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第4話

 礼拝堂の裏口から出て奥の居住空間に入り、ダイニングの大きなテーブルで各々が席に着いた。手早くティーカップを揃えた洸が「さとみん、あと頼む」と言って奥へ着替えに引っ込んだ。

 今回の公演会場として借りているこの教会は、洸の住居でもある。昨年までは、牧師である父と二人暮らしだったが、父親が海外の大学で教鞭をとることになり、二十歳になったばかりの息子を残して行ってしまった。以来、洸が一人で住んでいる。

「変わらないのね」

 よく通る澄んだ声だ。風景を眺めるように部屋を見回していた結子が、ふと立ち上がり、棚に置かれた紅い箱を手に取った。

「懐かしいわ、これ」

 濃い臙脂えんじ色の光沢をもつ木箱を、結子は優しい手つきでテーブルに置いた。ゼンマイを巻いて蓋を開けると、心地よい音が流れ出す。映画のBGMのように思えて、さとみは目の前の女性から目が離せなくなった。背筋を伸ばして椅子に腰かける姿、少女のような頬を包む、柔らかそうな髪。座っているだけで絵になる人だ。

「どこの席にいたの? 全く気付かなかった。杣木そまき監督が来られてたのは知ってたけど」

 トレイから紅茶のカップを取りながら、葵が結子に訊ねる。

 四年前、映画界の奇才と言われる杣木耿彦そまきあきひこの作品『水槽の中の女』に出演したことで、無名だった冬月結子は一躍話題の人となった。耽美的な内容で多くの物議をかもしたその映画の後、結子は杣木作品に続けて出演している。

「監督の席とは離れてたから。上手に気配を隠してたでしょ。世を忍ぶ仮の姿、なんちゃって」

 お茶目に首を傾げる結子は、イメージとは少し違って見えた。バラエティなどテレビへの出演がないためミステリアスな女優として知られているが、目の前にいる結子からは、真珠のように柔らかく丸い輝きを感じた。

「紹介してくれる?」

 まじまじと見詰めすぎたのだろうか。結子は少し居心地が悪そうに、隼人にそう耳打ちした。

「ああ、そうだった。さとみんは初めて会うんだったな。こちら、本日デビューの脚本家、さとみんだ」

「青木さとみです。初めまして」

 さとみは椅子から立ち上がり、丁寧に頭を下げた。

「こっちは冬月結子。知ってるよな。姉貴は以前、この劇団にいたんだ」

「隼人がお世話になってます」

 そう言ってにっこり笑った結子の前で、さとみは、あんぐりと口を開けた。

「……お姉さん?」

「あれ、言ってなかったっけ」

 隼人がそっぽを向いてうそぶく。

「聞いてないよ~」

 ギャグのような返事を返してしまい、顔が熱くなるのを感じた丁度その時、扉が開く音がした。助け船が現れた気持ちで目をやると、すっかり素に戻った洸の姿が見えた。メイクと共に整髪料も落としてきたのだろう。ストレートの黒髪が、さらさらと額に落ちている。白いトレーナーに絵具の染み。擦り切れたジーンズに包まれた鉛筆みたいな脚。

「洸……」

 何とも優し気に、結子が呼びかける。洸は一瞬だけ目を合わせた後、すぐに顔を伏せた。

「とても素敵だったわよ」

 そう言って結子が微笑む。洸は俯いたまま小さく「ありがとう」と呟き、さとみの隣に腰かけた。微かにシトラスの香りがした。

 結子たちと洸は幼馴染なのだそうだ。オルゴールは、一緒に北海道旅行に行った時に洸の父が買ったものだという。「旅行、楽しかったわね」という結子の言葉に、漸く洸は顔を上げ口元に笑みを浮かべた。

 洸の分の紅茶を淹れようとさとみが立ち上がりかけた時、横から滑るようににティーカップが置かれた。隼人が洸の髪をくしゃっと掴んで離し、席に戻って行く。カップの中の綺麗な紅い色が揺れた。

「葵先生の指導は厳しかったでしょう」

 結子が言う。洸は横目で葵を伺いながら、声を出さずに頷いた。

「使い物にならないようなら、すぐに隼人に切り替えるつもりだったんだけど、どんどん良くなるもんだから楽しくって」

 葵の演技指導が厳しいのは有名だ。洸の時は特にそうだったと、さとみは思う。新人の脚本家が選んだド素人を舞台に乗せるには、演出家の苦労も相当だった筈だ。

「何度も裏で半べそかいてたもんな。『もう無理だ。隼人、替わってくれ』って」

「ここで言うなよ」

 洸が隼人を上目遣いににらみ、カップで顔を隠すように紅茶を飲んだ。

 公演は大成功だった。会場を埋め尽くす拍手と共に、演劇集団カオスの大型新人を称える歓声を、さとみは確かに聞いた。

「洸、酒はないのか? 乾杯しようぜ」

 冷蔵庫を開けて隼人が言った。「無いよ」と洸が即答する。

 仙太郎も葵も公私を分けるタイプなので、教会が劇団員の溜まり場になる事はない。住居にまで入る人間は限られている。

「稽古場の方に打ち上げの準備をしてるんだけど、結子ちゃんも来る?」

葵が誘う。来てくれる筈がないと思いながらも、さとみも「ぜひ」と声を掛けた。

「どうしようかしら」

 視線の先に洸がいた。さとみが肘で小突くと、洸が慌てて「行こうよ」と言う。同じタイミングで、壁の掛時計が一つ鐘を鳴らした。

「ありがとう。喜んで」

一拍だけ間をおいて、結子は笑顔で頷いた。

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