下
嫌悪感が込み上げてくる。
私は瘴気に向かって歩き出した。
「君! そっちにいってはダメだ!」
騎士が引き止めてくるが、無視をする。
瘴気に触れたものはみんな腐ってしまう。木も草も土も動物も。この森を腐らせるわけには行かない。
瘴気が周囲を腐らせながら、風に吹かれるように急接近してくる。
私は内にある魔力を高めた。
「浄化」
そして、力ある言葉と同時に、魔力を放出させた。
私の放出させた聖属性の魔力が、瘴気を打ち消して広がっていき、腐らされた場所をも再生して、森は復活した。
「ふぅ……」
「ふぅじゃないでしょう! 君、今自分がなにをしたのか分かってるの⁉」
なんだか知らないけど、騎士が血相を変えて駆け寄ってきた。
「なにって浄化ですけど?」
そう言って、私はハッとした。浄化なんて普通は使えるものではなかった。
「ああ、私、聖女になりたくて、子供の頃から修練を積んできたんですよ。だから、聖魔法は一通りできるんです」
私は苦笑を浮かべて言った。本来なら誇るべきところなのだが、その道から外れてしまった今、ただの宝の持ち腐れだ。
「聖魔法を一通り? それがどんなに凄いことか分かって言っているのかい?」
「分かっていますよ。それこそ血も滲むような努力を山程繰り返して来たんですよ?
生まれながらに神託を受けた、なんて言う規格外の天才さんもいるし、あそこに入ってからの七年間、どれだけ泣いたことか……」
あの七年間のことを思い出して、思わず私は涙ぐんでしまった。
「でも、どうして公爵家の令嬢が聖女になろうなんて思ったの?」
「予言があるでしょう? 魔王が蘇るってやつ」
「ああ、あれね。再来年だっけ?」
「三年後です。そのときに、魔王を討伐隊に入るつもりだったのですよ。ほら、魔力のピークって、二十歳から二十四までって言うじゃないですか? 三年後なら私、二十歳だし、ちょうどいいかなと思って」
人が真剣に話しているのに、騎士は楽しそうに笑っている。ちょっと失礼な男。
「今はもう聖女を目指してないの?」
「二年前に、私が十五の誕生日を迎えたとき、急に家からの使いが来て、無理矢理に辞めさせられたんです。公爵家の人間が魔物討伐なんてとんでもないって!
後は神託を受けるだけだったのに!」
「公爵家だからダメだって言われたの?」
「はい。でもおかしいですよね?
名だたる軍団の団長さんって、大概貴族なのに……。だから、調べて見たんです。
そしたら、教団が『聖女の神託を受けられなかったら、司祭か大司教ですね』て言ったらしいんです。
それで、『教団に加入なんてしたら、王族との関係に亀裂が入る』って、連れ戻されちゃったんですよ」
「ああ、農民のデモンストレーションには、背後で教団が扇動していることもあるからね。深刻な問題だね……」
「そうなんですよ……。もうこうなったら、婿養子を取って公爵家を乗っ取るしかないかなって思って!」
「えっと、君、確か弟がいたよね? 家を継ぐのは彼になるんじゃ……?」
「排除します!」
「こらこら……」
私は本気で言っているのに、笑い飛ばされてしまった。
それにしても、やはり騎士には思えない。私が公爵令嬢だと知っていながら、普通に話してくるし、気負いさえしていない。
貴族でも、警戒してくるのに……。
まぁ、こっちのほうが私も気軽に話せるし、正直ありがたい。
「だけど、聖女ってそんなにありがたいものなの? それだけの魔法が使えれば、そんな称号はいらないんじゃない?」
「ああ、なんでも聖女になると、守護天使がもらえるらしいですよ? もの凄い力を持っていて、色々補佐をしてくれるらしいです。
まぁ、それはそれで、大変だったようですけどね……」
私は聖女の神託を受けたものたちが、泣きながら修練に励んでいた姿を思い出して、乾いた笑みが零れた。
「聖女って、凄い力を持っていて、みんなに守られて、涼しい顔をしている印象だけど?」
「あれは守護天使がうるさいらしいですよ? 自分を使役するものはこうであるべきだ、という理想を押し付けてくるんだそうです。
主に、立ち振る舞いと勉学に対して……。
私は見ることも叶わなかったので、詳しいことは分かりませんが、聖女の神託を受けたものは、天使とけんかしてるか、天使に泣かされるかのどちらかだったようです。
稀に仲良くしている人もいたようですけどね」
「守護天使⁉ それ本当なの? そんな話、聞いたことがないけど……」
「さあ? なにぶん、聖女にしか見えない存在らしいですしね。私は聖女になれなかった女ですもの……」
「教団め、まだ隠してることが多そうだな……」
「騎士さま?」
金髪の騎士が急に真顔になったから私は声を掛けた。
「ああ、ごめん。なんでもないよ」
「そう……ですか……?」
「そう言えば今日、城で、皇太子殿下のお見合いパーティーが開かれてるんだったね。
君は行かなくていいの?」
私が気にしたからか、騎士のほうから話を切り出してきた。
「いいんです、いいんです。皇太子になんて興味もないし。それに言ったでしょう?
私は家督を継いで公爵になるんです。皇太子妃になんてなっている場合じゃないんですよ」
騎士はここでも吹き出した。まぁ、ここは笑っても仕方がないが……。
「興味ないって、会ったこともないんでしょう? そんなに切り捨てちゃっていいの?」
「いいんです! 結婚相手をパーティーで決めるとか、あり得なくないですか?
それって、容姿と家柄が良くればいいってことじゃないですか! そんな人の上辺しか見られない人との結婚とか無理なので!」
「あっはっはっはっ……。いいよ、君、いい! 色々有能だし、気に入ったよ」
「はぁ、それはどうも……。騎士さまも、騎士であられるのなら、貴族の御方なのでしょう? 家の婿に入っても良いと思ったら、お訪ねください」
そこで私はあることに気が付いた。
「そう言えば騎士さまのお名前、私、まだお伺いしてませんでしたね。失礼しました。
私は……」
「ほら、お迎えが来たみたいだよ。アールグレイ・ウバ・ペパーミント嬢」
金髪の騎士は、さらさらの綺麗に整えた髪を優雅に掻き上げながら微笑んだ。
「御存知でしたか……。では、あなたのお名前は?」
「大丈夫、すぐに分かるよ」
問い掛ける私に、キザな返答をするとそれ以上はなにも言わずに、無言で見つめている。
名乗るつもりはないのだろう。
はいはい。名乗るほどのものではありませんってやつね。
男の美学だがなんだか知らないけど、不快なだけだから。それ。
私は騎士に背中を向けて、街道に向けて足を進めた。
「わぁーん、お姉さまぁ。お姉さまがお嫁に行かなくて済むように、セイロンが皇太子様をゲットしようと思ったのに、皇太子様は急病を患われてしまわれたようで、お会いできませんでしたぁ」
夜も深けたころ、パーティーから帰ってくるなり、妹のセイロンが飛びついてきた。
私は八歳、セイロンに至っては三歳のときから、聖女になるための修練を始めたから、妹に構っている時間がほとんどなかった。
そのせいか、帰ってきてからこの二年、セイロンは私にべったりだった。
「あら、それは残念だったわね。セイロンを幸せにしてくれる人だったら良かったのに」
私はセイロンの髪を撫でながら、慰めてやる。
「本当ですよ。もしも私が皇太子妃になったら、お姉様を地下牢に閉じ込めて、私だけのものにできるのに……」
セイロンは可愛く甘えながら、とてつもなく恐ろしいことを言ってきた。
うん。皇太子様との結婚だけは、なにがあっても阻止しよう。
それから、三日が過ぎた。
パーティーに出席できなかったお詫びということで、皇太子殿下が家に来る。
私はできるだけ嫌われてやろうと気合いを入れて、両親とセイロンと、皇太子様を出迎えるためにホールに立っていた。
扉が開き、複数の護衛や使用人に囲まれて、白い礼装姿の男性が悠然と屋敷に入ってきた。
その姿を見て、私は瞳を見開いた。
金の綺麗に整えられた髪、すべてを見透かすような青い瞳、そして腹黒そうな笑み。
そこには、三日前に名も名乗らなかった、あの不快な騎士が立っていた。
驚く私を見て、してやったりと言う顔で笑っている。
「ごきげんよう。アールグレイ・ウバ・ペパーミント様。ティー国、第八位王位継承者、ダージリン・ジャワ・エルダーフラワーと申します」
金髪の騎士は、私の前で優雅に片膝を着いて深く礼をすると、私の手を取って甲に唇を落とすと、挑発的な視線を向けてきた。
「あ〜‼」
セイロンが悲鳴のような声を上げて、母さんに取り押さえられている。
「パーティーではなく、自分の足で、妃を迎えにきましたよ」
金髪の騎士は不敵に笑って、言い放った。
三部作終了です
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