空の子供(1)
海に出ることを告げると、誰もが皆、口をそろえて言ったものだ。「親不孝者」と。たった一人、トールだけを除いては。そのころのトールは体調を崩しがちで、一日のうちのほとんどの時間を家のベッドの上で過ごしていた。
「新大陸を見つけたら、僕にも知らせてくれる?」
「当たり前だろ! あ、でも、ほら、あれだ。ルーシャに、変な虫がつかないようにちゃんとお前が見張ってろよ。俺の代わりに」
「タギィってば」
「笑うな。約束だぞ」
「うん、約束するよ」
歩いて辿る帰り道。故郷に近づくにつれて、思い出されるのは子供のころの記憶ばかり。体の弱いトールとその優しい姉と過ごした草原の記憶。
森を抜けた先に存在する世界の終わりの場所、ヘツリ。
タギィはこれまでヘツリを三度見ている。トールを助けようとしてヘツリに落ち、戻ってきたときが一回目。二回目は、成人の儀のとき。三回目は海のヘツリだった。
タギィが海に出ると言ったとき、ルーシャはなんと言ったのだったか。止めてくれたのだったか。
不思議なことにタギィはよく覚えていなかった。
いや、言われた言葉の意味をきちんと理解できていなかったから、忘れてしまったのだ。
「海にもヘツリがあるのよ。でもね、その向こうには別の世界があるんじゃないかしら。ヘツリが、世界を分断して、互いに世界を行き来できないようにしているのね。そう、言っていたの」
今のタギィには、ルーシャの言葉の意味が分かる気がした。
タギィが、海のヘツリの向こう側に見たものは紛れもなくその別世界だったのだから。ほかの船員たちは誰も信じてくれなかったけれど。
「ルーシャは、なんでそんなことを知っていたんだ」
海になど出たことのないはずの彼女。港町に出稼ぎに行ったときにでも聞いたのか。
もう少しで家が見えてくる。ルーシャのことを思いながら顔を上げたタギィの視線の先に、見慣れた髪の色が見えた。一瞬、ルーシャかと思って跳ね上がった胸の高鳴りを抑え、タギィは目をこらす。
トールだ。
背も髪も伸びていたから、ルーシャと見間違えたのだ。少年は背こそ伸びたものの、その肩は細く頼りないまま。足かせのせいだろうか。足取りはひどくゆっくりだ。ほとんど引きずるようにして歩いていく。彼の向かう方向には、森があり、その向こう側にはヘツリがある。
「トール!」
タギィの声は届かない。距離はあるが、二人の間には遮るものなどなにもないはずなのに。
タギィの頭の中には、ヘツリへと引き寄せられるように歩いて行く子供のころのトールの姿がよみがえった。