異動希望
小宮は元々、コピーライター志望だった。
広告代理店は人員のほとんどを営業とデザイナーが占めている。
それらの職種を希望してやってくる学生が多いことを考えると、小宮はかなり珍しいケースだったと言えよう。
しかも、当時はまだ立て直しの最中。
クリエイティブ職よりも営業職が求められるという、小宮にとっては望ましくない状況だった。
案の定、小宮は営業部に配属になったが、発表された後も、そのうち異動できるだろうと気楽に構えていたらしい。
だが、最初に配属されたところが悪かった。
その部署は社内でも1、2を争う多忙さで知られており、やっと手に入れた新人を手放そうとしなかったのだ。
小宮が入社して、2年経ったある日。
それまで、一切不平不満を口にしなかった小宮が行動に出た。
毎年行われる年度末の異動希望調査に、「第1営業部希望」と書いたというのだ。
人事部からその話を聞いた時は、なぜクリエイティブ課と書かなかったのか不思議だった。
そこでオレは、直接本人に聞いてみることにした。
そうすれば理由も判るし、人柄も見える。
早速、応接室に呼び出すと、小宮は淡々と志望動機を話し始めた。
「久我さんに嘘を吐いても仕方がないので正直に言いますが、あの部署にいるのは我慢の限界でした。それに、経験のない自分がクリエイティブ課を希望したところで、通らないことも十分理解していました。だから、書いたんです。誰にも止められることなく、確実に異動できる部署を」
意外だった。
一言で言えば、小宮はオレの名前を利用したのだ。
当時、既に社内一の売上を確保していたが悪評も高かったオレの下なら、高い確率で現在の部署を抜け出せる。そう判断して、希望を出した訳だ。
聞き終わった後。オレは不快に思うより先に小宮を見直していた。
言われたことを言われたままにこなし、自分の意見は主張しない典型的なタイプだと思っていた。
だが小宮は、目の前にある選択肢と自分が置かれている状況を冷静に分析。
最善と思われる選択をしただけでなく、自分にコピーライターとしての才能があると過信もしなかった。
その分析力と判断力、そして行動力は、評価されるべきだろう。
小宮に結論を伝える。
「いいだろう。但し、役に立たないと判断した時点で元の部署に戻ってもらう。異論はないな」
「ありません。久我さんに全てお任せします」
即答する辺り、なかなか根性が据わっている。
「人事部にはオレから話しておく。まずは、何ができるのか見せてもらおう」
「はい」
漸く安心したのか、初めて小宮の顔に安堵が浮かぶ。
同時に、一歩前進した高揚感と、一気に現実味を帯びた異動後への緊張感が見て取れた。
あれから6年。
小宮は、第1営業部になくてはならないメンバーにまで成長した。
辛くなかったはずはないのに、一度も部署異動の希望を出すことなく現在に至る。
そして、今年。
オレは小宮の異動希望調査を受け取りながら、長年聞きたかったことを鋭く問いかけた。
「ちゃんと『クリエイティブ課希望』と書いたんだろうな?」
オレがそんなことを言うとは思っていなかったらしい。
驚いた表情をした後、小宮は小さく笑って否定した。
「書きませんよ。コピーは、浅倉さんと名瀬さんがいれば十分じゃないですか」
それから、オレの目を正面から見つめ――
「第一、今の部署に不満なんてありませんから」
オレが口を開く前に、「外回りに行ってきます」と部屋を出ていく小宮。
すっかり逞しくなった部下の背中を見送りながら、オレは表情を隠すため口元に手をあてた。
「生意気なことを……」
柄にもなく嬉しいと思ってしまった自分を誤魔化すようにひとりごちると、オレは小宮の異動希望調査を机の中にしまいこんだ。
END
本作品はブログで連載しているシリーズものの中の一つです。
短編「カフェ日和」「セカイ」「大きな一歩」とは別な人物の視点の話になっています。




