第五話 マリアのかもねぎ作戦
日傘を持って悠々と表通りに出たマリアを、ララは追いかける。
「おまえな。なんで本当に娼婦やろうとしてるんだよ。このままヘンシャル領を出て帰ろうぜ」
普通はどうやってあの店から逃げ出すかを考えて苦心するはずだろうに、マリアが思いっきり自然な流れで店を出たものだから、最難関はあっさり突破してしまった。
次に自分たちがやるべきことは、どう考えてもこのままヘンシャル領を出て行くことだと思うのだが……。
「絶対いや。あの店を買うまでは出て行かないわよ」
「……だろうな」
その答えも分かりきっていたことだ。ララは大きくため息を吐く。
「でもあの店買うのに、おまえが娼婦して稼ぐ必要ないだろ」
エンジェリクでも有数の大貴族オルディス公爵なのだ。そもそも、いまから稼がなくてもあれぐらいの店は余裕で買えるだけの財産はある。
……なんだったら、夫に頼み込めば、あの店どころかこの一帯を喜んで買い取ってマリアにプレゼントしてくれることだろう。
「そんなのダメよ。あの店を買うのは、私の商品価値を証明するためなんだから、そんなやり方じゃ意味がないじゃない」
そう言って、マリアはポン、と日傘を開く。
「……で?どうやってあの店を買ってくれるぐらいの上客を捕まえる気だ?」
呆れつつララが問いかけてみれば、日傘を掲げ、くるくると回しながら、あら、と悪戯っぽくマリアが笑う。
「私が歩いていれば、向こうから寄ってくるわよ。だってここ、そういう目的の男の人たちが集まる場所なんでしょ」
「つまり……特に考えはなくて、行き当たりばったりなんだな……」
「だって私、高い山を見ると挑まずにはいられないタイプの男をホイホイする女らしいから――ヤバそうな客だったら助けに来てね」
そういうことだけ可愛らしく甘えてみせるのだから、タチが悪い。
……そんなもので絆される自分も、たいがいだと思ってはいるのだが。
とうに日は暮れて空は暗いが、日傘を差し、マリアは通りを歩き始めた。のんびりと、お散歩でも楽しむように。
ただ歩いているだけだが、着ているものも所作も、こんな場所にはふさわしくない上品な貴婦人のもので、通りで客引きをしている女たちや、通りすがりの男たちの注目を集めている。
ララは離れた場所からマリアを見守っていたが……歩き出して三分と経たずに、一台の馬車が速度を落とし、ゆっくりとマリアに近づいていく……。
「……いくらだ」
運転席に乗っている御者が、静かにマリアに声をかける。
馬車は地味な装いをしており、中が見えぬよう、窓には分厚いカーテンがかかっていた。わずかに隙間が空いていて、誰かが乗っていることだけはララにも分かった。
御者も大きめのマントを羽織って、顔をあまり晒さないようにしている。
マリアは御者を見上げ、にっこりと微笑んだ。
「自分で値段はつけないことにしておりますの」
御者は沈黙し、馬車の窓に顔を近づける。車内の主人となにやら話しているようだ。何度か小さく頷き、馬車の扉を開けた。
「乗りなさい」
日傘を閉じ、優雅な仕草でマリアは馬車に乗り込む――御者は、馬車に乗るマリアに恭しく手を貸していた。日傘を預かった御者が運転席に座り直す。
ララは急いで馬車に駆け寄り、馬車の後部にしがみつく。
動き出した馬車から落ちないよう気を付けながら、これだからマリアはどこまでも調子に乗るんだよな、と。近付いてくる屋敷を眺め、大きなため息を吐いた。
紳士に案内されて屋敷へと入っていくマリアを、庭に忍び込んで見送ったララは、その夜はそこで眠った。これだけ広い庭だと、一晩ぐらいララが潜んでいても誰も気づかないようだ。
日が高く昇る頃、屋敷の家人に見つからないようコソコソと移動し、マリアを探した。
何か目印でも決めておけばよかったかもな、とちょっとだけ捜索に困っていると、家人の女たちが風呂の用意をしているのを見つけ、浴室を探すことにした。
マリアは大の風呂好きだ。彼女の要望の可能性が高い。
ララが予想した通り、湯の準備をしている侍女を追いかけて浴室に向かえば、マリアはそこにいた。
侍女たちに髪や身体を洗わせ、浴槽に張られた湯にゆったりと浸かっている。
声をかけるタイミングを見計らって衝立からチラチラと顔を出していると、マリアがララに気付き、侍女たちに声をかけた。
「ゆっくり浸かりたいから、一人にしてちょうだい。後でまた声をかけるわ」
女主人の如く侍女たちに命令し、侍女たちは静かに退出していく。一旦廊下に出て隠れてやり過ごした後、ララは改めて浴室に入った。
美しい浴室は贅沢な造りとなっており、湯にはバラの花弁が浮かんでいる。マリアはお風呂に入れてご機嫌そうだ。
艶やかな鳶色の髪が湯に浮かび、真紅の花弁と並んで美しい光景となっている。その隙間から、ちらちらとマリアの白い肌が見えた。
「あいつに店は買ってもらえそうなのか?」
「それは無理よ。かなりの富豪みたいだけど、たかが娼婦に気前よく店を買うほどの財力ではないわ」
そうだろうな、とララは同意した。
屋敷をざっと見たが、上客ではあるもの、そこまでの財産家ではなさそうだった。恐らく、彼は足掛かり。この客から、次の客へと繋げていくのだろうが……。
「私に惹かれる男性は、たいていが野心家よ。そういう男は、手に入れたトロフィーは絶対に自慢したいはず――自分と同類の男に」
「そこで次の客を探すってわけか」
「そう。お風呂から出たら、今度はファッションショーよ。今夜のパーティーのために、私を最高級に着飾らせたいみたい」
屋敷にはすでに商人が呼ばれており、風呂から出ると、マリアは様々な装飾品やドレスを着た。どれが最もふさわしいか、品定めしているのだろう。
やがて主人の満足する一品が見つかり、商人は上機嫌で屋敷を出て行った。
次の馬車が屋敷に到着し、主人と、最上級に着飾らされたマリアがそれに乗る――いったいどこの女王陛下かと思う貫禄と存在感だ。主人がご満悦そうなのも納得しかない。
マリアが連れて行かれたのは自分を買った紳士にも劣らぬ富裕層が集まるサロン。マリアが予想した通り、手に入れた極上の戦利品を仲間たちに披露し……自慢するのが今夜の目的。
……これほどの女が、ヘンシャル領に他にいるはずがない。エンジェリク王国において、唯一無二の女だというのに。
マリアを買った紳士が一通りの自慢を終えると、件の紳士が席を離した隙に男たちが代わるがわるマリアを口説き始めた。
いくらだったら、自分を選ぶか――マリアは美しく微笑むだけで何も言わない。
ただ……男たちが、隣の男を出し抜こうと自ら提示額を吊り上げていく。
――そういうことなのだ。
マリアがわざわざ高額な値段をつけずとも、見栄とプライドを賭け、男自身がマリアの価値を勝手に高めてくれる。マリアは笑みを浮かべて時が過ぎるのを待ち、最も高額な値段をつけた男に賞品として競り落とされればいいだけ。
そうして客から客へと移り渡され、一週間どころか三日目には、マリアはあの娼館を自分に気前よく買い与えてくれる大富豪のものとなっていた。