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4.


本日、ふたつめの投稿です。


どうぞ前話からお読み下さいますようお願い致します。



 翌朝の目覚めは最悪だった。と言うか、寝た気が全くしなかった。エミリアは腫れぼったい目を無理矢理開けて枕元の時計を確かめ、憮然とした面持ちのまま起き上がり、習慣でベッドを整えようとしたものの、思い直してブランケットを剥ぎ取った。


 昨日シーツは取り換えたけれども、ブランケットの洗濯までは手が回らなかった。その所為だろうか、包まっていると何処となくブライアンの気配を感じて落ち着かず、良いも悪いも一緒くたに蘇って来る思い出にもみくちゃにされ、ろくろく眠ることも出来なかったのだ。あの野郎、居なくなっても翻弄するとは許し難い。


 だから可能ならば天日干しして、奴の気配など根こそぎ駆逐したい処だけれども、残念ながらエミリアは夜明け前の今から出勤せねばならないので、それも叶わない。


 せめてめいっぱい空気に晒してやろうと、剥いだブランケットを少しでも陽が当たりそうな床に広げたエミリアは、視界の隅に入った焜炉の上の大鍋に思わず胃の辺りを押さえて呻いた。昨夜ムキになった挙句の胃もたれは、いまや消化不良の痛みに変わりつつあり、いよいよもってエミリアの気分を盛り下げた。


 あと何回続けて食べなければならないのかと思うだけで胃痛が増す。


 エミリアはなるべく鍋を見ないようにしつつ、消化促進効果がある筈のハーブティーを手早く水筒に詰め、アパートメントを飛び出した。


「何だどうしたエミリア、顔が蒸しパンみたいになってるぞ」


 そして職場に着いてみれば、上司が身も蓋も無い事を言って来て、エミリアは我ながら凍てついていると思う目つきで彼を見上げた。


 料理人らしく恰幅の良いガタイを年季の入ったコック服に包んだ上司は、気は良いのだけれども脳と口が直結しているきらいがあって、普段から割と無神経な事を言い放つ男ではある。それは判っているけれども、例えるに事欠いて蒸しパンとは。


「やだーもうちょっと可愛い例えにして下さいよ、せめてフローティングアイランドとか」


 ……それは卵白を思い切り泡立ててから茹でて膨らませたデザートだろう。同年代で仲良しとは言え、同僚のフォローがフォローじゃない。だが労わりの気持ちが込められているのは判ったので、エミリアは小さく笑って、彼女の隣で莫大な量の付け合わせの仕込みに取り掛かった。


「何かあったの? すんごいむくれ顔だけど」


「馬鹿の所為で眠れなかったのよ。だからごめん、今日は包丁仕事はちょっと自信が無い」


「やーだ、惚気か」


「違います。別れ話を持ち掛けて来たくせに意地汚くベタベタしてくるから叩き出してやったんだけど、腹が立ち過ぎて眠れなかったの」


 同僚が猛スピードで刻んでは積み上げていくキャベツを片っ端から水洗いして塩で揉みながら、エミリアはギリギリと奥歯を噛み締めた。みるみるキャベツが塩垂れていく。今日のエミリアは、ブライアンへの怒りでパワーが倍加しているようなものだ。


 と、一心不乱に水気を絞る傍らでリズミカルに続いていた筈の包丁の音が俄かに乱れ、同僚が唖然とエミリアに向き直る気配がした。


「―――へ?」


「昨晩、わたくし、ブライアンとお別れ致しました。―――いつかは来ると思ってたのが昨日だったってだけよ。こんなプライベートで皆に迷惑かけたくないけど、寝不足で注意力散漫なのは判ってるからさ、悪いけど今日は包丁方は任せていいかなあ」


「そんなもんどうでも良いわよ! それよりオーウェルさんと別れたって何? そんな事ってある?? どうやって別れられたの!?」


 別れ()()()って何だ。


「おーい手が止まってるぞー。喋っていいから手を動かせ―。っていうか、その話をもっと詳しく」


「料理長まで何ですか」


 水場からは離れた焜炉の前で巨大な鍋を両手でガンガン振ってるくせに、良くも聞こえたものである。エミリアは鼻を鳴らしたけれども、ふと気付けば、料理長のみならず、その場に居合わせた全員が興味津々注目しているではないか。


「ちょっと、話してる暇なんか無いでしょう。もうすぐ飢えた水牛の群れ(騎士たち)が押し寄せてくるってのに」


「だから手は止めるな。全員キリキリ動かせ。でもお前らだって聞きたいだろ? あのオーウェルさんからエミリアがどうやって逃れられたのか」


 全員にうんうん頷かれ、エミリアは再び小さく鼻を鳴らした。決して上品ではないのは判っているが、気分がささくれているからだろう、勝手に出て来てしまうのである。


「逃れられたも何も、向こうから潮時だって言ってきたんです。だから、ああそうですかサヨウナラって」


 何だって全員そろって首を傾げるのか判らない。エミリアの方こそ、周囲の反応が不可解である。


「―――ねえ、何か誤解が無い? そりゃ確かに『潮時』とか言われたらあんまり良い印象は受けないけどさ、その前後に何かこう、他の話があったりとか」


 曰く言い難い表情の同僚に問われても、エミリアにはとんと心当たりが無い。ボウルに盛り上げた絞ったキャベツにせっせとドレッシングを掛けながら、エミリアは眉を寄せた。


「うーん? 教練が終わるから潮時だとしか聞いてないけど」


「―――それだけ?」


「うん」


「あらやだ、それじゃ確かに別れ話にも聞こえるよねえ」


 先ほどから大量の卵を割り続け、粛々とオムレツの下準備をしていた少々年かさで気風の良い同僚が苦笑交じりに口を挟んできて、エミリアはちらりとそちらに視線を向けた。


「ですよね?」


「そうなんだけど、多分、言ったつもりで肝心の言葉がすっぽ抜けてるんだと思うんだよねえ。だってさエミリア、よく考えてご覧よ、あんだけしつこくあんたを追いかけ回した男がだよ、そう簡単に手放してくれると思う?」


 訳知り顔で姐御はそう言うけれども、


「でもほら、気が済んだってこともあるじゃないですか。手に入れちゃったらすぐ飽きるって、よく聞きますもん」 


 エミリアは笑い飛ばして、広い作業台にずらりと皿を並べ始めた。すかさず、黙々と冷肉を切りまくっていた青年が寄って来て、味付けが終わったキャベツと共に盛り付けを始めたのは良いが、彼もものすごく微妙な表情でエミリアを見て来るのは何なのか。


「何?」


「わざわざ言う事でも無いと思ってたから黙ってたけど、僕、オーウェルさんに凄まれたことがあるんだよね」


 手早く盛り付けを進めながら青年がぽつりと口に出した言葉に、エミリアの手が止まってしまう。

 

「はあ?」


「僕ら、シフトがよく被るじゃん。そうすると休憩も退勤も被るじゃん」


「当たり前じゃない。前は良く一緒に休憩に出たよね」


「そう。前は。最近、ないだろ?」


 ―――言われてみれば。エミリアは瞬きし、皿を並べる作業を再開した。

 そう言えば、料理人として独り立ちを目指して頑張っているこの青年とは、嘗ては料理談義だの食材の蘊蓄だので休憩時間に盛り上がったものだけれど、なるほど、確かにここ暫くはさっぱりそんな機会が無かった。お互い仕事の切りの良い処で休憩に入るだけで、特に示し合わせている訳でも無いから今の今まで何とも思っていなかったが、


「―――え、それって」


「そうなんだよね、オーウェルさんにすげえ睨まれちゃってさあ。僕らは全く全然そんなんじゃなくて、仕事の話しかしてないって懇々と説明して、判って貰えた筈なんだけど、君子危うきに近寄らずって言葉もある訳じゃん? あの人、見た目によらず悪辣な闘い方をするって専らの噂だしさ」


「いやでも、それって付き合い初めの頃の話でしょ?」


 一蹴するエミリアに、青年は曖昧な笑顔を見せた。


「いつの話だろうと関係ないよ。飼い主の手許で大人しくなってる虎の尻尾をわざわざ踏みに行く馬鹿は居ないって事だけ言っとく」


「そうだぞエミリア。俺だって何回も威嚇されたことがあるんだから、アレを甘く見ちゃダメだぞー」


「いや何で。料理長が奥様にでろでろなのは有名な話じゃないですか」


「その筈なんだけどさー、もしかしたら自覚してないのかも知れんけど、しょっちゅう睨みつけてくるんだぞーあの人は。雑談してる時に居合わせようもんなら、おっかねえの何の」


 何だそれは。そして何故、誰もこの与太話を否定しない。


「だからねエミリア、多分その別れ話に聞こえるモノには、どっかに大きな穴が開いてると思うから、もう一度冷静に彼の言い分を聞きだした方があんたの身の為よ。叩き出したとか言ってたけど、そのままで済むとは到底あたしらには思えないから」


 真剣な顔をした仲良しの忠告にその場の全員が深く深く頷くから、エミリアの眉間にはいよいよ皺が寄ったのだけれど、その辺りでちらほらと朝食を求める水牛(騎士)どもが訪れ始めた為、以降は私語を交わす余裕など一切合切なくなってしまい、エミリアの胸に湧いたモヤモヤもてんてこ舞いに紛れて何処かに吹っ飛んでしまったのだった。



フローティングアイランドは、ウフアラネージュの名前の方が通りが良いかも知れません。


子供の頃、簡単そうな気がして作ってみようとしましたが、見事に撃沈しました(笑)


明朝10時に更新します。

よろしくお願いいたします。


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