01
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闘ノ月、志ノ週、俊ノ日 夜
/緋ノ宮 房玲群 尾沼崎特異指定監獄所
北東区 地下四階 第二特別隔離室
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暗い室内に一人の少女が座っていた。
少女の両手は繭で包まれたかのように封じられている。
手だけではない。爪先から顔に至るまで全身だ。毛筆でびっしりと咒文が書き込まれた包帯でぐるぐる巻きにされている。
腰まで届く長い黒髪と包帯で浮かび上がった未完成の骨格だけが、辛うじて少女を少女たらしめていた。
「……ほら、早く入んなよ。見つかんない内に」
「で、でもセンパイ――」
「いいから」
暗がりに幾許かの光が射した。だがすぐに消える。闇の再訪と共に二人の獄吏が這入って来ていた。
白衣に緋袴――巫女である。
より正しくは〝緋ノ巫女〟。今や天下に覇を唱える大緋帝國の最強戦力。時に〝人間兵器〟とも呼称される異能の力を授かった女性たち。
常であれば獄吏のような閑職とはあまりに縁遠い。帝國、民間を問わず活躍の場に事欠かぬ貴重な身だ。
にもかかわらず、ここ尾沼崎特異指定監獄所では職員の大半が緋ノ巫女で構成される。
何故か? その理由は単純である。
ここに投獄される囚人たちもまた、緋ノ巫女に他ならぬからだ。
――そう。この少女も。
「おーい神越、生きてっかー。あー?」
二人の獄吏の内、年嵩の方が少女の黒髪を無造作に掴み、乱暴に引っ張る。
「センパイ……⁉ やばいですって! そいつ一級囚人なんですよ⁉ もっと慎重に――」
「なーに言ってんだか。咒牢帯でこんだけ雁字搦めにした上に何本も鎮静剤の【かくてる】キメてんだよ。残ってるワケないじゃないか、意識なんて」
「あ、ちょっとっ」
「ほらほら、御開帳ー」
するすると包帯が解かれ、少女の顔が露になった。
「ははは、見てみなよこのマヌケな顔。よだれはダラダラで目は開きっぱなし。焦点もあっちゃいない。こりゃ完全に飛んでるね。アッチの世界に」
「あ、ホントだ……よかったぁ。もぅ、先輩てばー。アタシどきどきしちゃいましたよぅ」
「まったく気が小さいんだからアンタは。そのクセやる時ゃアタシよりよっぽどえげつないことするクセに。……あ、ほらここ。このほっぺのえぐーい傷とか。アンタだよね、コレやったの」
「えー、そうでしたっけぇ? わかんなぁい。あはははは」
「あーあ、かわいそーに。女の子の顔、キズモノにしちゃってさー」
「まぁいいじゃないですか、そぅいうのぉ……それよりほら、」
そろそろやっちゃいましょうよぉ――年少の獄吏がそう切り出すと、室内の空気が一変した。
「……だね。よし、アタシは外を見張ってる。アンタはその間に済ませちゃいな」
「あ、センパイ。薬、渡して貰っていいですか?」
「おっとそうだったね。ほら」
「どーもぅ」
硝子瓶が手渡される。中にはごく少量の液体が入っていた。
「にしてもコイツもついてないですよねぇ。まっさかこんなことになるなんてぇ」
「まったくさ。今になって引き渡し……? 冗談じゃない。そんなことしたらアタシらのイタズラがバレちゃうじゃないか」
「そぅそぅ。だからコレは、仕方のないことなんですよねぇ。どーせいつものことですからぁ、死人と気狂いだけがここから出られるってゆーのはぁ」
「はは、アンタもわかってきたじゃないのさ。この分ならアタシがいつ引退しても安心だね」
「………。」
ごぽ。
「んっ――いや大丈夫だ。見回りが来たけどもう行ったよ」
「………………。」
ごぽ、ごぽ。
「ま、とはいえアイツも神越でさんざん遊んだクチだからねー。いざとなりゃ口を合わせてくれるだろうけど」
「………………………。」
ごぽ、ごぽ、ごぽ。
「……ちょっと。ナニ黙り込んでんのさ。急に」
ごぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽっ。
この時になってようやく。
年嵩の獄吏は扉から目を離し、振り向いた。
後ろへ。一仕事済ませたであろう後輩の方へ。
(……さっきからなんの音? 咳でもしてんの)
そんな暢気なこと考えながら。
「ヒッ――!」
もちろん。ちがった。咳なんかじゃ、なかった。
間欠泉のように勢いよく血が噴き出している。
どこから?
後輩の喉から。
いつの間にか床に仰向けになって倒れている。
――ソイツは。
後輩の喉から噴き出す血を。
浴びていた。
飲んでいた。
嬉々として。
これには二つの理由がある。
一つ、咒牢帯を血で塗り潰して無効化するため。
二つ、咒牢帯で失われた霊素を取り入れるため。
「お、お前ェエエエエッ!」
即座に御幣――所謂お祓い棒だ――を抜き、少女に襲い掛かる獄吏。
だが。
すべてが遅かった。
状況の判断も。するべき対応も。そして何より――命を落とした後悔も。
少女は力尽くで咒牢帯を引き千切り、獄吏の喉笛を食い破った。