03
誰だ――そんな間の抜けた問いを発するはずもない。
ヒミコは振り向きざまに御幣で斬り掛かる。
白木の幣串に紙垂を挟んだ正統派なお祓い棒だ。巫女装束と同じく先の獄吏から奪ったものである。
常人が使えば玩具にも劣る得物だが、しかし侮ることなかれ。緋ノ巫女が霊気を込め振るう時、それは岩を砕き鋼をも切断する慈悲なき兇器へと早変わりする。
「チッ――!」
ヒミコは舌打ちした。攻撃が食い止められたからだ。
敵も御幣で応戦してくる。すなわち巫女だ。
二人は互いの御幣を鞭の如くしならせ、激しい打ち合いに移行する。
「ああ、よかった――」敵は涼し気な態度を崩さない。「三年の【ぶらんく】があるとのことだったけれど、ちっとも腕はなまってないようね。とってもお上手よ、神越さん」
「……知ってんのか。アタシのこと」
「ウチの情報部がね、調べてくれたの。神越ヒミコ。生年月日は緋暦一一三年、闘ノ月、志ノ週、佳ノ日。明日でちょうど一七歳ね。出身は万葉県、綺浜群、黒砂子で、両親と年の離れた姉を早くに亡くす。以後はある人物に引き取られ、一〇歳から見習いとして巫術管理省帝國巫女局に入る。とても異例の経歴だわ。表向きには後方支援隊の第三記録保管班ということだったけれど、本当の所属は……肆番隊」
その筋では〝死ノ巫女〟と恐れられる特殊部隊ね――女が言い終えた途端、ヒミコの斬撃が速さと鋭さを増す。限界まで高められた一閃は衝撃波となり敵へ襲い掛かった。
霊気を全力で防御に回し受ける謎の巫女。それでも勢いを殺し切れず、土埃を巻き上げながら大きく後退した。
両者の距離が開く。薄い月明りが二人を照らし出した。
片や、腰まで届く長い黒髪をほったらかしにしたままのヒミコ。緋色の瞳。
片や、同じくらい長い髪を頭の天辺で一つに結った妙齢の巫女。紫色の瞳。
ヒミコは敵の顔をまじまじと見据え、さも不機嫌そうに吐き捨てた。
「アタシも知ってんぜ、アンタのことならな……。帝國巫女局の第二六代局長サマ――夜代ミヅキ。血統書つきのお偉いさんだろ? こんなクソ溜めみてーな場所でお目にかかれるたぁ、恐悦至極だね」
「やっぱり三年の【ぶらんく】は大きいわね。もう古いわよ、その情報」
「ああ?」
「三年前……ちょうどあなたがここに入った年に退役したのよ。帝國巫女から。きれいさっぱりね」
「……ますますわかんねーな。じゃあてめー、何してんだよ。こんなとこで」
「あなたを迎えに来た、と言ったら信じて貰えるかしら」
「アタシがよっぽど抜けてると思ってるみてーだな」
「はぁ……そうよね。そう言うと思ってたわ」ミヅキはやれやれと首を振り、「だからやっぱり、私がこうするしかないのよね」次の瞬間、ヒミコの眼前へと迫り来る。
「な――⁉」間一髪。ヒミコは寸前でミヅキの御幣を躱す。「〝縮空〟かっ」
縮空。巫女が霊気を用い発現する巫術の中でも最難関に位置する異能だ。
端的に言えば空間を折り畳み圧縮した超高速移動である。
「あら知ってたの。それに初見でこうも躱すだなんて。あなたほんと、すごいわね。その……闘争本能、っていうのかしら。それとも野生の勘? いずれにせよたいしたものだわ」
「うる、せえ……! クソ女……!」
嵐のような猛撃が次々と襲い来る。肉眼でこの動きを捉えるのは不可能だ。
今は防御に全霊力を集中しどうにか耐えているが……このままではジリ貧に陥る。
そうなれば結果は火を見るよりも明らか。
(またあの豚箱に……戻されるってのかよ……!)
それでは目的を果たせない。
死んでいった仲間に――合わす顔がない。
「~~ッ!」
ヒミコの思考に冷たく固い意思が張り詰めた。
ヒミコは御幣を両手で握り、一際大きな斬撃を飛ばす。
空を穿つ三日月の如き巨大な衝撃波。当たれば人体などひとたまりもない。
「フフフフフ……」
ただし、当たれば、の話だ。神速の域に足を踏み入れたミヅキにはどうということない。当然の如く躱される。十全の余裕を持った身のこなしだ。
それに反しヒミコは精魂尽き果てたのか、ぐったりと御幣を垂らし項垂れる。
「ゆっくりと……お休みなさい、神越さん」
ミヅキが縮空で一息に距離を詰めた――――――がその瞬間、ヒミコもまた動きだす。
「え――⁉」
これでいい。
先の斬撃は陽動だ。敵の動きを制限するための。
如何な神速といえども、来る方向と機会さえ読めれば手の打ちようはある。
「オラァアアアアッ!」
ヒミコは御幣を逆袈裟に斬り上げた。
(とった)
手応えあり。敵の御幣ごと手首を斬り落とす。
「……へえ」
だが。
何か、奇妙である。
それを肯定するようにミヅキは薄く笑っていた。
(血が……でてない?)
逆袈裟の反動を体幹で戻す最中、気づく。
ミヅキの右手。斬り落とされた手首。そこからろくに出血がない。
一瞬を永遠に引き延ばしたような超集中状態だ。時が静止して見えてるのか?
否、違う。間違いなく、血がでてない。
粘りつくように鈍化した時の中、ミヅキは切断された右手をこちらへ向けてくる。
(――やられるっ)
即座にヒミコは理解した。ミヅキの右手。その切断面。
そこにあったのは人体ではない。
歯車、発条、軸、管、糸……その他諸々の精緻な部品。
一目で人工と知れる義手だ。
さらにはその奥に潜む薄い藍色に染まった御札と紫の光。
「……まさか私にこの手を使わせるとはね」
炸霊石仕込みの義手――眩い閃光が煌めく瞬間、ヒミコはそう理解した。