、円形に地区のわかれる新門故にできた狭間の広場に三人は走り込む。逃げ続けていた男の顔には紛れも無い、恐怖だけが浮かんでいる。
整備された四方を無機質な木々に囲まれた広場の中心、男の前には長髪の青年と2mを超えるような大きな体躯の軍服の男。
「遠藤駆、あんたのお陰で一つ手間が省けた。感謝するよ」
青年は両の腰に挿した、時代錯誤な長刀に手を掛ける。
「ま、まて、私がいなくなってもいいというのか、彼女達の研究だって――」
「それは同胞が完成させておる。己の益のみを追う貴様よりもよほど優秀な……な」
軍服の男は緩慢とした、ダレた獣のような動きで歩み寄っていく。それを制するように青年が前へ出た。
「ダメダメ、こいつは被害者さんの一人になってもらうんだからさ。あんた様に壊されちゃ計画失敗するかもしれないだって」
「……そうか」
座り込んだままで後退る男を無視して、明るく会話する二人。明るく、しかし相変わらず不気味な雰囲気を醸しだしたまま青年は手を掛けていた刀を抜く。
「だから、これは俺のお楽しみってわけさ」
「――――ひっ」
青年の身の丈の半分はあるのではないかと言うほど長い刀、それを振り上げる。
その瞬間、何かを感じたように振り返った。
「……へぇ」
「逃げ出したか」
地面を滴で濡らす男から視線を逸らし、二人の化物は塔を仰ぎ見る。その視線の向こう、塔の向こう側にあるものは異質そのものだった。暗く、灯りの全てがなくなったかのようなこの街の中、微かな光を放つ場所。
「あそこは……なるほど、そうであったか」
「仕事が増えるねえ、始まりが近いって言ってたのはこれかい」
気味が悪い程に口元を笑みに歪める。そして男に向き直った青年は、吐き捨てる。
「じゃあ、予定も入ったから早速終わろうか」
悲鳴は無かった。刎ねる音と、漏れた笑いだけが小さく響く。
やがて空の黒は晴れ、何もなかったかのように喧騒が戻り始める。後に残ったものは、ただ横たわる男の、遠藤駆の絶望に満ちた首と体だけだった。
* * *
昼時、まるでノイズのような声の響く、広く長い直線の道。新門市は北西に海が広がり、陸は弧を描くように連なる山々に囲まれている。そこから外部と繋がるもっとも大きな道が、人工島の中心から内地へ続く中央通りだ。都市化する前から残る僅かな商店やブランドショップ、大型商業施設がこれでもかと並ぶ道だ。その上住宅エリアや企業ビルの並ぶ地域に隣接し、山と街の間にある学校や施設などに行くにも使われるので常に人であふれている。
その道を東に逸れた、田舎気味の町ならばメインストリートになるであろう場所に一件の喫茶店があった。周囲から浮いた木造建築、中世ファンタジー調の外観の店前にかけられた看板には《カフェ・アーモンド》と白地で描かれている。
店内には数組の客と、カウンターで黙々とパフェを盛り付ける巨漢の店主。その前には二人の青年が座っている。一人は薄茶色の腰まで届く長髪、無地のシャツを肩にかけている美男子だ。もう一人は艶のある黒髪と胸元に下げたペンダントが目立つ、黒地のシャツから伸びる腕は鍛えられているが、見た目だけならば少々細身にも見える青年。
黒髪の青年は目の前に鎮座する巨大なオムライスにスプーンを突き刺す。
「それで真哉、俺たちは今日どうしてればいいって?」
デミグラスソースをまんべんなく塗りたくり、一口。
長髪の美男子――美奈川真哉は前髪を揺らして顔を向ける。
「今日一日暇してろって、バイトにゃあ任せられない案件ばかりなんだろうさ」
そう言って懐からメモ帳を取り出して、渡す。
「3件同時の……って1件は解決済みか。それでもまだ2件、未解決の連続殺人だ。警察だけじゃあ無理だからって、おやっさん達警護隊も出張るんだとさ」
「これかあ……」
新聞の切り抜きが貼り付けられた、誤情報が多いのか赤いペンで消された部分と手描きの情報が目立つメモ。捲っていくと事件は全てあわせて12人の被害者、四肢を切られていたり川や海に沈められているものもあった。
「オカルトじみてるモノが多いだろ、工場の中で水死体発見とか胸部を丸々焼いて貫かれたとか。皆が騒ぐのも無理ないってやつだ」
「確かにね」
真哉の言うとおり、切り抜かれた見出しにも怪物あらわるや今世紀最大の猟奇殺人なのか宇宙人からのメッセージか、などと荒唐無稽なものが目立つ。
メモを見ながら、既に3分の1以下になっていたオムライスを飲み干す。
「オカルトと言えば、優と遙はしゃいでそうだけど」
「あいつらは同じくらい噂になってる本の方に夢中だ。グロいのはダメなんだとよ」
空になった皿の上にスプーンを戻し、湯気の消えたコーヒーを一口で飲み干す。その様子を横目にしながら真哉も自分のカップに手を伸ばす。
「そういえば、朝野々寺……あー、優がスズミとお前を占うとか言ってたがどうだったんだ」
「今日が転機なんだってさ、事件に突っ込むタチなのを今日だけは直しておけってスズミに散々言われたよ」
「あいつのはたまに当たるからなぁ」
どこかの貴族かと思うほど、無駄な優雅さで黒い液体を飲み干していく。
「ま、今日は大人しくガラクタでもいじってろってことだ」
「どうせ暇なんだしそうしとくよ。ご馳走様でした。」
目の前でオブジェのようなパフェを完成させた店主にお代を渡し、立ち上がる。
「じゃあまた夜、だな」
「うん、何かあったら連絡でもしてくれ」
手を振りつつコートを羽織り、木製のドアをくぐる。外は肌寒く、行き交う人もまだ肌の露出は少ない。
「さて、秘密基地にでも行きますか」
呟き歩き出す。空は雲も少なく、太陽は高く昇っていた。