第九話 魔女が本当に望んだもの
「それで。君は新たなヘンシャル候に何をねだっていたのだ?」
伯爵はマリアが自分以外の男に物をねだっていたのが大変気になる様子で、侯爵から受け取って以降まったく手放そうとしない物を見つめている。
これです、と布を外し、膝に置いていたものを対面の伯爵に見せる――形や大きさから推測して、絵画じゃないか、とはチャールズも考えていた。隣に座る自分には見えない。
絵を見た伯爵はしばらく黙り込んだ後、盛大にため息を吐いた。
「……天才の本気には敵わないというわけか」
目を瞬かせるチャールズに対し、マリアはクスクス笑う。
「それが欲しくて、レズリー・ヘンシャルの茶番にあえて乗ったのだな」
「はい。あの屋敷に着いてこの絵を見た瞬間……何とかして手に入れられないかと考えておりましたから」
レズリー・ヘンシャルが自分に敵愾心を抱いていたことは、対面した瞬間に気付いていた。
その理由までは分からなかったが、そんな男にこの絵を譲ってほしいと頼んだところで一蹴されるに決まっている。
法外な値段を吹っ掛けられるぐらいならまだいい。大嫌いなマリアを悔しがらせるため、売らない可能性のほうが高い。
……それどころか、ヘンシャル家は絵に興味がないという話も聞いていたから、絵を焼き払う暴挙に出る恐れも。
そこに始まった茶番――これだ、とマリアは思った。
「王の代理で弔問にやって来た使者に狼藉を働くなど、反逆行為も同然ですもの。適当にやり過ごした後、陛下に窮状を訴えてヘンシャル家を潰してやろうかと考えていたのですが……なぜか娼館を買い取る流れになったので、ひとまずお客探しに奔走しまして」
涼しい笑顔でサラッと話すが……なぜ娼館を買い取る流れになったのか、チャールズたちのほうが小一時間は問い詰めたいぐらいだ。説明は聞いたが、その流れは絶対におかしい。
「その内、ヘンシャル領主を逮捕し、新たな当主を据えようとする領民たちの計画を私も知り、それに乗じることに致しました。ヘンシャル家が取り潰しとなれば、領民たちも困りますものね。さすがにそれは、私も良心が咎めるというか」
最初はやる気満々だったが、他にもうちょっと穏便な手があるのなら、それでもいいかと妥協することにしたらしい。何もしなくても待っているだけで、レズリー・ヘンシャルは失脚し、マリアは絵を得るチャンスが掌に転がり込んでくるのだから。
「真面目で誠実なロドニー様なら、必ず私に謝罪の証を立てようとするに違いないと思いましたの。そうならなかったら、直接おねだりすればいいかと考えて」
別れ際、必ず良い領主になるから、またヘンシャルへ遊びに来てほしいと告げるロドニー・ヘンシャルの姿を思い返す。
マリアの手を握って、彼女をじっと見つめる彼の目には、感謝や敬意を超えた熱っぽさがあった――あの様子なら、マリアにおねだりされたら喜んで差し出したことだろう……。
「それで……その絵は何なんだ?男の絵……だよな」
乗り出して絵を覗き込みながら、チャールズが言った。
「メレディスという、エンジェリクでも有名な絵描きが描いた、彼の自画像です」
メレディス・マクファーレンという絵描きは、生前たくさんの絵を描いた。人物画も風景画も。そんな彼がほとんど描かなかったものがひとつ――メレディス自身の絵が欲しいと、マリアはかなり強く彼にねだったのだ。
自分をモデルになんて気乗りしない、とメレディスはなかなか描いてくれなくて。
ようやく描き始めたと思ったら、気乗りしない絵は管理もずさんで、マリアに渡す前に、いつの間にか消失してしまった。
盗難に気付いたのが遅すぎたものだから、ホールデン伯爵を始めとするマリアの伝手を最大限利用しても足取りが追えず、闇市に流れて外国に売られてしまったらしい、という足跡が最後の手がかりで、それっきり。
だったらもう一回描いて、とマリアはまたねだったが、また今度ね、と誤魔化されている間に月日が経ち……メレディスは病に侵されてしまった。
病で弱った自分を描けなんて、そんな酷なことはとても頼めなくて……。メレディスの自画像は、永遠に幻の作品となるはずだった。
……それが、巡りめぐってエンジェリクに戻ってきていて、ヘンシャル家の屋敷に飾られていた。
見た瞬間に、メレディスが描いた絵だと分かった。この絵は自分がもらうはずだった――自分のものなのだ。
だから、盗んだり騙し取ったりはダメだ。正当にマリアのものにするため、誰にも異議の唱えられない方法で手に入れなくては……。
「素晴らしい誕生日プレゼントだわ。やっぱりあなたは、最高の絵描きよ」
絵の中で笑うメレディスの顔は、マリアの記憶にあるものと同じ。初めて会った時からずっと、マリアを惹きつけてやまないあの時のままだった。
王都に帰り着いたマリアは、まずは自分の屋敷に戻って子どもたちに会おうと思ったのだが、先に到着していたララから、子どもたちは城にいることを伝えられた。
伯爵とノアは城に入れないので屋敷で別れ、チャールズと共に城へ。
子どもたちは、マリアを見るなり笑顔で飛びついてきた。
「母上!」
「お母様!」
ようやく帰ってきた母親に、素直に喜ぶ者、さっそくお説教してくる者……反応は様々だが、とても嬉しそうだ。
いとこと遊びに行っていたリチャードも、母が戻ってきた知らせを受けて、急いでみんなが集まる部屋にやって来た。
「お母さん!お帰りなさい!」
抱きつく息子を、マリアもしっかり抱きしめる。
まだ赤ん坊のマリアの末子を抱き、妹のオフェリアも姉を出迎えた。
「お帰りなさい、お姉様!もう!すぐ来るって言ったのに、ちっとも来ない常習犯なんだから!お姉様ったら!」
約束破りな姉にオフェリアはちょっぴりおかんむりだが、マリアは悪びれることなく、ごめんなさい、と言った。
「みんな、遅くなってごめんね。私もずっとみんなに会いたかったわ――会えなくて、とても寂しかった」
子どもたちや妹に囲まれ、幸せそうにマリアは笑う。
傾国などと揶揄され、キシリアの魔女と呼ばれたマリア。
ヘンシャル領での一件も、やがてマリアの悪女伝説の一節として語られていくことだろう――実際には、彼女はただ巻き込まれただけの傍観者だったのだが。
こうして、マリアの悪名は増えていく。
しかし彼女が本当に望んだことは……ごくありふれたことで。
世の人が思うよりもずっと、彼女は、ありふれた幸せを愛する女だった。