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6.


本日、ふたつめの投稿にして最終話でございます。


よろしくお願いいたします。



 渾身の張り手を食らって目を潤ませている馬鹿者を、エミリアはとりあえず自室の玄関先に引き込んだ。箍が外れかけている男(しかも別れ話が出た後の)と密室内にふたりきりという状況に忌避感はあれども、共用部であんな大声を出し続けられてはエミリアの今後の生活に支障が出る。それに、どうあっても奴が置きっ放している私物を引き取って貰いたい以上は、今入れるか後で入れるかの差でしかないとエミリアは腹を括ったのだ。


 その判断は何処かが間違っているような気がしないでもないのだが、いやでもしかし、ほら、同僚にもう一度話し合うべきだとも言われているわけだし、とエミリアは己の混乱に蓋をして、しょんぼりと項垂れているブライアンを振り返った。


「とりあえず、落ち着こう。何か飲む?」


「……うん。有難う。何でも良い。リアの手の掛からないもので」


 しょぼしょぼとそう言ったブライアンは、受け取って貰えなかった花束を膝に乗せて、ダイニングチェアにちんまり座った。今日は流石に馬乗りはしないらしい。


 その塩垂れた姿を横目に、エミリアは更にしくしく痛み出した胃の調子を慮って、ハーブティーを淹れることにした。ブライアンがコーヒー好きなのは知っているが、今のエミリアには到底飲めない。ミルクを入れても厳しいだろう。そして何でもいいと言ったからには、例え好みとはかけ離れていようとも我慢して貰う気満々だったのだが、それでも何とはなし気が引けたエミリアはパントリーから作り置きのビスケットも出してやった。


 そうやって仕度して、ひととおり並べ終わって向かい合わせに食卓を囲んだは良いものの。


 何を話せばいいのか、それがさっぱり判らない。


 エミリアは食卓の陰でこっそり胃の辺りを擦りつつ、湯気の立つカップに口を付けた。


 ブライアンも無言のままである。茶を一口飲み、目を白黒させ、蜂蜜を足して味を確かめてからビスケットにも手を伸ばし、その後は黙々と食べ続けているばかりである。


 ―――埒が明かない。


「……食べ終わったら片付けてね、自分のもの」


「ヤだ」


 漸く口火を切ってみれば、返事が早すぎる上に飲み込めない。エミリアはイラっとする気持ちを隠さず、口をへの字にしているブライアンを睨み上げた。


「何でよ。じゃあ全部捨てて良いってこと?」


 まあ私物と言っても、身の回りのものが少々と僅かな着替えくらいのものである。幾らでも替えがあるものには違いないと思ってエミリアはそう言ったのだが、ブライアンは子供のように下唇を突き出してから、突然、きりりと居住まいを正して、再度膝の上の花束を持ち出し、ずいとエミリアに向かって差し出した。


「何の真似?」


「だから、仕切り直し。あと、お詫び」


「はあ?」


 胡乱な顔をするだけで受け取ろうとしないエミリアに、ブライアンは一瞬天を仰いでからすっくと立ちあがった。

 その勢いが良過ぎて、エミリアは思わず仰け反った。椅子ごと躰を引いてしまう。だが、目が据わってしまっているブライアンは委細構わず食卓を回り込み、エミリアの足元までやって来たと思う間もなく、思い切り引いている彼女の前に恭しい仕草で片膝を付きつつ視線を合わせて来たものだから、エミリアはパカンと口を開けてしまった。


「ハ???」


「先日は不適切な表現で不愉快な思いをさせて誠に申し訳ありませんでした」


 エミリアの口は開きっ放しである。何を始めたのかこの男と思うばかりで、言葉が何も出て来ない。


「本日は、改めまして私の真意をお伝えするべく参上いたしました。まずはこちらをお詫びの印も兼ねまして」


 差し出されたガーベラを、エミリアはうっかり受け取ってしまった。


「それから、これを」


 ごそごそと取り出してきたのが、透明度の高い水色の石がコロンと下がるペンダントで、ずずいと目の前に差し出されたエミリアは、相変わらず瞳孔が開いたままのブライアンの目力に中てられて何となく受け取ってしまってから、遅ればせに慌てだす。


 突っ返そうと伸ばされた手をブライアンはガシッと掴み、問答無用でペンダントごと握り込んで包み込んだ。そして、無防備に晒されたエミリアの手首の内側に唇を圧しつけるや、思い切り吸い付いた。


「っぎゃあああ何すんのーーーっ」


「結婚して」


「何の話!!」


「俺の言い方が悪かったのは一生かけて謝るから、蹴っても殴っても良いから、頼むから結婚して。リアに捨てられたら生きていけない。なあ、リア、お願いだからうんって言って」


 身も世も無く取り縋って来るブライアンに眩暈がしそうだ。片手に花束、片手に目の前の男の色のペンダントを持たされたエミリアは、もうどうして良いか判らない。吸い付かれた方の手首に頬擦りされては、その上からまた口づけられての繰り返しで、耳から煙が出そうなくらい真っ赤になっている自覚もある。


「何で! どういう事?! 一昨日のアレは何だったのよ!?  結婚て!! 首都まで付いて来いってか!? 冗談じゃないわ!!」


「付いて来いなんて誰も言ってない。よく見てよリア、俺の徽章」


 パニック状態のエミリアに、ブライアンは見せびらかすように上体を捻った。


「徽章が? 何だっていうの??」


 狼狽の余り涙さえ滲んできたエミリアだが、乞われるがまま、目の前の男の姿に目を凝らして見てみれば。


「―――あれ……??」


 首都も辺境も国家の騎士団である事には変わりないから、隊服の基本的なデザインは共通だけれども、見分けがつかないなんてことは無い。何故なら、徽章の色が違うから。騎士団の施設で働く人間ならば判別できるのが当たり前で、もちろんエミリアだって朝飯前だ。そして、首都からの派遣組であるブライアンなら、徽章は眩い白金色である筈なのに、今、見せびらかしてくるそれは。


「ブロンズ……?」


 訝し気に目を瞬くエミリアに、ブライアンは特大の笑顔を見せた。


「そ。転属したの。希望自体は割とこっちに来てすぐ出してたんだけど、実際に認められるかなんて判らなかったからさ、リアには正式に決まってから伝えようと思ってたんだけど、仲間には普通にべらべら喋ってたからいつの間にかリアにも言った気になっちゃってたみたいで。……言うのが遅くて本当に申し訳ありませんでした。ごめんなさい」


「……はあ」


「だから、俺がこっちに来るだけだから。リアの生活は今までと何にも変わらないから。お願いだから結婚して。一緒に居て。ずっと居て」


「―――別れ話は?」


「だからそんなのしたつもりないんだってば。返す返すも俺の言葉が悪かったし、足りてませんでした。面目ない」


 さっきの得意満面の笑顔は何処へやら。項垂れるブライアンの(うなじ)で、金茶の紐まで塩垂れている。


「……潮時って言ったのに」


 ぽつりとエミリアは呟いた。


「そんな事言うから、もうやりたい事は全部やり終えたからお前なんか用無しだって意味だと思った」


 ぐぬぬ、とおかしな呻き声をあげて彼女の膝の上に突っ伏して、違うそうじゃないと駄々をこねているブライアンを見下ろしながら、エミリアはガーベラをそうっと食卓の隅に置いた。それから、彼の後頭部で尻尾のように揺れているダーティブロンドを摘まんで、軽く引っ張ってやった。


「……無神経でした?」


「大変に無神経でした。深く反省しています」


「これからは紛らわしい事は言わない?」


「鋭意努力します。もしまた変なこと言ってると思ったら、問い詰めて。ぶん殴ってもいいから」


 突っ伏したまま、エミリアの膝に鼻を擦り付けながらもごもご喋るブライアンは、まるっきり犬のようだった。大好きな飼い主に置いて行かれそうなのに気付いて、服に噛みついて必死にしがみつく大型犬。


 ―――こんなの見せられて、絆されない訳が無いじゃないか。


 エミリアは臍を噛みつつ、身悶えもした。潮時と言われたあの時のショックは未だに胸の奥で燻っているし、掻き立てられた怒りだって治まっていない。でも、全身でゴメンナサイして恭順を示してくる犬コロを引っ叩いて撥ねつけられる人間なんて、どれくらい居るだろう。


 少なくともエミリアには出来ない。無理だ。一度でもバカ犬だなあと思ってしまったら、もうダメだった。


 ……言ってしまえば、事の始まりからこうだったのだ。本来はそれなりに精悍な面構えなのに、空腹と疲労でへろへろの顔して変な時間に食堂に来て、昼のメニューが残ってないと知った時の絶望と慟哭を見捨てられず、エミリアがそこらへんにあった残り物を適当に突っ込んで作ったいい加減なサンドイッチを差し出してやった時の間抜け顔と、大口空けて齧り付いた瞬間の幸せそうな笑顔は、今もエミリアの脳裏に焼き付いている。もしゃもしゃ食べては感涙に咽び、ありがとうありがとう君は俺の恩人だなどと大袈裟なことをぬかして拝んできて、そのまま懐かれて、追い回されているうちに、気が付いたらすっかり絆されていた。


「―――こっちも一人合点して、きちんと問い質さなかったから」


 エミリアの言葉に、ブライアンは素早く顔を上げた。


「これからは、引っかかったら、ちゃんと訊く」


 そう言った次の瞬間、電光石火の勢いで立ち上がったブライアンにエミリアは潰れるかと言うほどの力で抱きあげられて、そのままぶんぶん振り回されて身も蓋も無い悲鳴を上げる羽目に陥った。


「これからって言った! 言ったよな!? ありがとうリアーーーーーー!!」


「〰〰〰止めて目が回る!!」


 ばんばん叩いて降ろして貰ったものの、その後も燥ぎながら跳ねまわる姿はやっぱりどう見たって犬っぽくて、そんなブライアンを落ち着かせるのにエミリアは結構な労力を費やさなければならなかったのだが、宥め終わった頃には彼女の胃痛もすっかり何処かに消えていた。



「……で、結婚するの?」


 翌日。


 膨大な量の蒸し上がったジャガイモの皮を剥いている最中にそう訊かれたエミリアは手を滑らせて、あっつあつの芋でお手玉しそうになった。


「何の事?!」


 誰にも何にも言ってないのに、何故そんな。


 動揺を隠せないエミリアに、仲良しの同僚は鍋の中にてんこ盛りの茹で卵の殻をさくさく剥き続けながら、


「叩き出したと言った翌日に、あからさまな色のペンダントなんてしてたら、ある程度は察しますって」


 そう言って面白そうな顔をするから、エミリアはぶんぶん首を振って否定した。


「だからって何で一直線に結婚なのよ。これはお詫びの印に貰ったの」


「はい?」


「紛らわしいことを言ったことへのお詫びだって」


「何言ってんだろう、この子は」


 憐れみの視線を向けられる理由がエミリアには判らない。だって本人がそう言って渡して来たのだ。それ以外の何だと言うのか。まあ、その直後にプロポーズされたのも間違いないのだが。


 ―――だって、まだ返事してないもの。


 ぐぬと唇を引き結んで、エミリアは胸の中で誰へとも判らない言い訳を呟く。過去の行いを赦すと言っただけで、未来を許したとは言ってない。……言ってない筈だ。


「お詫びだろうが何だろうが、そんな如何にもなモノを受け取っちゃった時点で絆されきっちゃってるじゃないの」


「う」


 卵の殻を纏めて捨て、今度は本体をぐいぐい潰しながら、同僚が呆れたように笑う。―――返す言葉もございません。


「……だってさ。全身でゴメンナサイを訴えてくるのを見てたらさ、もう犬がお腹出してるのと変わらなく見えて来ちゃって脱力しちゃったというか」


 言っているそばから羞ずかしくなってきて、エミリアは剥き終えた芋を八つ当たりのように潰しまくった。今日のマッシュポテトは、さぞや滑らかな仕上がりになるだろう。


「うっかりこっちにも非が無い事もなかったかもとか思っちゃったのよ! もうこの話は終わり!!」


 突っ返せる余地だって無かったんだから仕方ないじゃない!! 不可抗力よ!!! などと、自ら終わりと言っておきながら抗弁が止められず、茹で蛸のような顔をしてガンガン芋を捏ねるエミリアに、同僚は小さく苦笑した。


 それから、こっそり肩越しに背後の食堂を流し見る。


 ―――エミリアは何故か気付いていないようだが、カウンター越しに厨房の中が見える特等席に陣取って、飽かずエミリアの姿を追っている男がいるのである。朝からずっとそこに居る男は、楽しそうな笑顔の割には目が剣呑で、漂う威嚇オーラに料理長以下厨房男子は完全にブルってしまっている。どうにかして彼の視界に入らない位置を探し、かつエミリアへの直接的な接触を避けるべく右往左往し、結果、彼女への指示が漏れなく伝言ゲームになるほど怯えているというのに、当の本人(エミリア)だけはその異様な気配に無頓着だ。


 まあいろいろ頭が一杯なんだろうけれども、と思った処で、件の男と目が合った。


 怖い。やっぱり目が笑ってない。何だ、同性と喋るのも気に喰わないってか。どんだけだ。


 ぎぎぎ、と視線を戻せば、相変わらず真っ赤なエミリアが芋と格闘を続けている。何であの気配に気付かないのか判らない。慣れか。そうなのか。だとしたら怖すぎないか。


「―――アレが犬に見えてるのなんて、あんただけよ」


 同僚は密かに身震いし、絶対に逃げられないねご愁傷様だけど末永くお幸せに、とエミリアに向けて複雑な祝福の念波を送ってから、手元の作業に集中するべく深呼吸をした。



<了>



久々に最後まで書ききれました。良かった……


登場人物全員、年齢が定かになっていませんが、エミリアは二十代初め、ブライアンはもうちょっと年上。あまり年上っぽくなくなっちゃいましたけど。


しおらしくていじらしいヒロインと、感情と言葉に齟齬が出てしまうヒーローの予定で書き始めたのですが、どないもこないも話が進まず、試行錯誤するうちに、とうとうこんな乱暴者とあんぽんたんの痴話喧嘩になってしまいました。

乱暴者がぼかすか男を叩いてますが、彼氏にしかやらないし、何より叩かれる側がそれもまた愛情表現として受け入れていますので、これはこれでまあ良いのかな、と思っています。


作者は楽しく書いておりましたが、不愉快に思われる方がおられましたら申し訳ございません(特にあんぽんたんのやらかしに)。


蛇足ながら、手首へのキスは『欲望』を意味するそうです。掌の『懇願』の方が綺麗ですが、奴が手を握り込んじゃったので、キス出来そうな処が母指球か手首くらいしか無くて、こうなった次第です。


最後までお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。


あ、あと最後にひとつだけ。

真面目な話、別れ話が出ている相手と密室で一対一は、場合によっては命に関わりますので、現実世界では渾身の力で避けるが吉と存じます。命あっての物種。

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― 新着の感想 ―
完結、お疲れ様でした。 本当は魔王な大型犬(狂犬?)大好きです~! 照れ隠しにボカスカしちゃう女の子も超絶好み! 周りの人間は、触らぬ何とかに祟なしって感じで大変でしょうけどね。 大変楽しく読ませてい…
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