2.
お目に留めて下さりありがとうございます。
本日二話目の投稿です。どうぞ前話からお読みいただけますよう。
翌日のブライアンの悪びれなさは、いっそ清々しいほどだった。エミリアを抱き枕に一晩ぐっすり熟睡した彼は、目が覚めるなり何やかんやエミリアにちょっかいを掛けはじめ、寝ぼけていた彼女はまんまとそのまましてやられた。そして欲を満たすや否や腹が減ったとほざきだした為、エミリアが這うようにして拵えてやったボリュームたっぷりブランチは、一瞬で彼の腹に消えた。その後、流石に皿洗いと掃除と買い出しは手伝ってくれたものの、そのままどっかりエミリアのアパートメントに腰を据えたブライアンは、暇さえあればエミリアに絡みつき、買い込んできた焼き菓子だの砂糖菓子だのを分け合いたがり、徹頭徹尾べたべたしたがった。やがて居た堪れなくなったエミリアが暴れ出せば、叱られた犬の如くしょんぼり項垂れる有様で、もう何が何だか判らない。
そうこうするうちに陽も落ちて来て、エミリアは踏もうが蹴ろうが延々構ってくるブライアンを夕食の準備に託けやっとの思いで振り払い、這う這うの体で狭い台所に逃げ込んだ。翻弄され過ぎて精神的にも肉体的にもへとへとだというのに、振り回して来た張本人はダイニングチェアに馬乗りになり、背もたれに腕と顎を乗っけて、自分の為に料理をするエミリアを眺めてご満悦である。
「……食べたら今度こそ帰ってよ?」
「えっ、冷たい。もっと一緒に居たいんだけど」
どの口が言うか! 反射的に出掛けた言葉を飲み込み、エミリアは眇目でブライアンを振り返る。
「私の職場が朝早いのは知ってるでしょ。ブライアンだって仕事があるでしょうが。外泊続きは拙いんじゃないの?」
「俺は休暇中だから大丈夫だって」
「私は大丈夫じゃない。ちゃんと寝ないと仕事になりません」
「今夜は何もしないから」
今夜はだと? カチンと来つつも、エミリアは努めて穏やかに言葉を継いだ。
「ベッドが狭くて熟睡できません。帰って?」
「毛布があれば床で良」
「気になって眠れないでしょ! 何なの今日は!」
とうとうエミリアは爆発した。朝から、いや昨日から、ベタベタベタベタくっつきまわって隙あらばナニカしようとするブライアンは実に鬱陶しかったし、最後の最後まで貪って行こうというそのがっつき具合が意地汚いにも程が有る。
だというのにだ、もはやうっすら気持ち悪くすら感じるというのに、彼が甘やかすように、甘えかかるように触れてくるたび、拒み切れずにいちいち絆されかかる自分が情けなくて、エミリアは乱暴に包丁を置くや、ぐいと瞼を擦り上げた。
「は? ちょっと、リア、泣いて」
「ません! これは玉ねぎ!」
「いやいやいやいや」
慌てたように近づいて来るブライアンを、エミリアはドシドシ押した。そのまま玄関まで追いやり、扉の外まで押し出しに掛かる。
「ちょ、リア、待てって」
「待ちません! もうお終い! 帰って!」
「リア??!」
本気を出せばエミリア如き簡単に捻じ伏せられるのに、ブライアンは哀れっぽい声を上げて形ばかりの抵抗をするだけで、あっさりエミリアの部屋から追い出された。ブライアンは、いつでもそうだ。自分がエミリアどころかそこらの男でも太刀打ち出来ないほどの腕っぷしだと重々承知しているらしく、彼女の前では決して荒くれた振る舞いをしない。例えエミリアがどんなに癇癪を起そうが暴れようがされるがままで、困ったように笑いながら受け止めて、あやしたり宥めたり賺したりしてくる男であり、そんなところもすごく彼女にとって魅力的だったのだけれども、
「往生際が悪いとか最低! 触り魔!!」
「いや何で!?」
扉越しに罵倒すれば、ブライアンからは困惑しきった声が返って来る。自覚が無いとはタチが悪すぎるだろう。エミリアはぜいぜいしながら施錠し、そこで本格的に締め出されたと気付いたブライアンはひとしきりエミリアの名を呼んではノックを繰り返していたが、やがて諦めたらしく、いかにも意気消沈した感じの足音がゆっくり遠ざかって行き―――
エミリアは、そのまま床に座り込んでしまった。
「〰〰〰くや……しっ」
目の前の床にぽたりと落ちた水滴を、エミリアはぐいぐい拭った。
意地でも泣きたくなかった。
行きずりの関係になったこと自体は後悔していない。押し切られた部分はあったにせよ、全てが一方的な侵害行為ではなく、納得の上で赦し、エミリアだって楽しんできた事だから。
だからこそ、エミリアは、綺麗なさようならがしたかった。
そういう意味でブライアンを信用していた自分の甘さに、滲む視界に、何度も瞬きを繰り返す。
騎士らしい精悍な顔立ちの割には纏う雰囲気が気さくで柔らかく、痩せの大食いを地で行く呑気な姿に目が眩んでいたとしか思えない。エミリアのちょっとした心遣いに感謝の言葉がさらりと出て来る男でもあったから、その時が来たらきっと、ちょっと済まなさそうな、後ろめたそうな感じで帰還を告げると思っていた。いついつ帰ることになったと、今まで有難う、楽しかった、元気でね、と、そんな感じに切り出してさえくれれば、エミリアだって、どんなに淋しかろうともブライアンを気持ちよく見送れたし、綺麗な思い出として昇華出来た筈なのに。
それがまさか、あんな雑な言葉と共に、さもしい面を見せつけてこようとは。
「変な期待をしてた自分が馬鹿だったってことね」
呟いて、エミリアは勢いをつけて立ち上がった。
めそめそしていても時間は止まってくれないし、男と別れたくらいで仕事を休んだり、ヘマを繰り返すような無様を晒そうものなら、エミリアのようなしがない働き手はあっという間に首を切られて日干しである。
何が何でも明日の朝までには気持ちを切り替え、しゃきっと出勤してこそ、自分である。例えそこで再び奴に出くわそうとも、自分の心さえ強く保てれば乗り切れる。エミリアはそう己に言い聞かせ、放り出していた夕食の支度に再び取り掛かった。
その結果、大食らいの為に準備していた具沢山スープは手持ちで一番大きな鍋になみなみと出来てしまってエミリアを途方に暮れさせたが、何があろうと腐る前に食べきってみせると決めた彼女は、今夜のノルマを大盛二杯と決め、果敢に挑みかかった。
次回、ブライアン君の言い分です。
ぐだぐだです。