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同日 夜
/結界封印都市ヒモロギ 旧第七結界柱方面
仮設塹壕 其ノ二(副次目標〝石環〟周辺)
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『〝局所封鎖結界〟の消失まであと三分です!』
譜ノ国。
自分の生まれ育った土地。
もう二度と――戻ることはないと思っていた土地。
戻ってきた。
戻ってきて、しまった。
この国にいい思い出など何一つとしてない。
だからこそ、ここに戻るしかなかった。
忘れるために。
ルリカのために、ルリカのことを、忘れるために。
――忘れられなかった。
忘れるには、あまりにも心がルリカで満ちていた。
自分の生涯にも匹敵する大事なモノ。
初めて、自分に生きる喜びを与えてくれた人。
でも。
愛してはいけない人。
自分で自分の心を削り取るような日々だった。
削り取る。
実際、確かにそうだった。
削れば削るほど、空白が満ちてゆく。
充足の代わりに、空白が占めてゆく。
気づけばユイナは――絵が描けなくなっていた。
描きたいのに。
今の自分にはもう、それくらいしか生きる意味がないのに。
それでも、描けなかった。
空白の中にはもう、何も残っていなかった。
『〝局所封鎖結界〟消失まであと二分!』
とうとう大緋帝國に戻る時がやってきた。
この半年間、ずっと一緒だった〈サグメ〉と共に。
自分はこの子が工廠で産声を上げた瞬間を目にしている。
……胸が苦しくなる光景だった。
やはり、自分の想像は間違っていなかったのである。
人形のこの子でさえ、生まれた時に開発者から最初に贈られていたのは〝愛情〟だった。
自分はこうではなかったんだ、とする思いがあらためて首に巻きついてくるのを感じた。
ただ、それでも。
この子のことは嫌いではなかった。
理由はわからない。不思議である。
人形のこの子の空白に座ることで、自分の心の空白が同化しているのかもしれない。
この国に戻り、ルリカと再び顔を合わせる勇気を持てたのはこの子のおかげだ。
ルリカ。
あゝ、ルリカ。
ルリカ。ルリカ。ルリカ。ルリカ。ルリカ。ルリカ。
哀しかった。
あれほど会いたいと想っていたのに、あれほど自分のすべてであったのに。
心はもう、動かなかった。
そこにはもう、何もなかった。
かつて愛した女である――その事実だけが見えない屍として横たわっていた。
それでも目は自然とルリカを追ってしまう。
無意識の内にルリカの姿を探してしまう。
まるで幻影に幻想を重ねるかのように。
けれどそこには――あの女がいた。
ルリカの、隣に。
『〝局所封鎖結界〟の消失まで一分を切りました!』
一目見て、イヤな女だと直感した。
ふとした仕草や雰囲気からわかる。わかって、しまう。
女と寝たことのある女だと。
それがどうして。ルリカと一緒に?
ルリカの、隣に?
それもあんなに――楽しそうに。
……許せなかった。
大切なモノを汚された気分だった。
ヒミコに嫉妬したし、ルリカには失望した。
ならなんで――自分じゃダメだったんだとすら思った。
だからヒミコを憎んだ。恨んだ。殺意すら抱いた。
けれど――――――そのヒミコに、助けられた。
「ふふふ……」
仄暗く閉ざされた〈サグメ〉の操者席の中、ユイナはほんの一時、金糸雀色の目を瞑る。
今もありありと目蓋の裏に浮かび上がる光景。
それはヒミコが身を挺して自分を守ってくれたあの瞬間に他ならない。
(守ってくれた……)ユイナの指が幽かに震える。(守ってくれた、守ってくれた、守ってくれた……!)閉じられた目蓋の端からは、涙が。(こんな私なんかを……!)
哀しいのではない。
逆だ。
うれしいのだ。
生まれた時から憎悪に晒され続け、やがては無関心に捨てられたユイナにとって、愛情とは守ってくれることに他ならない。
誰からも愛されない人間は、誰からも守られない。
それがユイナの中に根づく歪んだ真実であった。
自分を守ってくれたヒミコ……。
そのヒミコのためならば、死ねる。
『〝局所封鎖結界〟消失しました――!』
スズの声で目を開ける。
ユイナは既に行動に移っていた。
「〈サグメ〉、〝雷惑符〟を展開します」
――こわくない。
死ぬのはまったくこわくない。
だって。
心が――もう満たされることはないと思っていた心が、また満たされた。
また、絵を描くことができた。
こんなにもうれしいことはない。
こんな素敵な思いと共に逝けるなら――自分はきっと、笑って死ねる。




