第八話 親子
マリアが通された応接室は、チャールズも昨日入った部屋だ。昨日と違うのは、部屋はものものしい雰囲気で、領主は兵士に囲まれていることぐらい。
ヘンシャル侯爵ことレズリー・ヘンシャルは兵士に捕らえられ、弟ロドニーを睨みつけていた。部屋の片隅で、レズリーの育て親であり伯母がさめざめと泣いている。
それを冷ややかに眺める女性が……。
「魔女め……!やはり貴様は、我が領地に不幸をもたらす災厄だったのか!この女と共にロドニーを誑かし、父同様に私を追い落とそうと!」
「いい加減にしろ!父上は自ら隠遁生活を選択し、あなたがこうなったのは、あなた自身のこれまでの行動が原因だ――いつまでも、誰かのせいにし続けるのはやめろ!」
弟にぴしゃりと叱られ、ギリギリと音が聞こえてきそうなほどの勢いでレズリーは歯ぎしりする。
ロドニーはため息を吐き、マリアと向き合い、頭を下げた。
「兄が大変失礼いたしました。私ごときの謝罪など何の贖罪にもならないと分かってはおりますが……」
「ロドニー、あなたはなんと親不孝な息子なの」
ロドニーの謝罪を遮り、喪服姿の彼らの伯母が憐れっぽい泣き声で叫ぶ。
「兄を支えるべき弟が、野心に駆られて実の兄を追い落とすだなんて。クリフォードがこれを見たら、さぞや嘆いたことでしょう。マドリーン。あなたはこの光景を見て、胸が痛まないのですか?クリフォードから我が子を奪い、レズリーから弟を奪い、ロドニーから父親を奪って、あなたは身勝手ばかり」
「あなたもいい加減、ご自分の責任と向き合うべきですわ、ブリアナ様。私たちは、大きな過ちを犯したのです。私も、クリフォードも、あなたも」
女性たちの会話から、ロドニーのそばに立つ老女がヘンシャル兄弟の実母なのだとマリアたちも察した。
ロドニーが連れて来たのか自ら立ち合いを望んだのかは分からないが――決然とした表情を見るに、恐らくは後者だろう。
先代侯爵の妻マドリーンは、義姉に話し続ける。
「私も、泣いてばかりいないで、レズリーを死ぬ気で取り返すべきでした。母親の務めを果たすべきだった。ロドニーだけは同じ轍を踏むまいと戦いましたが、もっと早くに目を開くべきだった――このような事態になったのも、もとを正せば私たちのせい。私たちの時代から始まった歪みが、時を経てどうしようもないほど深いものとなり、無関係なオルディス公爵を巻き込んでしまった」
マドリーンが、マリアに振り返る。年を取って少し動きはぎこちないが、貴婦人らしい所作で、マリアに頭を下げた。
「息子が申し訳ないことをしました。この罪はとても許されるものではございませんが、もしお慈悲を頂けるのでしたら、私も、息子と共に裁きを受けさせてくださいませ」
「皆様の覚悟に水を差すのは気が引けますが」
マリアはコロコロと笑い、わざとらしくとぼけて言った。
「私としては、罪だの謝罪だの、大きな話になって困惑しておりますの。だって私、楽しくヘンシャル観光をしていただけですから。ヘンシャル領は素晴らしいところですわね。領地を治める者として、多くのものを学ばせていただきましたわ。グレゴリー様にも、あなたのご友人は、最後の時まで領民のために尽くした良き領主だったと、報告できそうで喜ばしい限りです」
ロドニーとその母マドリーンは、マリアの寛大な態度に深く感謝していたが……ララはじとっとマリアを見、こっそり話しかける。
「……あんまり話が大きくなって公で裁かれるとなると、反乱を煽ったおまえの責任も問われることになるもんな。兄と対決するかどうか悩んでたロドニーの背中を、連打する勢いで押してたこととか――」
「おほほ、お黙り。美談でまとまろうとしているのだから、それでいいじゃない。誰も損はしないわ」
逮捕され、兵士に腕をつかまれて部屋を引きずり出されるレズリーは、最後は自分の母親を睨んでいた。
父を捨てたように私まで、と恨み言を呟く息子に、マドリーンは沈黙したまま。
チャールズはさっと扉の前に立ち、レズリーを正面から見た。
「……俺は、ヘンシャル領のことを何も知らない。あなたがた家族のことも、人づてにちょっと事情を聞かされた程度だ。だから、俺は何か言えるような立場にないと分かっている」
それでも、と前置きし、チャールズが言った。
「自分のことを本当に想ってくれているのは誰か、いま一度、ゆっくり考えてみてほしい。俺は……この期に及んでもおまえに責任を取らせようとしない人より、共に責任を取ろうと言ってくれる人のほうが、よほどおまえを想っていると思う。おまえに責任を取らせないのは、自分の責任からも目を逸らすことに他ならなくて……そっちの意見のほうが、心地良く聞こえるけれど……いつまでもそれに逃げていてはだめだ」
レズリー・ヘンシャルは何も言わず、ぎゅっと唇を噛み締め、兵士に連行されていった――心なしか、先ほどよりは従順に……自分の立場を理解して、出て行ったような気がした。
悲劇に酔って泣き続ける喪服姿の老女も部屋を出ていった後、チャールズは気まずそうにマリアたちを見た。
「すまない。余計なことだと分かっていたが、どうしても言わずにいられなくて」
「いえ。我々が一番伝えたかったことを、あなたが伝えてくださったのです――あの人は、私たちからではもう、何も聞き入れてくれませんから……」
お節介をしてしまったことを恥じるチャールズに対してロドニーは首を振り、ありがとうございます、と感謝の意を伝える。
――チャールズの言葉が、どこまでレズリー・ヘンシャルに響いたのかは分からない。
ただ……誰かさんを見ているようで、チャールズも言わずにはいられなかったのだろう。
チャールズも、何度もチャンスはあったのに無駄にしてきた。
自分を諫めてくれる人もいた。チャールズのためを思った忠告もあった。全部無視して、傲慢に振舞って……それでも見捨てなかった人のおかげで、いまも生き延びている。
だから、誰かにチャンスを与えることができるのなら、例え無駄になったとしても、自分もやるべきだと思ったのだろう。
愚かしいことだと苦笑いしつつも、その言葉をチャールズにぶつけるのは止めた。
……自分もたいがいだ、とマリアは一人、心の内で思う。
「……しかし、オルディス公爵に多大なる迷惑をかけたのは事実。公爵は私たちの罪を問わないとおっしゃってくださっていますが……せめて、何か償いを。なんでもおっしゃってみてください。私たちでできることでしたら、精一杯叶えてみせます」
「なんでもよろしいのですか?」
ロドニーの言葉に、マリアが可愛らしく笑う。
誠実なロドニーは、はい、と真っ直ぐにマリアを見て頷くが、チャールズはその返事はやめたほうがいいのではないか、と焦った。
あれは何か企んでいる顔だ。何度もマリアにしてやられてきたチャールズは、その身に染みて、痛感していた――。
ささやかな事件の後、ヘンシャル領を出て数時間後。
王都へ向かう馬車に揺られ、マリアとチャールズは並んで座っていた。伯爵は対面に座っており、ノアとマオは御者役。ララは、一足先に城に戻ってマリアの帰還を知らせてくる、と馬に乗って行ってしまった。
「マドリーン様に言った言葉……自分を正当化しているようで、あまり褒められたものではありませんでしたわね」
何かを思い出したようにマリアが話し出し、何の話か、チャールズは少し悩んだ。
「当時の自分を責めても仕方がない、と彼女を励ましたことか」
伯爵がそう話を継いでくれたので、やっと理解できた。
マドリーン・ヘンシャルは、最初の子どもを取り上げられ……夫と義姉の言いなりになって、次の子どもは奪い取られまいと逃げ出した。その時の自分の行動を、いまも後悔しているらしい。
――いまだったら、夫にも、義姉にも、はっきり言い返しました。夫を引っぱたいてでも子どもを取り返しました。彼らにも問題はありましたが、泣いてばかりで何もしなかった私にも、落ち度はありました。レズリーにとっては、私も加害者なのです……。
それに対し、マリアがかけた言葉。話し終えたヘンシャル侯爵夫人をじっと見つめ、優しく言った。
――これまでの積み重ねがあるから、いまの自分がいるのですわ。何もできなかった当時の自分を責めすぎても、仕方がありません。それは……その経験を経たいまの自分を、否定することに繋がります。
「そうは言っても、子どもの立場からすれば、もっと早くに目を覚ましてほしかったとなることでしょう。母親に捨てられたと息子が恨んでいたとしたら、こればかりは……」
「おまえ、もしかして自分のことを言ってるのか?」
マリアもまた、我が子を置き去りにしたことがあり、その選択をずっと気にしている。
捨てたつもりはなかっただろうが……子どもの立場からすれば、そう取られても仕方がなかったかも……。
「おまえは信頼できる相手に預けただけだ。ヘンシャル家とは事情が違う」
「シオン様が母親の私を尊重してくださったから、リチャードは私を母として慕ってくれたのです。父親が紡いでくれなければ……例え母親であっても、我が子との繋がりを断ち切られてしまうこともあるのです――ヘンシャル家を見て、改めてそう感じましたわ」
どれほど長い間、遠く、離れていても。母と子であれば親子の絆は不変……というのは、傲慢な考え。
父親の存在だって重要だ――母にとっても、子どもにとっても。
次話で完結です。(たぶん)
起承転結の結の話も終わった状態なのですが、
エピローグ部分が思ったより長くなったので分割です。