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5.


ちょっと短いのですが、きりが良いので分けました。


よろしくお願いいたします。




 妙なモヤモヤは忙しさで吹っ飛ばせても、寝不足と暴食に因る体調不良はどうにもならない。エミリアは己を鼓舞してテキパキ立ち働いたつもりではあったのだけれど、持参のハーブティーでは胃痛が解消されず、賄いを完食することも叶わず、しかめっ面で腹を摩っていた処を見咎められて、不覚にも早退を申し付けられてしまった。


 行きずりの男と切れたくらいで体調を崩したのみならず、仕事にまで支障をきたすだなんてエミリアの矜持が許さず、定時まで働けると大いに主張したのだが、料理長以下全員から『回復したらまた頑張って貰うから』だの『無理をして長引かれるより全然良いから』だの『いつも頑張ってるんだからたまには良いじゃん』だの『猛獣来襲の前に頼むから帰って』だのと言い募られた挙句、出勤してきた午後番の仲間にまで諭されるに至って、有難いとも申し訳ないとも思いつつ、お言葉に甘えて帰宅することにしたのだが。


 最後の姉御の台詞が腑に落ちない。何だ、猛獣来襲って。


 無意識に胃の辺りを擦りながら、エミリアは自宅への道をゆるゆると歩く。


 少々風が冷たいものの日差しは温かくて、気持ちの良い日和だ。気を遣われて早退しているのだから、さっさと帰って体調を整えなければいけないのは判っているが、このまま真っ直ぐ部屋に帰って、またしてもブライアンの名残の気配に気持ちを揺らされるのも癪に障る。


 それでエミリアは、一軒だけ寄り道するのを自分に許した。


 これと言って欲しいものがある訳でなくても、雑貨屋を覗くのはいつだって楽しいものだ。

 エミリアは、のんびりと店内を巡った。


 可愛い食器や小物、ちょっとしたアクセサリーを眺めていると、ささくれた心が平らかになって行くのが判る。無くても済むが、あると楽しいと思えるような、そんなささやかな贅沢品に存分に心慰められながらそぞろ歩いていたエミリアだが、リネンウォーターの棚の前でふと足を止めた。


 洗濯の濯ぎの最後に使うと仄かに香りが移り、気持ち良い仕上がりになると言うそれは、以前から試してみたかったものである。だが生活必需品ではないから、いつかそのうち、くらいのぼんやりとした気持ちで眺めて終わりにしていたのだが、


「―――買っちゃおうかな」


 柑橘とハーブの絵が描かれたラベルの容器を手にして、エミリアは呟いた。彼女にとっては、それなりの贅沢品ではある。だが、身に着ける物や寝具から好きな香りが漂えば、心穏やかに眠れる気が凄くする。よし買おう。そして、帰ったらすぐに洗濯しよう。今日はまだ時間もあるし、天気も良い。上手く行けば、今晩からこの良い香りに包まれて安らげる。あのブランケットだって、洗えないまでもこの香りを纏わせれば、あの馬鹿者の気配ぐらいきっとあっという間に。


 そう思いついたら居ても立ってもいられなくて、エミリアはとっとと会計を済ませると、先ほどまでとは打って変わった速足でアパートメントに向かいだした。ああ、寄り道して良かった。早退させて貰えて本当に有難い。洗濯が終わったらお礼に焼き菓子でも作らねばと、ささやかなパントリーの在庫状況を思い返しながら、たかたか階段を上がって自室の階まで辿り着いたエミリアは、そこで思い切り目を剥いた。


 何か居る。

 自室の扉の前に、えらくぱりっとした騎士服を着て花束を抱えて直立不動の何かが居る。


 その何かは、共用廊下の端で凍り付いているエミリアに気付くや、これ以上は無いと言うほどの全開の笑顔とともに勢いよく両手を広げて迎え入れようとしたまでは良かったが、


「リアお帰り!」


「何しに来たの?!」


 真正面から恋しい女にドン引きされて、ぐらりと上体を揺らめかせた。


「な、何しにって」


「別れ話はとっくに済んだし、呑んでるでしょ! あ、もしや荷物の回収? だったら次の休みにしてくれない? 私今日は忙しいのよ」


「マジで別れ話になってた!?」


「ああでも変に置いて行かれても邪魔だし困るから、どうせ来たなら今日の内に要るものだけさくっと持って行ってくれない? 残ったものはこっちで適当に処分するから。それで良いでしょ?」


 早口で捲し立て続けないと心臓が口から出て来そうなくらい、エミリアは動揺していた。何故、居る。しかも何だその恰好。ブライアンの騎士服姿なんぞ散々見て来て今さら見惚れる筈など無いと言うのに、いつもの着熟していると言えば聞こえは良いが、熟れすぎて只の作業着と化している姿とは似ても似つかぬ、折り目正しい新品の騎士服姿だと言うだけで、三割増しくらいに男っぷりが上がって見える。髪だって普段は無頓着としか言いようが無いのに、今はきちんと櫛目を通して襟足の上でひと括りにまとめている、だけならまだしもの事、髪紐の色がもろにエミリアの瞳とよく似た金茶色なのが心臓に悪い。


 とどめが花束だ。エミリアが好きなガーベラを色とりどりに取り合わせた、随分と大きな花束である。非常に華やかなそれを実にぎこちなく抱えているため、ここに来るまでさぞや人目を引いてばつが悪かっただろうにと思ったが最後で、エミリアは次に何を言えば良いか判らなくなってしまった。


 ブライアンは棒立ちでエミリアの上擦り気味の長広舌を聞いていたが、終わったと見るやぐしゃぐしゃと頭を掻いた。それからずんずん距離を詰めてくるなり、むんずと彼女の手を掴むものだから、


「ひえ」


 エミリアの喉から、情けない声が漏れた。

 だって、凄い力なのだ。ブライアンはこれまでエミリアに対して力づくに出た事が無い。たまに感極まって強引になったり、寝ぼけていて手加減が甘かったりした事はあっても、根本的な男女の性差を無視した無体な真似をしようとしたことは一度も無い。それなのに、いまこの瞬間の彼の手は、食らいついたら離さないと噂のピットブル(闘犬)も斯くやの熱量で、そのままエミリアの部屋の前まで戻るや、ひたと視線を彼女の瞳に据えた。


「なななになになに」


 真っ向から見据えて来る目付きが尋常でないのはエミリアの気のせいではない。白目は良いだけ充血しているし、普段は呑気そうな光を湛えた瞳は水色の筈だが、今は瞳孔が開き切って青黒くすら見える有様で、とにかく圧が物凄い。

 そんな状態の頭ひとつ分以上背の高い男に圧し掛かるように見下ろされ、絶対逃がさんと言わんばかりに腕を掴まれたエミリアは、喉が閊えたような声で意味の無い事しかもう言えない。そのうえ目の前に花束を突きつけられ、それが邪魔で物理的に呼吸が苦しくなってきた時、


「―――仕切り直しに来ましたッ」


 耳元で凄まじい大声を出されたエミリアは反射的に全身を竦ませたけれども、次の瞬間、掴まれていない方の手で思い切りブライアンの頭を張り飛ばしていた。



雑貨屋、楽しいですよね……

魔法のようにお金が消えるけど……



本日14時に最終話を投稿します。

よろしくお願いいたします。




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