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第1話 影渡の森

 太陽が燦々《さんさん》とふりそそぐ昼前の王宮。規則的に積み立てられた白レンガが陽光に照らされ、尖った屋根の蒼が美しく映える。中庭には手入れされた花が多様な色を咲かせ、優しい風は柔らかに新緑を撫でた。


 美しさの中に厳かな雰囲気も感じられるこの建物の一室。窓から差し込む光に照らされた部屋で、眼鏡をかけた女性からビシバシと指導を受けている王女が一人いた。


「ミレーナ王女殿下、先日お教えしたことは覚えていらっしゃいますね?」


「えっと……この世界に三つの大陸があるって話ですか?」


 自身がないのか、目線をあちこちにやりながらそう答えるのは、第二王女ミレーナ・ヴァルセリオンだ。ゆるくヴェーブがかかった金の長い髪に、宝石のように透き通った碧い目を持っている。


「そうです。その三つは?」


 彼女の答えに一つ頷きを返した女性は、鼻にかかった眼鏡をくい、と一つあげた。そこまで覚えていなかったミレーナは、ぎくり、と肩を震わせる。


「ええと、ルミネア大陸と……えっと……」


「……ご自身の住んでいる大陸しかわからないのですか!?」


 途端、大砲でも撃ったかのような大音量の怒号が部屋中に響き渡った。


「あと二つは龍連りゅうれん大陸と妖嵐ようらん大陸です!もう十二歳にもなられて、こんな基礎知識も覚えていないなんて、他国の姫君に笑い物にされますよ!」


 手に持った指示棒をペシペシと叩き、ものすごい剣幕でまくしたてるのは、彼女の教育係であるオルヴァイン・セラだ。白髪の混じった髪をいつものお団子にまとめ上げ、鋭く光る緑の目をレンズの裏から覗かせている。頬に刻まれたシワは少ないが、歳をとってもその聡明さは隠しきれない。


「他国の姫君って……お兄さまはこの大陸に存在した国は、みんな吸血鬼に滅ぼされたっておっしゃってましたよ?」


 ミレーナは珍しく口答えをすると、頬杖をついてつまらなそうに本のページをめくった。そんな彼女の様子を見た瞬間、セラのメガネはきらりと光った。


「そんなはしたない格好をするんじゃありません!」


「ぎやああぁぁ!」


 悲鳴とともに、ミレーナは椅子から跳ね上がった。まるで雷にでも打たれたかのように手足を震わせたまま、彼女は床へと転げ落ちる。


「ちょっと先生!魔法はずるいですってば!」


 ミレーナは痺れる腕を軽くさすりながら、半分泣きべそをかいた目を教師に向けた。しかしセラはその場に仁王立ちしたまま、あなたが悪いのですとでも言いたげな目で彼女を見下ろしている。


「いいからとっとと座りなさい!ああ、これだからミレーナさまは講義が遅れるんです!」


 ぶつくさと文句を言いながらも、彼女は机の上に散らばった本を綺麗に整えて並べてやった。


「このルミネア大陸には今や国は二つ、しかありません。そのうちの一つが我らがヴァルセリオン王国。魔法を操る者たちによって約860年前に建国されました」


 セラが教科書を手に語り始めれば、ミレーナはいつものように渋々ノートを取り始めた。時々、『違う!』『字が汚い!』という怒号と、指示棒のせいで文字が歪みながら。


「そしてもう一つが、約1120年前に吸血鬼たちが建てたウラドニア帝国。この国は、今から600年前にルミネア大陸に存在した様々な種族の国を全て破滅させた国です」


「へーそうなんですねー」


 明らかに興味がなさそうな返事をしたミレーナは、数字と出来事だけを書きながらぼうっと爪の色を眺めた。姿勢、とまた冷たい声が飛んできて、慌てて緩んでいた背をピシッと伸ばす。


「現在、大陸の西側をウラドニア帝国が、東側をヴァルセリオン王国が統治しています。そして、その国境にあるのが影渡かげわたりもりです」


「カゲワタリノモリかー」


 何も考えていなかったミレーナは適当に復唱し、今度はセラに頭を軽く叩かれた。


「いった〜い!先生!これは暴力です!」


「真面目にお聞きなさい!他の大陸の王族方もこれを学んでいらっしゃるのですよ!」


「それは嘘だと思います〜、他国の王族も自国の歴史にしか興味はありません〜」


 はぁ、と彼女がため息をつけば、セラはさらに大きなため息をつき、いいですか、と諭した。


「他国の歴史を知ることは、交易をする上でとても大切なことなのです。例えば、アルベリオ国王陛下は龍連大陸への使者を六年間ものあいだ出しておられません。なぜだかわかりますか?」


 べらべらと話だしたセラに、ミレーナは、またか、とつまらなそうな顔をした。しかしいつもより真剣な表情の彼女を見て、なんとなく背筋を伸ばして手を膝の上に置く。


「……わかりません」


「龍連大陸では、今現在大きな反乱が起きているからですよ。他者の血肉を喰らうようになった化け物が国中を襲い、今や大陸中に広がり渡っているそうです」


 悪夢のような話に、ミレーナは、嘘だ、と言おうとしたが、口を開いたところでやめた。それを話す彼女の表情が、冗談を言っているようには見えなかったからだ。


「そんな状況の大陸に、我が国の国使など、送れるはずがございません。ですから、たとえ直接的には関係ないように思えても、自分が生きている世界については知っておいた方がよいのです」


「龍連大陸の方々は、見殺しにするのですか?」


 ふと、ミレーナの口からそんな言葉が溢れた。普段真面目に講義を聞かない彼女が口にした素朴な疑問に、セラの目は見開かれる。彼女が講義中に質問をしたのは、これが初めてのことだった。


「……仕方がありません。明日は我が身です。我々も、いつウラドニア帝国に襲撃をかけられるかわかりませんから」


 セラの答えは、ミレーナにとっては理解するに十分な説明であった。でも、納得のいかないものだった。同じ世界に生まれたというのに、普通に暮らしている私たちが助けに行かずにのうのうと暮らしていくなんて。


「先生、じゃあさっきの……影渡の森には、どんな歴史があるんですか?」


「は、はい……?」


 急に質問をしたミレーナに、セラは思わず前のめりになった。彼女の目元にかかっていた眼鏡がずれ、視界がぼやける。これは夢なのではないかと思って一度それを外し、ちゃんと拭きなおしてからまたそれをかけたセラは、これが現実であることに気づいた。


「……先生?」


「は、はい!よろしい!では教えて差し上げましょう!」


「先生、いつもただでさえ声が大きいのに、今日はやたらとうるさいです……」


 ミレーナは顔を顰めて耳を塞ぎ、教師にそう訴えかけた。だがしかし、当の本人は全く聞いていない。それどころか、すっかり上機嫌になって鼻歌まで歌いで出しては、踊るようなステップで本棚と本棚の間を行き来している。


(……まぁ、機嫌が治ったならいいか)


 調子狂うなぁ、とため息をついた彼女は、いつものように片肘をつくこともなく、ただピンと背筋を伸ばして、師が準備を終えるのを待つのだった。

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