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ヘツリの使者

 トールたちは森の中を急いだ。走れないトールを、タギィが背負って。

 タギィの首にしがみついたまま、トールは彼にだけ聞こえるように小さく呟く。

「ルーシャは、ぼくみたいな子が生まれたらどうしようって言ってた」

 彼女の不安が、お腹の中の子にも伝わったのだろうか。予定日よりもまだ、随分と早い。

「お前それであんなこと……」

「望まれて生まれてきたのなら、よかったのに」

 両親にではない。姉にでもない。

 大地に。この場所に。

「んなもん、わかんねぇだろ。お前のいる場所はここじゃないのかもしれないだろ」

 タギィの言葉は思わぬものだった。

「俺は見たんだよ。海のヘツリの向こう側に、別の世界を。白い砂浜のある陸地をさ」

 前を走る義兄の後ろ姿を見て、トールは考える。

「お前はここでは生きられないのかもしれない。それが事実だとしても、お前の生きられる場所がどこにもないなんて、どうして分かるんだ」

 タギィの言うことは暴論だ。彼が海に出ると決めた時に、新大陸なんてあるもんかとバカにする周囲へ宣言した言葉と同じだった。

「誰も見たことがないからって、新大陸がないってどうして分かるんだ」

 暴論でも、トールは信じた。タギィの力強い言葉を。

 今も、信じてみたくなっている。

「タギィ、新大陸ってどんなところだったの?」

「ちらっとしか見てないけど、すっげぇきれいな砂浜があったんだ。それから、見たこともない植物も」

 話すタギィの表情はトールからは見えないけれど、その目はきっときらきらと輝いているのだろう。変わらないそんな様子が容易に想像できて、トールは笑った。



 日が沈み、夜が来て、月が空高く浮かぶころになっても、ルーシャの子は生まれなかった。苦しそうな姉の声を聞いていられなくて、トールは自分のベッドの中で布団をかぶっていた。ソファにはタギィが行儀悪く足を放り出し、毛布一枚で眠りについている。

「ぼくね、出産がこんなに長いものだなんて思わなかった」

 起きているのか確証はなかったから、返事を期待していたわけではない。

「俺も……。すげぇな、ルーシャ」

 暗闇のなかで、トールは頷いた。

 母が自分を生んだときも、こうだったのだろうか。こんなにも長い時間をかけて生んで、それでも、望まれて生まれなかったのだと、本当に言えるのか。



 やがて朝が来る。

 家中に響く大きな泣き声で、トールは目を覚ました。

「生まれたんだ!」

「トール、立てるか?」

 タギィの手を借りてベッドから出ると、廊下を歩いてルーシャの部屋に向かう。ルーシャがどんな顔で自分を見るのか、トールには怖かった。

 ヘツリの使者に会うことよりも、ずっと。

 穏やかな朝日が、カーテンの隙間から部屋のなかに差す。わずかに開いた窓から、朝の空気が入ってきた。部屋のベッドの上で、少しだけ疲れた顔をしたルーシャが、生まれたばかりの子をしっかりと腕に抱きしめていた。

 扉口に立つトールとタギィの姿に気づくと、彼女は笑った。トールと同じ笑い方で。

「入っておいで」

 気後れしながら、中へと足を踏み入れる。赤子はこれでもかというほど大きな声で泣いていて、トールは胸が苦しくなった。

 この場所に生きているんだと、強く主張するようで。

「顔を見て。ほら、トールが生まれてきたときとそっくり」

 トールがくしゃくしゃの顔をのぞき込むと、赤子はさらに激しく泣いた。びっくりして身を引いたトールを見て、ルーシャは快活に笑う。

 しかしその笑みは、ふっと消える。

「……ヘツリの使者」

 部屋の隅を見据えて、ルーシャが呟いた。赤子をしっかりと抱き直して。

 トールも振り返り、ヘツリの使者を見た。黒衣に身を包んだ、背の高い男を。ヘツリの使者はトールを一瞥し、少しだけ驚いたようなそぶりを見せた。

「同じ人なのね。あなたの顔、覚えてるわ」

 ルーシャはまるで仇敵に会ったかのように、男をにらみ付けている。トールもそういう気分になってもよかったのだろうが、彼に会ったのは生まれたばかりの頃のことで記憶がないせいか、ヘツリの使者を見てもいまいちピンとこなかった。

 男は何も言わなかった。無言でルーシャに手を差し伸ばし、赤子を渡すようにと促す。

 ルーシャは男をにらみ付けたまま生んだばかりの子を使者へと託した。不本意でも、そうするしかないのだ。

「ヘツリの数だけ、ヘツリの代わりに、わたしが祝そう。1の種、2の芽、3の枝、4の葉、5の花弁、6の果実、7の種、8の芽、9の枝、10の葉、11の花弁、12の果実、二度重ねればもう十分。6つの大地に根を張るだろう。大地の子よ、君を迎える準備は整った……」

 定着の儀はあっさりと終わった。ルーシャの手元に返された赤子は、すっかり安心したように眠りに入っている。

「重い。定着、したの?」

 ヘツリの使者は頷いた、ように見えた。これで自分の役割は終わった。そう言うように、踵を返そうとして、

「待て!「待ちなさい!」」

 タギィの手がヘツリの使者を止めたのと、ルーシャが叫んだのはほぼ同時。

 二人は一瞬、どちらが喋るのか迷うように視線を交わした。しかし、二人は最終的にはトールを見た。視線を受けたトールは、顔を上げてヘツリの使者を見据える。驚いたことに、ヘツリの使者もトールを見ていた。どこか悲しげな色を、その目に浮かべて。

「ヘツリの使者、あなたに聞きたいことがあるんだ」

「聞こう。君にはその権利がある、空の子供よ」

 ヘツリの使者の声は、直接頭のなかに響いてきた。トール以外のみなにも聞こえているようで、隣のタギィが怪訝な表情を見せる。

「ぼくは、どうして定着しなかったの」

 ヘツリの使者は迷っているようだった。長い沈黙があった。

「……長い話だ」

 話すことを躊躇円っているというよりは、何から話そうか順序を確かめているようで。酷く人間らしいその様子に、こちらが戸惑ってしまう。ヘツリの使者とはこんなにも、人に近い存在だったのか。

「それじゃあお座りなさいな。立ち話では疲れてしまうわ。ほら、タギィとトールも」

 母親がいつもの調子でそんなことを言うものだから、ますますヘツリの使者が人間じみてくる。用意された丸椅子に大人しく座ったヘツリの使者に、そんなものなのかと拍子抜けした。

 そうして彼は話し始める。

 トールたちが暮らす、世界の話を。

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