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海のヘツリ

 懐かしい夢を見た。

 タカタカをして遊ぶ、まだ十に満たない幼い子供たち。

 鬼を出し抜いて大きな岩に身軽に飛び移った少年は、中でもひときわ体が大きく、顔は真っ黒に日焼けしている。

「トール、こっち来い!」

 少年が、自分よりも一回り小さな子の名を呼ぶ。

 鬼に追いかけられそうになっていたトールは必死に岩によじ登る。少年は手を差し出してズボンのすそを掴むと一気に引っ張り上げた。

「ありがとう、タギィ。――本当に、ありがとう。ぼくね、とってもうれしい!」

 ただ引っ張り上げただけなのに、トールは青い目をきらきらと輝かせて、タギィを見上げてくる。

「何が?」

「だって、みんなと……一緒に遊べるから……!」

 無邪気に笑うその両目が揺らぐ。泣くのかと思った。

「タギィのおかげだね」

 けれども、トールは涙をぐっと堪えて、精一杯の感謝を言葉で伝えようとしていた。

「ルーシャも、タギィはすごいねって言ってたんだ」

 少年の姉の名が出ると、タギィは一瞬たじろいだ。

「ルーシャが?」

「うん、タギィがいてくれてよかったって! ぼくもルーシャも、タギィのことがだいすきだよ」

 トールは笑うと両頬のえくぼがはっきりと出る。その表情は姉のルーシャとよく似ていた。

「ぼく、もっともっとタギィと、みんなと遊びたいな」

 見上げてくる青い目がまぶしくて、タギィは少しだけ気まずくなった。決して下心があってトールと遊んでいるわけではないのに。

「遊べるだろ。つか、前から思ってたんだけどさ、その重たそうな足かせ外せよ。そしたらもっと早く走れるぜ」

 ちょっとした思いつきだった。

 それが、どんな結果を生むのかなんて、深く考えもせずに。

 足かせを外してやると、トールの体はバランスを失ったように揺れた。

「タギィ……?」

「ほら、軽いだろ?」

 トールの表情は強ばったままだった。やがて、その視線の高さが自分とほぼ変わらない位置にある違和感に、タギィは気づく。

「タギィ、ぼく……」

「すげぇ、トール! お前、浮いてる……」

 恐る恐る尋ねるトールとは逆に、応えるタギィの声はわずかに興奮していた。

 しかし、トールの足がタギィの頭よりも上の位置まで浮き上がってしまうと、さすがに不安を覚えて、

「お、おいトール!」

「タギィ、タギィどうしよう! ぼく降りれない――」

 泣きそうな声が降ってきて、タギィは慌てて上へと手を伸ばす。

「くそっ届かねぇ!」

 さらに大きな岩によじのぼり、力いっぱいジャンプする。

 目一杯伸ばされたタギィの右手が、しっかりとトールの足首を掴んだ。

 そのままタギィが重りとなって、トールを地上へと引き戻す。やわらかい地面に落下したタギィは、慌ててトールの体を地面に押さえつけるようにして覆い被さった。

「ごめん! ごめんなトールっ……俺が、俺が外したから……」

 体を離してしまうと、また、トールは空に飛んで行ってしまいそうだったから、小さな両肩を押さえつけたまま、タギィは何度も何度も謝った。情けない顔を見られたくなくて、その肩口に顔を埋めると、土と草の混じり合う大地の匂いがした。




 激しい揺れに襲われて、タギィは目を覚ました。

 懐かしくも甘い夢の匂いは潮の香りにかき消されてしまう。

 ベッドから飛び起き甲板にあがると、船員たちはこぞって舳先に集まっている。

 体の大きな船乗りの間をぬって、タギィも身を乗り出し見慣れた水平線へと目を向けた。

 海の濃い青は、先ほど夢で見たトールの目の色を再び思い出させた。

 タギィが12で町を出てから、もう1年以上会っていない幼馴染の顔。

 しかし感傷に浸っている暇はなかった。再び大きな揺れがきて、タギィは手すりに強かに腹をぶつける。

「おい、潮の流れが変だぞ!」

 誰かが叫び、タギィはもう一度水面に目を向けた。波は決して穏やかではない。

 海流は水平線へ向かっているはずなのに、一方で水平線から押し戻されている波がある。二つがぶつかる場所で大きなうねりが起こり、タギィたちの船はまさにそのうねりの最中にあった。

「越えるぞ!」

 船長の下した判断は、うねりを越えて水平線を目指すこと。引き返しはしない。彼らの目的は、地平線の向こう側。まだ見ぬ地をその目で確認することなのだから。

 幸いにも風は水平線へ向かって吹いている。複雑な潮の流れをぬうようにして船は進んだ。

 タギィも屈強な男たちに混じって、力いっぱい帆を張るロープを引っ張った。

 いくつ大きな波を越えたのだろう。

 気が付くと揺れは収まっていた。

「タギィ、生きてるか?」

 あごひげを蓄えた大柄の男が、力つきて甲板に転がっていた少年の頭を乱暴にはたく。

「痛ッ、死なねーよ!」

「そうだよなぁ。新大陸を見つけて帰って、愛しのルーシャちゃんにプロポーズするまでは」

 飛び起きた少年の後ろからべつの男が茶々を入れた。口元はニヤニヤと笑みを浮かべている。

「う……!」

 タギィが反論しようとしたときだ。

 再び、船が大きく揺れた。

 しかし今度は波ではない。

「滝だ! 落ちるぞー!!」

「は?」

 船の前方が大きく傾く。

「海に飛び込め!」

 言われるままにタギィは手すりを飛び越える。

 船はもう半分以上、水平線の向こうに落ちかけていた。

 水平線ではなかったのか。

 海の果ては滝だったのか。

 新大陸などなかったのか。


 渦巻く水流のなか、タギィはその答えを見た。


 沈んだ水の中で目を開くと、海の向こう側へ落ちていく船がはっきりと見えた。

 そして、落ちていった船を、救い上げる大きな掌。

 やさしく、ゆっくりと。

 その救いの手をタギィは知っている。

 思い出した。

 ヘツリだ。

 3年ほど前、故郷の町でヘツリに落ちたとき、タギィはあの手に救い上げられ、気が付けば元の場所に立っていた。

 ここはヘツリだ。

 あの場所と同じ。海の終わりであり、始まりでもある場所。

 水面に顔を出したタギィの目の前には、先ほど掌によって救いあげられた船が何事もなかったかのように波間に揺れていた。


 けれどもアレは一体どういうことだろう。

 タギィは、海の中、船を救うヘツリの掌を見た。

 もう一つ、掌の向こう側に見えたアレ。

 タギィのほかには誰も見ていないと言う。人の掌はもちろん、アレも。

 一体どういうことなのか。

 確かめる術もないまま、タギィの船は港に戻ることになった。

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