08
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同日 同刻
/結界封印都市ヒモロギ
尾居土宿舎 五号棟 六階 六一三室
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ヒミコは行儀悪く窓枠に座り、煙管を吹かしていた。
下着に襦袢一枚のしどけない姿である。
短い丈からスラっと伸びた白い太腿が、これでもかとばかりに夜風に晒されていた。
「ふぅ……」
紫煙を燻らせつつ、なんとはなしに月を見る。
月。月の光。古より緋ノ巫女の力の源泉とも言われていた。
確かにそうかもしれない。
こうして月を見ている時はいつも、自分の中に何か得体の知れぬモノの脈動を感じる――。
『ヒミコ』
ふと、声がした。
ここはヒミコに与えられた個室である。
同居人などいない。
いないはずなのに――だがしかし、そこにいる。
「またてめーか……」
ヒミコは額に手を遣り、深い溜息を吐いた。
そのまま緋色の視線を下へ落とす。
案の定、白い少女がいた。
少女。自分の腰にも届かぬほどの小さな少女。
あまりに白が過ぎ、目に焼きつきそうなほど白い少女。
ヒミコは〝ハク〟と呼んでいた。
『なんであんなことしたの』ハクが瞬き一つもせずにヒミコを見詰める。
「あ? なんの話だ」
『今日。今日の放課後。教室でのこと』
「あー、アレな……」ヒミコが執行した私刑のことだ。「ああいうのはな、最初が肝心なんだよ。最初になめられたら、その後もなめられる。だからこそビシッとやんなきゃなんだよ。まあ、躾みてーなもんだ」
『〝しつけ〟……?』ハクは顔色一つ変えずに訊き返す。『〝しつけ〟って、なに』
「お前なぁ~……」ヒミコは長い黒髪をガシガシと掻き毟った。
ハクが自分に憑き纏うようになってから早一週間と一日。
一事が万事、この調子である。
アレはなに、コレはなに、の質問攻めだ。
しかもヒミコが答えぬと、
『〝しつけ〟ってなに。〝しつけ〟ってなに。〝しつけ〟ってなに』
こうして実力行使に打って出る。
ハクはヒミコを原点にグルグルと周回しながら宙を漂った。
白く小さな身体がその都度、壁や窓をすり抜け室内と室外を行き来する。
うっとうしいことこの上ない。
「だぁー、やめろぉ! アタシの周りをウロウロすんな! うざってぇ!」
『じゃあ、おしえて』
「チッ、躾っていうのはだなぁ――」
だからこうしてヒミコが折れるより他ない。
タチの悪いことにハクは衆目があってもこの通りで、傍から見れば自分はしょっちゅうブツブツと独り言を呟いている〝あやしい人〟に映るだろう。
まったく、ありがたいことこの上ない――。
「ってぇ訳だ。わかったか、ああ?」
『わかった』ハクが無表情のまま頷く。『つまり〝しつけ〟というのは〝しはい〟のこと』
「……なるほどな。何もわかっちゃいねーことがよくわかった」
『なんで? まちがってないでしょ』
「間違ってるから言ってんだよバカ野郎」
『だって〝しつけ〟は人にこうしろとおしつけるんでしょ。〝しはい〟となにがちがうの』
「さあな。何が違えんだろーな」
めんどくさくなって投げやりに応えるヒミコ。
だが無論ハクは納得せず、抗議の循環浮遊を開始する。
(なんなんだよ、コイツはマジで……)
ヒミコの脳裏に幾度となく繰り返した自問が浮かんだ。
だが答えは出ない。出るはずがない。
ヒミコはおろか、ハク自身さえ己のことを何も知らぬのだから。
そもそも〝ハク〟という名前自体、ヒミコが取り敢えずでつけた仮のモノだ。
わかっていることは数少ない。
第一に、ハクを認識できるのはヒミコだけ。
第二に、ハクは自分のことを含め何も知らない。
第三に、ハクは物理的接触は言うに及ばず、霊気をもってしても触れられない。
それだけだ。
特に問題なのが第三の点。
このせいで、ヒミコが他者にハクの存在を証明するのは不可能だった。
(証拠がねー以上、誰も信じちゃくれやしねー……なら、何を言っても無駄だな)
ヒミコはハクと出会ったその日の内に、早々と結論を出している。
(あの時だって、そうだった)
あの時。
三年前の、貴志摩鉱山の崩落。
鬼の出現。
ヨウコの呪眼で辛くも鉱山を脱出したヒミコに命じられたのは、帝國巫女局特殊監査部への出頭だった。
取り調べでヒミコがどれだけ真実を訴えてもろくに取り合って貰えず、どころかほとんど拷問じみた詰問にまで発展し、最後には〝仲間殺し〟という許し難きに許し難きを重ねた汚名を着せられ投獄された。
爾来、ヒミコは他者への幻想を抱くのをやめている――。
『なにがちがうの。なにがちがうの。なにがちがうの』
煙管を吸い終えてもなお、ハクはグルグルと回り続けていた。
いい加減、ヒミコも堪忍袋の緒が切れかけている。
「てめぇなぁ――!」
ヒミコが窓枠から降り、無駄と知りつつハクに掴みかかろうとしたその時、
「ん……?」
扉を叩く音がした。




